【加茂青砂の設計図】「秋田百笑村」は時空を超える

連載:加茂青砂の設計図~海に陽が沈むハマから 秋田県男鹿半島】秋田県男鹿半島の加茂青砂のハマは現在、100人に満たない人々が暮らしている。人口減少と高齢化という時代の流れを、そのまま受け入れてきた。けれど、たまには下り坂で踏ん張ってみる。見慣れた風景でひと息つこう。気づかなかった宝物が見えてくるかもしれない――。
加茂青砂集落に引っ越して二十数年のもの書き・土井敏秀さんが知ったハマでの生活や、ここならではの歴史・文化を描いていく取材記事とエッセイの連載です。

【土井敏秀】寄り道をさらに伸ばす。教えられた、秋田県大仙市大沢郷百笑村一番地、に向かう。郵便物も届く住所であり「百笑村」は広く認知されている(本名は、大沢郷宿字椒沢=はじかみさわ=130)。男鹿半島・加茂青砂集落から公共交通機関を利用して約3時間20分、JR奥羽線刈和野駅で降りた。「秋田百笑村」はここから、さらに10キロ。「村長」の佐々木義実さん(68)が車で迎えに来てくれた。

佐々木さんは殺虫剤を使わず、ほかの農薬もできるだけ減らした、天日干しの「特別栽培米」を、消費者ひとりひとりに直接販売する農家である。野菜や花の栽培、子牛を産む繁殖和牛も育てている。妻、長男も一緒の作業だけでなく、それぞれの計画を立てるが、3人で農業に携わる。「仲間とグループを作り、いろいろ取り組んだが、みんなつぶれたよ。今は個人で『百笑村』を楽しんでいる」という。田舎体験を希望する人なら、誰でもいつでも、何度でも受け入れ、一緒に作業に当たる。基本は「来る者は拒まず」である。

佐々木さんにとって牛は、農業の大切なパートナーである。牧草地、農道、田んぼの畔草を食べ、刈り取った稲わらを引いたところで休み、フンは堆肥に活用する。自然の循環そのもの

「年間の労働時間は約3千時間。稲作と畜産の複合経営だと、だれでもこれぐらい働いているよ」と、さらりと言ってのける。単純計算で1日も休みなしに働いて、1日8時間強。だから「大変です」ではない。「農業で生きている人」のプライドが胸を張る。「てめえらにできるか」と、小気味よく問いかける。問われた私は、素直に頭を下げる1人である。「時間を意識したことはないよ。仕事の仕方がこうなっているだけだから」(ちょっと、ちょっと。かっこよすぎない?)

「進路の選択、就活(なんて言葉はまだなかったけど)」があることを知ったのは、農業高校3年の時だった。1クラス45人のほとんどは農家の長男だし、もちろん自分もそうなので、みんな農業を継ぐ、と思っていた。それが「跡継ぎ」で手を挙げたのは1人だけ。公務員、農協などを目指す同級生がほとんどだった。「進路とは自分で考えて、選ぶものなのだ」と目覚めた。目覚めると早い。農林省(現・農水省)の下部機関の一つ・北海道の牧場の研修生に応募し、合格した。「ここでの1年は、オレの人生がかかっている」。おぼろげながら、そう考え、大型トラクターの技術や、人工授精など牛に関する科目を初めて、猛勉強した。今でも毎日欠かさずつけている「農業日誌」の習慣は、この研修生時代に身に着いた。

 研修から帰ると、実家の農業は「父親の農業」だった。見習いとして、父親の言う通りにするしかなかった。抗うにも反論できる知識と実績がない。仕事が「自分のもの」になっていなかった。はたちのころから冬場は出稼ぎに行った。出稼ぎというと、集落の住民がまるごと同じ職場で働く―が普通だった。「これって、秋田がそのまま、場所を変えただけじゃないか」。何のために、よそで働いているかが分からない。「秋田の人」から離れて、新幹線の部品を作る工場で働いた。これはこれで「毎日、同じことの繰り返し」と不満が募った。土、日に東京や横浜の繁華街に遊びに行くだけが楽しみになった。「都会を見てみたい」が出稼ぎの動機の一つだったから、精いっぱい楽しんだ。トラックの運転手は気に入った。「車で会社を出れば、こっちのものだからね」。弾んだ気持ちで、知らない場所に行き、初めての人に会った。

2ヵ月に1回、季節ごとに発行する、手書きの「百笑村通信」。佐々木さんはほんとに、農業が好きなんだねーと伝わってきて嬉しくなる

同じころ、「プチ家出」をした。ライバル視していた父親に、指図されたくなかったからだが、「間もなく稲刈りだなあ。そろそろ百姓に本腰を入れるか。稲作りでも、牛飼いでも」と、家に戻った。農業研修で、旧ソ連(現ロシア)、ドイツ、フランス、デンマーク、オーストラリア、ニュージーランド、タイ、インドネシアなどに出かけた。タイで田植えや日本農業の話をし、インドネシアでは稲刈りの手伝いもした。研修は出稼ぎの延長上にあった。広く世界を見た「出稼ぎがなければ、今のオレはない」と言い切る。

1995年(平成7年)、食管法から食糧法へと法律が変わり、産直が自由にできるようになったが、佐々木さんはその前から「産直」をしている。今は約100軒のリピーターだが、多い時には200軒を数えた。夫婦で収穫した新米を、首都圏の家々を回って、直接届けた時代もあった。「車での寝泊まりだったが、慰安旅行みたいで楽しかった。この人がうちの米を食べてくれているんだ」。ひとりひとりの顔、表情を心に刻んだ。「どんな人が買ってくれるのか、気になるじゃないか。1回でも行けば、その人たちの喜ぶ顔を思い浮かべながら、稲作りをし、発送できるから嬉しい」

特別栽培米には、どういう栽培方法をしたのか、などを説明する「実績報告書」のシールを貼らなければならない。佐々木さんがそれを貼り忘れても、リピーターから一度も文句を言われたことがないという。生産者と消費者の関係を超え、「ただ売るのとは全然違う」信頼関係ができている。

そうなのか。佐々木さんが願っている思いがようやく、くっきりと見えてきた。「百笑村」は、地理上の範囲を指すのではない。だから村民も、境界で囲まれた範囲内に住んでいるだけではないのだ。「ひとが帰るのは、農業を営める環境であり、それを育む自然である」―そんな思いを大切にする人たちが行き交っている。ビルが林立する街ではない。住宅地が広がる町とも違う。里山に抱かれる、時空を超えた「ムラ」なのだ。(続く)

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