【加茂青砂の設計図】耕作放棄地を開墾する「境界なき土起こし団」

連載:加茂青砂の設計図~海に陽が沈むハマから 秋田県男鹿半島】秋田県男鹿半島の加茂青砂のハマは現在、100人に満たない人々が暮らしている。人口減少と高齢化という時代の流れを、そのまま受け入れてきた。けれど、たまには下り坂で踏ん張ってみる。見慣れた風景でひと息つこう。気づかなかった宝物が見えてくるかもしれない――。
加茂青砂集落に引っ越して二十数年のもの書き・土井敏秀さんが知ったハマでの生活や、ここならではの歴史・文化を描いていく取材記事とエッセイの連載です。

【土井敏秀(もの書き)】にぎわった「盆祭」をバネに、秋田県・男鹿半島西海岸の加茂青砂集落で、耕作放棄地の開墾が具体的にスタートする。対象地として、旧加茂青砂小学校裏手の里山と、半島をくねって走る県道沿いの2ヵ所に絞って作業を進める。取り組むのは、秋田県立大学アグリビジネス学科のプロジェクトと、「境界なき土起こし団」を名乗る、二人の農業者を中心とするチームである。「土起こし団」は、メンバーを募りながら、9月9日に最初の体験教室を開校する。

開墾とは、「自然と折り合いをつけること」

団の代表は能代市と三種町に小規模農場を持つ齊藤洋晃さん(47)。それまでの仕事を辞め、農業に携わるようになったのは35歳の時だった。農業の大切な要素として「自然と折り合う景色」を強調する。「整備された田畑は紛れもなく人工物なんだけれど、ひとはなぜそこに自然を感じて、『いいな』なんて思うんだろう。それは自然とひとが、上手に折り合いをつけて共存しようとしている最前線だからだと思う」

耕作放棄地に「豊かさとは真逆の、ひとの営みの貧しい何か」を感じたのが「自然との折り合いとは何か」を考えるきっかけだったという。自然との折り合いをつける。気に入って何度も反芻した。すると、少しずつ見えてきた。その言葉がふさわしいのが、加茂青砂の耕作放棄地なのではないか。かつての段々畑の跡地。春先には一面の菜の花畑になった。沖に漁に出た漁師たちは、菜の花に埋もれそうな家族のもとへ、帰ってきた。そんな暮らしを支えた段々畑を「開墾」するには、時間と人手をかけてこそ「折り合いがつく」。大型重機を入れて一気に開墾するのとは、かけ離れている。

JR男鹿駅前で開かれたフリーマーケット(2022年)

齊藤さんとは昨年夏、初めて出会った。JR男鹿駅前で開かれたフリーマーケットで、テントの店を隣り合わせた。当方は「開墾できる耕作放棄地があります。加茂青砂集落」を初めて、公にアピールした。斎藤さんは収穫したニンニク、ナス、製造しているハーブティーなどを販売していた。以来、メールの交換をし、加茂青砂での開墾を勧め、その体験教室を開くことを持ち掛けた。

それに応じた齊藤さんは、なぜ加茂青砂を選び、どんな未来を見て開墾に従事することになる「土起こし団」の名乗りを、上げたのだろう。

耕作放棄地を開墾する「境界なき土起こし団」

齊藤さんが、経営する「農園晴晴」を通して追い求めているのは①健康でうまいものが食える②自然と折り合う景色がある③気分がいつもハレバレしているーだという。これを実現するために、加茂青砂なら「自然との折り合いを一から作っていける」と判断したのだ。もちろんここで、ハーブティーの原料となるハーブを育てて原料とするーという目論見もある。「真っ赤な夕日が沈む海岸で、それに厳しい冬の風を受けて育った植物のパワーは、滋味あふれるティーを生んでくれそうです」

炎天下の大海原を背に、開墾作業の第一弾は草刈り。10年以上放置された畑は雑草が生え放題

体験教室「土起こし団」は、斎藤さんだけでなく、友人の佐々木友哉さん(31)も講師になってくれる。佐々木さんは東京で約10年、会社勤めをした後Uターンして、藤里町に帰った。祖父を引き継ぐ形で就農している。どうも斎藤さんの頼みを断り切れずに引き受けたらしい。

2人はすでに約1時間半かけて、耕作放棄地のうち600㎡の草や茎を刈り終えている。そのまま枯れさせ、体験教室の初日に教材として使う。

ここを耕作放棄地にしたのは…

ここを耕作放棄地にしたのは私である。県道を挟んで海側には、リゾートホテルきららかがあり、日本海の水平線が望める。この地に引っ越して来て間もなく、「もう来年からはやめるから、使ったらいい」と声をかけてもらった。「半農半漁見習い」の看板を掲げ、自給自足にあこがれていた時期だった。漁協の組合員となり(準だけど)、中古の小船で夫婦で素潜りをした。畑では途中から小型耕運機を買い、「機械化農業」を気取っていた。ジャガイモ、サツマイモ、レタス、キャベツ、大根、スイカなどかなあ。はっきりとは覚えていない。覚えているのは、カラスにスイカを、キジにサツマイモを食べられたことぐらいか。ただただ、アオムシやネキリムシの退治に追われ、イタドリなどの茎や根っこをひっこ抜いていた。それでも8年ぐらいは続いたか。やめるのは簡単だった。「もういやんなっちゃった」だけである。すごすごと退散した。

それからイタドリやクズが伸び放題、命を謳歌している。除去しようとすれば、互いに絡み合ったり、カヤも密生したりして、かなり手がかかる。2人はそれを、伐採してくれた。汗だらけの二人を見ると、その場では「ここを耕作放棄地にしたのは私です」とは白状できなかった。そういえば、その上の段も両隣もきれいな畑だったなあ。見晴らしのいい場所に腰かけて、「ここにいるのが一番好きだ」という、細身だが、両手が大きいバサマの話を聞いていた。「おうおめ、きょうも来たか。どうだ、ここの暮らし?いいべ。海も見えるし。この間はここで昼寝してたら、カラスに弁当を持っていかれた」と、手を叩きながら大笑いしてたなあ。伐採してもらうと、そんな会話まで飛び出してきた。

齊藤さんと佐々木さんの間では。刈り取った後をどうするか、すでに話がついているらしい。9月9日の体験教室の作業の段取りがついている。「この角を掘って穴を作ります。そこに枯れた草や茎を埋めて、米ぬか、自然酵母・白神こだま酵母をまきます」

教室の最初の授業は「堆肥の作り方」らしい。

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