【宮城県知事選】村井嘉浩候補・独占インタビュー

2021年の宮城県知事選の投開票日が、10月31日に迫りました。5選を目指す現職と新人との一騎打ちとなった今回の県知事選。TOHOKU360では、NPO法人メディアージによる両候補者への独占インタビューを動画と書き起こしで公開します。

現職の村井嘉浩候補へのインタビューです。インタビュアーは若者の投票率向上のための活動を展開しているメディアージの、中村明稔さんです。

宮城県の自慢は「真面目な県民性」

Q.では、まず初めに、自己紹介をお願いいたします。 

宮城県知事の、村井と申します。1960年生まれです。生まれは、大阪の豊中というところで、伊丹空港のすぐ近くです。そこで生まれ育ちまして、小中高と大阪におりまして、その後、防衛大学校という、自衛隊の幹部を養成する大学に行きまして、陸上自衛官になりました。その後、初めて赴任したのが、仙台の若林区にあります東北方面航空隊という、陸上自衛隊の航空科部隊の駐屯地なんですけれども、そこで、ヘリコプターのパイロットをやっておりました。

約1000時間ぐらいフライトしたんですけれども、その後政治家を目指して、松下政経塾というところに入りました。3年間勉強し、こちらが好きでしたので宮城県に来て、政治を始めて、県議会議員になりまして、3期10年やって、知事になって、今、4期16年が終わろうとしている、というところであります。家族構成は、女房と娘2人ということですが、娘2人は外に出て行ってますので、今は、女房と2人だけで、ラブラブな家庭を築いております。

Q.最初は選挙とちょっと離れたところから質問して、徐々に選挙に関連する質問をさせていただきたいと思います。まず初めに、宮城県の好きなところ、特に他の県に自慢できるところ、教えてください。 

ちょうどいいところなんですよね。宮城県というのは。自慢というと、ちょうどいいところなんですよ。つまり、東京から1時間30分ぐらいで、近すぎず離れすぎず。で、高速道路が南北に2本、自動車専用道路が走っていて、どこからでも、仙台にだいたい1時間か2時間ぐらいで来れる。

で、仙台という大都市があって、その周辺に、そこそこ都市があって、そしてそこを離れると、田園都市が広がっていて、海があって山があって、スキーができて釣りができて、何でもできる。何か買い物したければ、東京まで行かなくても、仙台に来れば何でも買い物できますし、そういう、ちょうどこの暮らしやすい、いいとこだな、というふうに思うんですよね。

自慢できるところは、県民性ですね。今回改めて、コロナですごいなと思ったのは、私とか郡市長が、一緒になって、「皆さん、気をつけてください。行動を自粛してください」って言ったらね、本当にピタッと止まるんですよ。ものすごく真面目な県民性だなと思って。非常に、宮城県、コロナの患者の亡くなる率が低いんですよね。これは県民の皆さんの、県民性ってのは、非常に大きいんじゃないかな、というふうに思います。

強みは「決断が早いところ」

Q.次は、村井さんご自身の質問になるんですけれども、ご自身の強みと弱みを、教えてください。 

強みと弱みというのは、二律背反していて、表裏だと思うんですよね。強みは決断が早いところ。割と決心が早い。これはもう、皆さんそう言っていただき、その通りだと思うんですが、逆に言うとせっかちですよね。弱みはせっかちです。よく、せっかちだなと思って、失敗したなと思うことも多いんです。

まあでも、知事になって、いろんな会社の経営者の方とお会いするんですけれども、だいたい会社の経営者の方って、せっかちな方多いですよね。あの大トヨタでもそうですね。せっかちな社長さん多いですよ。だから、まあそれでいいのかなと思ってますけどね。

「対症療法でなく、長いスパンで政治を見る必要」

Q.村井さんご自身は、初めて選挙を行ったとき、どんなことを考えて投票していたか、っていうところを教えていただきたいです。また、今の18歳の皆さんに、どんなことを参考にして投票に行ってほしいか、ということを教えてください。

18歳の頃でも、40年以上前なので、わからないですね。私達の時は、20歳からあったんですけど、私ちょうど防衛大の学生のときだったんですよ。投票に行ったことは、よく覚えてます。もう半ば強制的に、投票に行かされましたので、覚えてるんですけれども。私はもともと自民党、母親が、自民党の婦人部長もやってましたので、自民党の人のを見て、名前を書いた。当時、中選挙区だったので、複数候補者いたんですけれども、ちょっと誰の名前を書いたかを、よくは覚えてないんです。おそらく、小泉純一郎さん書いたんだろうな、と思うんですけど、防衛大学校でしたからね。

それから、何を思って、どんなことを参考にしてほしいですか、っていうことなんですけれども、一番、政治っていうのは、今の課題を解決する、っていうのも重要なんですけれども、10年後20年後、その将来がどうなるのか、というのが重要なんですよ。ですから、今とりあえず、場当たり的に、対処療法的に、政策を打てばそれでいいのではなくて。10年後20年後、こうやって日本を変えていくんだ、このように世の中が変わるから、こうしたいんだ、っていうのを、しっかりと見据えた政策、っていうのが必要だと思うんです。そういう政策を、しっかり政治家が打ってるかどうかというのを、見極める必要があると思いますね。特に若い方は、これから30年も40年も50年も生きるわけですから。そういった方たちは、特に長いスパンで、政治というのは見ていかなきゃいけないと思うんです。

ちょっとずれちゃうかもしれませんけれども、私、今回の選挙でずっと言ってることは、これからコロナが終わった後、どうなるかというと、これから急激に人口が減るんですよ。今230万、宮城県いるんですけれども、これがたった25年間で、180万人。50万人減るんです。50万人減って、180万になると、昭和40年代の初頭ぐらいの人口になるんです。当時はピラミッド型で、若い人が多くて、年寄りが少なかったんですけれども、今は、25年後は、お年寄りが多くて、若い人が少なくなる、逆ピラミッドの昭和40年代の人口になるんです。ということはもう、物を買う人、食べる人が、極端に、25年後に少なくなるんです。

ですから、宮城県は、この「支店経済」とよく呼ばれるんですけれども、サービスは、今まで上がってても、支店がどんどん増えて、人が増えて、その増える人をターゲットにする商売、つまり飲んだり食べたり、売ったり買ったり、そういう商売で、宮城県は十分やっていけたもんですから、第3次産業のウエイトが非常に高いんです。でも25年後、それが2割減るわけですから、このままでは駄目だ、ということで、私は、産業構造を変えようと思って、いろんな対策をとっておりました。そういった政策というのもですね、ぜひもうしっかりと見定めて、投票するべきだなと、いうふうに思いますね。

人口減少の中で宮城の経済をどう支えるかが課題

Q.では、次の質問はですね、村井さんは、これまで4期16年、知事を務めてこられましたが、16年間、なかなか長い期間だと思います。私も、物心ついた頃から、村井さんという印象が強いんですけれども。この16年間、長い間、知事をされてきて、まだ達成できてない、本当はこれを実現したいんだ、っていう政策はありますか。

最初知事になったときに、県内総生産額を(当時)8兆円5000億弱だったんですけど、これを10兆円にするってものすごい高い目標を掲げたんですよ。県内総生産というのは、県内に住んでる皆さん企業が生み出す付加価値の総計なんですね。売上高ではなくて、付加価値の総計なんです。これを10兆円にするっていう目標を掲げました。それは全体として、まずわかりやすい経済指標がいいだろうということ。で、宮城県民が全体でどこまで底上げしたかわかりやすい指標にしようと思ってあげました。

先ほど言ったように、第3次産業のウエイトがあまりにも高すぎて、今後、人口が減る、15、6年したら、つまり知事になってから15、6年後、今からですね、急激に人口が減るのを分かってましたので、産業構造を変えようとして第2次産業のウエイトを高めたい。特に製造業のウエイトを高めて、1次2次3次のバランスを取りたいと考えて、その結果、2次産業のウエイトが高まれば、10兆円になるという目標を掲げて。そうは言って進めていたんですけども、岩手宮城内陸地震やリーマンショック、東日本大震災、いろんなことあったんですけれども、いろんな企業誘致もうまくいってですね、9兆5000億円まで来たんですよ。9兆5000億円。ここから人口が減るまでに10兆円にしたかったんですけど、9兆5000億円で止まってしまったんです。一応1億は上げたんですが。

こっからも人口が減るので、多分下がるだろうと思いまして、今回の10年後の10年間の総合計画をまた作ったんですけども、この4月からスタートしてるんですけれども、これにはさすがに書き込めなかったです。もう人口が急激に減るので、もうさすがに無理だろう。ですから、本当は10兆円まで持っていって、その勢いで、これが口下がってくるやつを、いろんな政策で支えていきたいっていうのが私の狙いだったんですが、それ若干達成できなかった。ですから10兆円とはならなかったんですけれども、今後急激に人口が減って消費が冷え込んでくることによって景気が冷え込んでくる宮城の経済をいかにして支えていくっていうことが、これからの知事にとって非常に大きな課題だというふうに私は思いますね。それをやろうと思って今回、いろいろ政策で訴えてるってことですけれどもね。

「反対の声の大きさでなく、宮城県民の全体の利益で考える」

Q.では、次の質問に移りたいと思います。村井さんはどのようにして県民の声を聞いて参考にされているかというところを教えていただきたいです。 

それがね、皆さんが私の考え方と違うなって思うのが、私は、県民の声を聞くって「何がやりたいですか」「何をして欲しいですか」って聞くのが私は政治家・リーダーとしてふさわしい姿だと思ってないんですよ。というのが私の尊敬する松下電器、パナソニックですね。パナソニックの創業者・松下幸之助さんという方から教えてもらったんですが、松下政経塾で。松下幸之助さんは眠れないような日々を過ごして、自分でこうしようと決めた後に、その後にいろんな人にご意見を聞いて、そして進めるものもあれば変更するものもあればやめてしまう。ということなんです。リーダーはそうあるべきだと。

まず自分で、私は宮城県をこうしたいなと。こうするんだということをはっきり言って、政策なり何を打ち出して、その上で、どうだろうかと県職員にいろいろ知恵を借りて、そして政策を積み上げていって、県民の皆さんにご意見をお伺いして、それをそのまま進めるか軌道修正するかやめるか、ということを決めていく。これが私はリーダーとしてふさわしい姿なんだなと思ってるんですよ。だから何でもかんでも、福祉、何やってほしいですか、教育、何やってほしいですか、では駄目だと思います。

今教育されてますけれども、学校の先生ですけども、やっぱり宮城の教育はこうするべきだっていうのを自分なりに考えを決めて、その後にいろんな人から御意見を聞く、これが私は正しい姿だなというふうに思ってます。

Q.県民の声を聞く前に、まず自分がこうしたいっていう思いがあってそこからいろんな声を聞くということですが、最終的にそれを進めるのか、やめるのか、変更するのかっていうそこの判断はどういうふうにされていらっしゃいますか。 

私は全体の利益ですね。反対の声が大きい・少ない関係なくですね、宮城県の県民の利益全体の利益に繋がるのはどちらだろう。と考えなくちゃだめです。ですから今までやったことに大変批判を受けた部分もたくさんあるんですよ。

例えばね、水産業復興特区というのを震災後やったんです。これは漁業権というのは決まっていて漁業権は、漁協に与えるっていう法律決まってたんですよ。で漁協が手放さなければ民間が入れなかったんですけど。先ほど言ったようにこれから漁師さん方も急激に減ってくる。今、毎年1万人ずつ漁師さん減ってるんですよ。これでは駄目だと。民間にも開放すべきだって言って漁業権を民間に開放するんだっていうのやったんですよ。

漁協は私の最大の支持組織の一つなんですよ。わかりますよね。自民党の組織。自民党を応援してくれる組織です。その組織にですよ、知事選挙で応援してもらって当選したのにも関わらず、その組織に対して、私は反旗を翻したわけです。「絶対やめてくれ」っていうことをやる。もうつらいですよ。「お前応援したのに、なんで応援した俺たちを裏切るんだ。俺たちがやめてくれっいうことをやるんだ」って怒られたんですけど。でも、これから30年40年、50年間考えたら私はやらなきゃいけないと。誰かやんなきゃいけないんだったら、「私がやる」とやりました。

医学部を作るときも医師会から猛反発があったんですよ。これから高齢者がまだ、人口は減るんですけど、高齢者は20年間増え続けるんです。で、医者が足りない、特に田舎に行くと医者がいないんですよ。だったら医学を作らなきゃいうことで作りました。これも支持団体である医師会を敵に回しました。今回の選挙も2つある病院を富谷と名取にって言っちゃったもんですから、仙台市医師会から推薦もらえなかった。でも、全体の利益を考えたら、何がいいかって考えたとき、私は自ずと答えが出てくる。そうなったらもうブレずにやりますね。全体の利益がどこにあるか、そこですね。自分の利益はどうでも良いです。これで選挙落ちてもしょうがないなと思ってやってます。

「若い人のニーズに合わせて職を作る」ことが必要

Q.今回の質問も10代20代の若者からいろいろ聞いたものを集約した質問の内容になっているんですけれども、今の10代20代がこの先も、宮城県で働いていけるように今後村井さんが取り組んでいきたい具体的な政策とか目指す未来像があれば教えてください。 

まずは、もう若い人たちが住み続けられるようにするためには、働く場所がないと駄目です。しかも我々が決めたところに働いてくれ、ではなくて、若い人たちが働きやすい、働きたいと思うような職場を作るということです。

私16年やって、人口は当然、これ今まで一定だったんですがそれが減り始める、自然減は避けられないです。社会増減は、行政の力で、政策によって変わってくるんです。私、先ほど言ったように企業誘致とか色々やった関係で、東日本大震災でたくさんの方が他県に移住したにも関わらず、プラスマイナスすると、宮城県はプラスなんですよ。社会増なんです。全国で社会増なのは8都道府県しかないです。あとはみんなマイナスなんですよ、社会減。みんな関東に吸い寄せられてるんですけど、その中で宮城やプラスなんですけど、よくよく調べたら女性はマイナスなんですよ。

つまり、トヨタ自動車とか東京エレクトロンさんとか企業が来て関連企業が増えたんで、男性は増えてきてる。でも、女性は減っている。つまり、女性の働く場所がうまく作れてないってことですよ。これはもう私なるほどなと。今までは男性が来れば女性がくっついてくると思ったら、そうではない。やっぱり女性の特に宮城県の若い学生の人たちが働く場所が宮城ではなかなかないんですよね。大きな企業だと東北電力、七十七さん、あとは公務員といったような感じでしか残らなくなってしまっちゃ駄目なんですよね。

いろんな人たちがこの仕事をやりたいと思ったときに、やれるような、そういう会社をたくさん作っていくっていうことは非常に重要。大きな企業だけじゃなくていいんですよ、中小企業でもいいんです。働く場所をとにかく作っていくということが非常に重要なんじゃないかと、その学生のニーズに合わせて。我々の考えているサプライに合わせて、学生をそこに放り込むのではなくて、学生のニーズ、若い人のニーズに合わせて職を作る、仕事を作っている、これが非常に重要だと思っています。

今回の選挙でベンチャー企業のことについて、上場したベンチャーの会社、東北大学の先生だとか、その会社の社長さんだとか、上場させるための仕組みをされてる東証の担当の部長さんだとかとオンラインでやりましたけどすごく勉強になりましたね。宮城県はやっぱり、というか東北は上場企業がすごく少ないですよ。ベンチャーから立ち上げて上場する企業は少ない。これやはりもう大きな欠点ですよね。そういうのを作れば、宮城で一発、一旗揚げてやろうじゃないかっていう若者がどんどんこうくる、こういう環境を作らなきゃいけない、それはやっぱ私の仕事だと思ってますね。そういうことを目指したいなと思ってます。

「次世代育成・子育て応援基金という貯金箱を作る」

Q.今、女性っていうワードが出てきたと思います。もう一つ女性が働きやすい環境にしていくために、知事になられたらどういうことされたいか、というところをもう少し具体的に教えていただけませんでしょうか。 

今はもう、女性は家庭にっていうことは言えない時代になってます。私の女房の時代までは、結婚したら即その後はもう会社を辞めるっていう時代だったんですよ。職場を辞めるっていう時代でした。何か働き続けることが難しい時代だったんです。今は家庭を持っても仕事をやめない。そうしないと労働力が足りないんですよ、当然必然なんですよ。ですから、働きながら家庭を持てる、それで子育てができる、産みやすいとか、そういう環境をつくっていかなきゃならない。保育所を作ればいいのか、それだけでは駄目なんですよね。今回そのオンラインでまず子育てをやってる方達の団体とか、オンラインでいろいろ勉強させていただいて、なるほどなと。

今回、政策の一つに、次世代育成・子育て応援基金という貯金箱を作ろうと言っていまして、作ります。これはもう県の方のこの貯金箱に入ってるお金は子育てのためだけに使いますということで、今まで産前産後のケアですとか、あるいは、不妊治療のためのケアとかいっても、大雑把なことを言っていたんですが、この間そのオンラインでお話を伺って、具体的にこうした方がいいですよというアドバイスをいただきましたんで。ここではまだ具体的な政策として上がっていないので言えないんですけれども。より具体的なものを早め早めに出したいなと思います。

そうすることによって、宮城で子どもを育てながら仕事ができる環境なんだと思ってもらえれば、魅力を感じていただけると思いますし。今は、SNSで「宮城は​いいよ」といえばすぐ広まりますのでね。そういう環境を作っていって、それと同時に、今色々調べているんですが、​子育てをしながら、あるいは結婚した後も働きやすい職場ってネットでよくランキング出てますよね。そういった企業の良いところを今調べていて、それを宮城県の企業にマネしていただくことによって宮城は働きやすい職場が多いということにつながっていくと思いますので。そう言ったことで我々もサポートしていきたいなと思っています。

4病院の再編を知事選で訴えた理由は

Q.今、4つの病院を再編するというところで、いろいろ議論されているところですけれども、ご質問をいただいた方から普段病院に通っていると仙台市民としてはやはり不便になるのではないかとも心配している人がいました。仙台市民に向けてどのようなフォローを考えていますか。 

まずあの、これはまだ何も決まったことじゃないので、こうしますと申し上げられないんですが、話題になっているのは、仙台赤十字病院と東北労災病院なですけども。仙台赤十字病院はすぐ近くに仙台市立病院があります。また5キロ圏内に東北大学病院がありますよね。そして東北労災病院のすぐ近くに東北大学病院があり、また、仙台厚生病院があるんです。ですから、全く病院がなくなるわけでは決してない。

名取にはがんセンターがあるんですけども、がんセンターでがんの治療を受けてる方なんですが、残念ながら合併症を持っていて、総合病院で見なければいけないんですけど、見れないという患者がいる。名取や岩沼は救急車の搬送時間が非常にかかっていて、助かる命が助からないんです。救急車呼んでから仙台市内の病院に運ばれるまで1時間ぐらいかかっている。それで亡くなったり、あるいは重い障害が残ってるという人もいます。宮城県の南側、子供が非常に産みにくい場所で、県南中核病院という大河原にあるんですけども、大きな病院の産婦人科がなくなってしまったんですよ。ということで、高度な産婦人科の先生がいる病院がなくなってしまっていて、それが全部仙台に集中してるんです。仙台赤十字病院と東北大学病院、こども病院、みんな仙台に集まっている。

そういったことにあってですね。もちろん、そこに通っている例えば仙台赤十字病院に通ってる方からすると赤十字病院がなくなるって本当に大変なことなんですけれども。ただ、ちょっと足を伸ばせば、仙台市立病院に通うことはできます。それほど遠い距離じゃない。一方、仙台赤十字病院を南に持って行けば多くの方が助かる。そして子供が産めるようになるということです。また通えない場所でない、というところに病院を移せないかということも考えています。市を跨ぐので、市を跨いでも遠くの全然通えない場所ではないところにならないかということも考えています。

それから、東北労災病院と宮城県精神医療センターなんですが、精神医療センターは、24時間救急で全県から患者が運ばれてくるんですが、それが今名取というところにあるために非常にこれも時間かかってしまって不便なんですね。これを宮城県のへその部分である富谷に持っていけば患者さんが通いやすいですし、精神科の患者さんも合併症を持ってる方もいるので総合病院と一つになった方がいいというのは、東北大の先生方から提言をいただき、また黒川郡も大きな総合病院がないので、人口が増えてる黒川郡で、救急車の搬送時間が非常にかかってしまってるんですよ。

そういうことで、あの先ほど言ったように、東北労災病院の近くには東北大学があり、また仙台厚生病院がすぐ近くに移ってくるので。そう考えるとですね、もちろんそこの目の前に住んでいる方、あるいは通っていた方からすると、ちょっとご不便をおかけすると思うんですけども、先ほど言ったように、宮城県全体の医療ということを考えたらですね、私はその方がいいと考えています。ただし、何か誤解をされてる部分あるんですが。これはまだ決まったわけではなくて、宮城県知事として、今後、労災病院と仙台赤十字病院と交渉するに当たりまして、私はこうしたいってことを言うということで、意思決定するのは、あくまでも仙台赤十字病院と東北労災病院と我々が話をして意思決定をします。

特に仙台の総合病院のこの2つの病院は私、実は経営主体ではなくて、私の方は、県立がんセンターと精神医療センターは私に責任ありますけど、残りの2つは経営別なんで、経営にタッチできませんから、もしかしたら破談になるかもしれないし、移さないってなるかもしれないし、仙台市内の別の場所にってなるかもしれません。私は宮城県知事としてのそこに持っていくのが一番ベストだということをあえてこの知事選挙で訴えたということです。具体的には、どういう我々にケアしてくれるんだっていうことなんすけど、なかなか経営主体が別の病院のことについての話なので、私がこうしてあげるっていうことを申し上げるのは非常に難しいということはご理解いただきたい。県立病院ではない病院ですからね、2つとも、仙台市内の病院は。

「税金を使わない行政体にしていかなければ、財政破綻する」

Q.ありがとうございます。では次の質問に移りたいと思います。東日本大震災から10年が経過いたしました。復興に向けて、今後の課題は何だと思いますか。 

人口減少ですね。もう間違いないです。230万の人口が25年間で180万になる。私が知事だった16年前に15、6年先にそうなるだろうとわかっていて、予想通りその通りになってきた。ジェットコースターがこうダンダンダンダン(上昇)で、今ダダダダッ(下降)となる、今このダダダダってとこなんですよ。これがものすごい勢いで一気に下がってくる。ところが怖いのは、誰もそれに対する危機意識を持っていない。

平和な世の中で、大きな災害もないにも関わらずですね。大きな事故もないのに毎年2万人ずつ人口が減っていく。これに対する怖さというのは誰も感じていないことが怖いんですよ。本当に、それを見越して、どんどん税金を使わないような行政体にしていかなければ必ず行政の財政は破綻し国の財政も破綻すると思いますよ。そうなったらどうなるかというと国民の財産、懐に手を入れざるを得なるわけですから。そうしないように、真剣に考えていく。それが私はリーダーとして必要なことだと思ってますから。

沿岸部の支援の差が出ないような調整が重要

Q.東日本大震災で、結構、ハード面に関しては村井知事が率先して、防潮堤だったり、建設をしてきて、ハード面だいぶ整ってきているかなって実感されてる方も多いと思います。今後課題になってくるのが、今衆議院議員選挙でもおっしゃってる方がちょっといらっしゃいますが、ソフト面が大事になってくるっていうふうに私もこう感じているところなんですけれども。村井知事がこう考えるソフト面の対策っていうところを教えていただいてもよろしいですか。 

10年経って、10歳年をとってるんですよね。体が動かなくなってきた。震災後に家族が亡くなった。家族が出ていった。そういった方がたくさんおられました。また災害公営住宅という市営住宅、町営住宅に移ってもですね、友達ができない。今まで平家だったので、隣同士すぐに交流できたんですけど、縦にできちゃってますんで。なかなか交流ができないとそういう問題が出てきてるんです。これをケアしてくのは誰かの力だけではできなくて本当に総合力が必要だと思ってます。

国、県、それから市町村、またNPO、こういったいろんな団体と連携をしていって調整をしていく。特に県の役割としては広域行政ですから、各市町村ごと沿岸の15市町村で差が出ないような調整をしていくというのは非常に重要だと思います。なんでもかんでも「被災者に寄り添って」「県が」って皆さんおっしゃいますけどそんなのできっこないんです。県なんて職員限られてますから。県はそういった市町村のバランスを取れるようにして、足りないところに応援に入る、そしてちょっと多いところはちょっと別のところに応援に行ってもらうというような、あと情報共有ですよね。こういう支援をしっかりやっていくことによって、隣町と大きな支援に差がないようにしていって、被災者の皆さんが良くなったなと思えるように少しずつしていくことが重要だと思います。

阪神淡路大震災が25年経ってやっと被災者の皆さんが独り立ちできたと言ってましたので、あの震災よりも被害が大きいわけですから、やっぱり25年30年というスパンでこの問題は考えていくべきだろうなと思います。一部の政党からは基金を全部使い切って被災者の家賃補助に使え、何しろってよく言われるんですけども、私はそういうことをしてしまうの簡単なんですよ。でもそんなことしても、いつか家賃はまたもっと上げなきゃいけない時代が来て。それをずっとやり続けるかというと、財源がなくなってしまうと、本当にいろいろやらなきゃいけないことがやれなくなってしまいますから。基金を大切に使って被災者の皆さんそういった全体のバランスを取れるような施策をですね、優先して、これからもやっていきたいなというふうに思っております。

「若い方は投票で自分の意思を表して」

Q.ありがとうございます。では最後に改めてメッセージをお願いいたします。 

今回の選挙は、知事選挙、そして衆議院選挙、また県内には県議会議員の補欠選挙もやってるところもあります。非常に大変重要な選挙ばかりでありますので、必ず若い方たちは投票に行っていただきたいと思います。私に入れてくれということではなくてですね、必ず投票に行って自分の意思を表す、これは非常に重要だというふうに思います。白票でもいいんです。別の方の名前を書いてもいいし、私の名前を書いていただいても結構なんですが。

自分の意思を投票で表す。これがもう民主主義の基本です。ここに至るまでですね、先人が大変血を流して苦労して苦労して、平等な選挙というものを築き上げてきたわけですから、この貴重な権利をですね、ぜひ若い人たちは行使をしていただきたい、これをお願い申し上げたいと思います。皆さん選挙に行きましょう!

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