原発事故から11年の帰還困難区域・浪江町津島「ふるさとを返せ」住民たちの終わらぬ訴え 

文・写真:寺島英弥(ローカルジャーナリスト・名取市在住)】福島県浪江町津島地区。2011年3月の東京電力福島第一原発事故で、9550㌶もの広大な緑豊せな古里を汚染され、約450世帯・1400人の住民が避難を強いられて11年が経つ。帰還困難区域のまま高い放射線量が残り、家々は草木に覆われ朽ちかけている。「失われた人の絆と自然の恵み、ふるさとを返せ」と、住民のうち650人の原告団が原状回復などを求めて国と東電を訴え、控訴審が9月末、仙台高裁で始まった。当事者の無念や怒りをよそに、国は原発の増設など推進回帰策を発表。人知れず測定調査を続けてきた住民の姿を追った。

「帰還困難区域」の看板が立つ 

JR福島駅から国道114号を南東へ1時間余り。緑深い阿武隈山地の奥に、点在する家々や集落が現れる。人の姿はもちろんない。同県中通りの大玉村で避難生活を送る佐々木やす子さん(66)の車に同乗し、津島地区を訪ねたのは今年8月末。控訴審(9月28日)に向け、訴訟の原告団が7月初めから続けている全地区の放射線量測定の予定日の朝だった。「帰還困難区域」の看板がある浪江町津島地区の入り口から大型テントのスクリーニング検査場を通り、町役場津島支所前で仲間の住民、佐々木茂さん(68)原告団副団長=、獨協医大准教授の木村真三さん(55)と合流。地図を手に、最初の目的地に向かった。 

帰還困難区域の看板が立つ津島地区

測定は津島地区の全戸を対象に、この日が9回目。「裁判のため、原発事故被災地の実情を知らせなくては」と住民たちが測定費用を出し合う。木村さんは昨年7月に判決があった福島地裁郡山支部の一審から原告側証人を務めている。3年の縁となる原告団の住民との最新の線量地図作りだ。東海村臨界事故やチェルノブイリ原発事故などの現地調査を経験し、福島第一原発事故直後の津島でも放射線測定を行った。この分野の第一人者だ。 

放射線量測定の打ち合わをする(左から)木村さん、佐々木茂さん、佐々木やす子さん=8月27日、福島県浪江町津島

雑草に覆われた高線量の家々  

測定先の赤宇木(あこうぎ)地域で最初の目的地は、車を降りて向かう道筋が背丈ほどの雑草に覆われ、2軒あるという家々の姿すら分からなかった。防護服姿の木村さんが放射線測定器を手に一人で分け入った。「ここは畑と田んぼだった。家は築後20年ほどで、きれいに手入れされていたよ」と、佐々木茂さんは往時の景色を重ねた。しばらくして木村さんが戻り、「一軒しか分からない。家の線量は〈4.3〉マイクロシーベルト毎時)、途中の一番高い所で〈5.55〉でした」。国が設けた除染目標〈0.23〉の20倍余りの数値だった。 

背丈近く雑草が生い茂る中、作業は難渋した

2カ所目、3カ所目、4カ所目も雑草に覆われ、家々の周囲で線量はいずれも〈5~6〉だった。5カ所目に向かう途中、かつてサケ漁で知られた請戸川の源流の橋を渡った。澄み切った清流は絵のような絶景だが、今は訪れる人もいない。 

やがて、やぶの向こうに大きな農機具の納屋が現れ、隣の母屋は玄関のガラス戸が割れてなくなっており、荒れ果てた居間にこたつが見えた。「前に来た時、カモシカが寝ていた家だよ」と佐々木やす子さんが言った。家主は働き者の農家だったそうだ。しかし、イノシシ、サル、カモシカ、キツネ、タヌキ、ハクビシン、アライグマ、「あらゆる動物が入り込んで、いい隠れ家になってしまう」。この家の線量は裏手で、〈8〉前後を記録した。 

「津島では線量が下がった地域もある中で、赤宇木はとりわけ高い」と木村さん。「このあたりの山は恵み豊かで、いいマツタケが採れたものだ」と佐々木茂さんは嘆息をついた。 

「結」の暮らしを奪った原発事故 

自然にのみ込まれようとする家々を巡った測定作業

津島の住民はコメ作りやタバコ栽培、酪農を中心に、「結」の助け合いを伝統にした暮らしを営んだ。2011年3月11日の東日本大震災では、津波で被災した町の沿岸部から8000人を超える避難者を受け入れ、住民挙げて食事を提供し、暖を絶やさず支援をした。しかし、福島第一原発の立地自治体でない浪江町には国、東電、県から危険を知らせる情報が届かず、馬場有町長(故人)が同15日、独自判断で全町民の町外への避難を指示した。 

「私たちは何も知らされぬまま高い放射線量の中に置かれ、地区の仲間が離散する理不尽も。憤りと危機感が、住民たちを『ふるさとを返せ』という思いで一つにさせた」。行政区長で原告団長の今野秀則さん(75)は語る。「福島原発事故の完全賠償を求める会」が生まれ、15年に原告団を結成。国と東電を相手取り福島地裁郡山支部に提訴した。 

「国策であった原発事故でふるさとを汚され、戻れない現実とその責任を国と東電に認めさせる」。そして「帰還困難」と放置せず、原発事故前の環境に戻すための除染を訴えた。何の情報も教えられぬまま高線量にさらされ健康被害を受けたこと、避難を強いられたことへの慰謝料、完全除染が不可能な場合の「ふるさと喪失」へも慰謝料を求めた。 

控訴審、仙台高裁で始まる 

「父は過酷な避難生活の中、3年後に、母はその2年後に亡くなった。2人とも最期まで津島に戻れると信じて」。9月28日に始まった控訴審の第1回口頭弁論で、津島の農業武藤晴男さん(65)=原告団事務局長=はこう陳述した。避難先から自宅の様子を見に行くうち、家族は動物に荒らされた惨状を見たくないと、家に入らなくなったという。が、「自分が健康であれば、生まれ育った津島で残りの人生を送りたい」との願いを訴えた。 

一審判決は、津波への備えがあれば原発事故を防げた―という国の責任や、住民への慰謝料を認めたが、原状回復(全域除染)は除染方法が特定されていない―と退けた。 

もう一人の陳述人、石井ひろみさんは「先祖代々受け継がれた財産は、次代に引き継ぐべきもの。自分の代で断ち切っていいのか。18代目の夫は築150年になる母屋解体の申し込みをできずにいます」と訴えた。石井さんら住民有志は、津島が地図からも消されぬよう全戸の姿を記録しようと、佐々木茂さんを会長に空撮映像を撮る活動に挑み、資金を募りながらDVD『ふるさと津島』ふるさと津島を映像で残す会 福島県浪江町 (furusato-tsushima.com) を作った。各地の上映会で帰還困難区域の現実と住民の声を伝えている。 

仙台高裁での控訴審が始まり、報告会でマイクを握る今野さん=9月28日

国は帰還困難区域に「幕引き」か 

放射線量が高い帰還困難区域(福島県内7市町村)について国は、各区域の一部を先行除染し、住宅や公共施設を設けて「特定復興拠点」を整備中だ。津島地区の「復興拠点」は来春に完成し、避難指示が解除される予定だが、面積は地区のわずか1.6%に過ぎない。 

「数軒の申し込みはあるそうだけれど、商店も給油所もない。どうやって暮らせるの」と佐々木やす子さん。自身の家は赤宇木の隣の昼曽根地域にあり、特定復興拠点から外れた地域の一つ。やはり高い放射線量が残る。そうした大部分の地域について、国は今年8月、「帰還したい希望の人であれば、住まいを除染し、個別に避難指示を解除する」との方針を決め、意向調査に乗り出す見通しだ。原告団が求める、ふるさとの原状回復(全面除染)には応じず、帰還困難区域そのものに「幕引き」をする意図を住民たちは感じるという。 

関東にいる長男には「家に帰って農業をやりたい」との希望があるというが、自宅だけ除染されても放射線は残り、外で農作業ができるのか、風評で「売れる農業」はできるのか、隣人はいるのか―と青写真より不安がある。「だから裁判で、人が集ってお茶を飲み、互いを心配し、助け合い支え合う、ふるさとを取り戻したい」と佐々木さんは願う。 

控訴審に先立つ8月末には岸田文雄首相が、福島第一原発事故に全く触れることもなく、原発の新増設の推進を検討すると表明した。原告団の住民たちの憤りと危機感も増す。第1回の口頭弁論を終えた武藤さんは「原発事故は終わっていない。また、一からの闘いです」と取材に語った。 

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