何も変わらぬ能登地震の被災地 東北の当事者として訪ねた避難所で見たもの

寺島英弥(ローカルジャーナリスト)】家屋約8万戸が被災し、これまで245人が犠牲になった能登地震の発生からから5カ月余り。東日本大震災を経験した宮城県名取市閖上の被災者がこのほど石川県珠洲市の避難所を訪ね、「今も段ボールに囲まれて暮らす住民が多く、先の見通しも立てられない過酷な状況」と語った。現地では倒壊した家々が手つかずで残り、支援者の姿も少なく、実情を報じるニュースもめっきり減った。「私たちの被災体験から13年、阪神淡路大震災からも29年が経つのに、教訓が生かされずゼロに戻っている」と指摘する、閖上中央町内会長・長沼俊幸さん(61)の話を聴いた。 

崩れたまま水もない街、すべてが絶対的に遅れている

長沼さんは2011年3月11日の東日本大震災の津波で、閖上地区の自宅3階の屋根に妻と上ったまま3㌔流され、九死に一生を得た。名取市増田西小学校の避難所で約2カ月半、愛島東仮設住宅で6年余りを過ごした後、17年7月、閖上に新居を建て帰還した。19年3月から自治会長となり、新しいまちづくりに取り組んでいる

―能登の被災地に行かれたのは、いつ、どのようなきっかけでしたか? 

閖上が被災して以来、支援を続けてくれた神戸市の団体が能登でボランティア活動を続けており、私にも参加の声を掛けてくれた。5月17~19日に珠洲市を訪ね、蛸島小学校の避難所で炊き出しを手伝わせてもらった。毎年3月11日に閖上でも行ってもらう慰霊の竹灯籠も持参してくれて、地元の人たちと一緒に灯をともした。 

神戸市の災害ボランティア団体が持参した、慰霊の竹灯籠に灯をともす(手前が長沼さん)=蛸島小学校の避難所

―現地の街の様子はいかがでしたか? 

1月1日の地震で倒壊したり潰れたりした家々がそのままに、解体撤去などの作業が手を付けられずにいる。地元を離れた住民が多いからか、街で人の姿をほとんど見ず、市の災害ボランティアセンターも人はまばらだった。 

5月の連休に大勢の支援者が来たのだろうが、今、動いている人は少ないと感じた。地元の人たちに尋ねると、石川県の馳浩知事が震災後まもなく「ボランティアは控えて」と発信するなど「知事が動かないことが遅れの理由」と口々に話した。 

地震で崩れた家々が今も手付かずの珠洲市内(長沼さん撮影)

下水道は復旧しておらず、仮設トイレも少ない状態だ。水道も各戸で使える状態には戻っておらず、閖上でも活動した横浜のボランティアらが2日に1度、給水所からタンクに水を補給していると聞いた。すべてが絶対的に遅れている印象だ。 

これまでの報道によれば、自治体が行う公共部分の水道管復旧は進んだが、その先の世帯部分の水道管修理は個々人が負担しなければならず、請け負い業者も発注殺到でパンク状態だという。多くの人が自宅に戻れない大きな理由になっている

今なお続く避難所生活、先が見えぬ被災者たち

―避難所で知ったこと、気づかれたことは何でしたか? 

蛸島小の避難所には当初、住民約300人が入ったといい、今も30人が暮らしている。1月1日の発災から、5月半ばを過ぎても避難所の生活が続いていることに驚いた。私の地元(名取市)では仮設住宅の建設が早く、2カ月半で避難所から引っ越しできた。それでも待つ身には長かった。入所者の世話役の方と話したら、「避難所からいつ出られるか、いまだ見通しが立っておらず、先が見えない。まだまだ、ここにいるようになるかも」と不安を訴えられた。 

避難所は長くいるところではない。私の経験でも、明日が見えない不安や閉塞した環境が精神状態に影響し、殺気立ってのけんかもあった。衛生面の問題や感染症の心配もある。そこから出ることは、「被災者」から日常生活へ踏み出す一歩。励みにも、力にも、希望にもなる。いつまでも出られなくては、頑張りようがない。 

石川県は1月下旬、仮設住宅やアパートなどの「みなし仮設」や公営住宅を3月末まで約1万5千戸を確保すると発表していた。が、仮設の建設は遅れ、県は入居を必要とする被災者の数に見合う約6400戸を8月中に完成させる予定という。避難者数は5月半ばの時点で、1次避難所が約2000人、ホテルや旅館の2次避難所に約1700人―などと伝えられた。仮設の建設の遅れは用地確保の難航が原因との現地情報もあり、被災家屋の解体・撤去が手付かずな現状に起因するとみられる

段ボールの仕切りとベッド、だが人間らしい暮らしではない

―避難所での住民の暮らしの印象はいかがでしたか? 

一番問題なのがプライバシーの確保だ。私がいた避難所では、家族ごとの居場所の仕切りがなく、体育館の床の上で“吹きさらし”の状態だった。ある人がたまたま別の避難所を訪れて、段ボールの仕切り、畳まであるのを見たといい、その日の夜に、私が問題提起をし班長会議を開いた。仕切りの有無を役所の担当者に問うと、「市の体育館にたくさんある。皆さんも要望しますか」との答えが返り、私たちは怒った。段ボールが届いたのは5月半ば、もう避難所を出る間際だった。 

段ボールの仕切りの中で被災者が暮らす体育館=珠洲市蛸島小学校の避難所

蛸島小の避難所には、いくつも段ボールの仕切りが設けられていた。私たちの避難所で支給されたのは、そばに寄れば中が見える高さだったが、蛸島小のものはもっと高く、外から見られる心配はないようだった。また、自衛隊からもらった毛布を床に重ねて寝て私たちが、「あったらいいね」と願望した段ボールベッドも、蛸島小では仕切りの中に備えられ、状況が少しは改善されているのが分かった。 

だが、避難所生活が長引いた人たちに、より人間らしい暮らしを願うのであれば、段ボールの仕切りよりも居住性や耐寒性、プライバシー確保に優れ、家族らしい空間をつくれるテントを支給できなかったのだろうか。当事者の身になった支援がまだ足りないと感じた。 

長沼さんが撮らせてもらった、段ボールの仕切りの内側。この狭い空間、冷たい床の上で先の見えぬ避難生活が続く=珠洲市蛸島小学校の避難所

1月21日の東京新聞(ウェブ版)の記事は、珠洲市内の避難所に両親と入った女子高校生の、段ボールなどの仕切りもない生活環境への不便、不満を伝えた。翌2月6日の中日新聞(同)には、1月30日に段ボールの仕切りが行き渡った蛸島小避難所の写真が載った。その後、被災地支援の団体や個人、メーカーなどから、段ボールの仕切りやベッドが避難所に提供されたというニュースや情報も増えた

東北や神戸などの経験が生かされぬ仮設住宅

―建設が遅れているという仮設住宅はいかがでしたか? 

蛸島小の避難所の近くに40世帯の仮設住宅ができてはいた。でも、聞くと「自宅が全壊した被災者が優先で、入居順も決められて、地元の人が入れなかった」という。(各戸の水道の不通など)家に住めない、戻れない状況はみな同じなのに、と。入居する人たちの地域性も、行政は入居条件に考慮しなかったようだ。私がいた愛島東仮設住宅には、同じ閖上の被災者が入った。私は役員を引き受けたが、それゆえコミュニティーがつくりやすく、みなで助け合い、活動もまとまっていた。それは、行政が地域の人のつながりを無視し、多くの「孤独死」を生んだ神戸での教訓があったから。そんな過去の被災地の経験も、能登ではゼロに戻ったようだ。

被災地の「負」の遺産を、行政は検証、共有してきたのか?

―全国で災害が絶えないのに、なぜ、教訓や経験が生かされないのでしょう? 

被災地が生まれる度に、同じことが繰り返されている気がする。阪神淡路大震災からは間もなく30年、東日本大震災からは13年。その間にも中越(04年)、熊本(16年)など大地震や、大水害も相次ぎ、新しい被災地が生まれている。災害ごとの記録、うまくいった事例は残されても、当事者が体験した避難所や仮設住宅での問題、支援の課題、行政の失敗や不備、災害救助法という法律の限界といった「負」の遺産を、行政はきちんと検証し、次への備えに共有しているのか。やはり国が情報共有の場をつくり、司令塔になり、各自治体が段ボールの仕切り、ベッドを必ず備え、災害が起きれば資材と人を全国から提供し、支援し合うといった―。 

石川県珠洲市・蛸島小学校の避難所で炊き出しをする長沼俊幸さん=2024年5月18日

マスコミはなぜ、能登の過酷な現状を伝えないのか?

―大災害における全国規模の相互支援態勢のイメージですね。

 被災地の当事者が、そのたびに「しょうがない」「我慢するしかない」という思いで苦難を耐え忍び、後は振り返られることもなく、忘れられてゆき、次へ何も残らないのでは…。マスコミにも問題があると思う。能登地震が起きてしばらくは連日、テレビ、新聞が被災地の様子を大きく報道していたが、その後はぱったりと能登発のニュースが目に入らなくなった。それが不思議だった。 

だから、なにが理由で復旧が進まないのか、避難所がどうなっているのか、被災者の人たちがどういう状況にいるのか、実際に現地に行ってみるまで分からなかった。たった一日滞在しただけでも、ひどすぎる状態だ。それを伝えないことは、被災者の希望を奪っていることだ。

発生時と変わらない現実におかれた当事者たちの心の問題、コミュニティーをどう再生するか問題などが、これから起きてくる。私たち東北などの被災体験と比較して、指摘、批判、問題提起を社会に向けて発信し、政治を動かすのはマスコミの責務だ。そうでなくては被災者は救われず、何も変わらない。当事者の声をもっと伝えてほしい。 

能登発の最近の報道に寄せられたウェブのコメントを読んでみた―『メディアはもっと報道すべきだし、国に訴える使命がある』、『政府はどうして何もしない。もっと報道してもらいたい 』、『国は能登を見捨てているのか』、『ほとんど復興を感じられないのがつらい』、『復興どころか復旧にもなっていない』、『郷里が国から見放された現実、これからどうなるのかという不安しかない 』、『石川県知事がテレビから消えている』、『国は税金ばかりとって、本当に困った時は助けない。災害は他人事ではない』 、『田舎は震災があっても見捨てられるのか』―

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