【寺島英弥(ローカルジャーナリスト)】国内での新型コロナウイルス感染が始まってから、すでに1年半余り。全国的な感染急拡大の中、宮城県内でもきょう27日から再び緊急事態宣言が政府から適用され、出口の見えない日々の閉塞感が続く。
飲食店の営業をはじめ暮らしへの影響が長引く中、仕事の場をなくしてきたのが歌を仕事とする人たちだ。活動を成り立たせる「歌唱」と「聴衆」がともに感染予防のネックになり、自粛せざるを得なかったり、会場が見つからなかったり、あるいは延期、中止となったり。「歌を響かせ、分かち合いたい」という思いを募らせる歌手の一人に、米国のオペラで活躍し、仙台での演奏の場を模索する早坂知子さんがいる。
12月に念願のリサイタル
先月半ば、仙台市青葉区・東一番町通にある楽器店の小ホール。濃紺のワンピース姿の早坂さんが「荒城の月」を歌っていた。友人のピアニスト渡辺真理さんの美しい伴奏に乗り、その場の空間を震わせるようなドラマチックソプラノで。仙台ゆかりの詩人土井晩翠と、作曲家滝廉太郎の名曲が、まるで「和」のオペラのように響いた。
やはり滝廉太郎の「箱根八里」などの古典に続いて、早坂さんはフィンランドの作曲家シベリウスの日本ではあまり聴かれない歌曲も披露した。「演奏活動ができなかったので、良い機会だと思って自宅で勉強していた曲ばかり」と早坂さん。
常盤木学園高音楽科の3年生の時、「瀧廉太郎記念全日本高等学校声楽コンクール」(大分県竹田市主催)に仙台市・宮城県の代表として出場し、「荒城の月」はそれ以来の思い出の曲だ。シベリウスの歌は、オーケストラの深い響きを感じさせるほどスケールが大きく、ロマンチックなオペラを早坂さんは歌っているようだった。
「ワーグナー(19世紀ドイツの大作曲家)のオペラを米国で歌ってきた私には、北欧の音楽はとても親和性の高い世界です」
渡辺さんと楽器店との長年の縁から、久々に本格的に響く場で歌えたという早坂さん。「ドラマチックソプラノの声には、大きな空間に響かせられるようなホールが必要。仙台や近郊で個人のリサイタルをできる会場は乏しく、時期も難しい」と諦めかけていたが、この日、渡辺さんから紹介された楽器店の好意で、普段は外部に貸し出されないこの会場で、早坂さんは12月に小さなリサイタルを開けることになった。
米国でオペラを学ぶ
早坂さんは仙台出身ながら「米国育ち」の声楽家だ。国立音楽大を出た後、「日本から離れた環境で、自分らしい新しいことに挑戦したい」と海外の大学院受験を決意し、2009年、米国カンザス州のエンポリア州立大の大学院に合格した。ジェシー・ノーマンら米国のオペラ歌手にあこがれ、作曲家では「アメリカ音楽の父」と称されるフォスターが好きだった。 「人種差別が当たり前だった時代に、黒人の人々への励ましの歌を作った。新天地に飛び込んで、私も成長したい」という意欲に導かれた。
カンザス州は、大平原が広がる中西部の農村地帯で、敬虔なクリスチャンの歴史ある土地だ。キャンパスに飛び込んだ早坂さんは、生徒を囲い込みがちな日本の音楽教育風土とは異なり、「先生から、どんどんオーディションやコンクールに出なさい、と背中を押されてニューヨークなどへ出掛け、オペラハウスの音楽監督たちの前で歌った。競争が激しい社会の現実も含めて、何でも経験させてもらえた」と振り返る。
2011年3月11日の東日本大震災をカンザスで知り、津波のニュース映像で「日本が沈没」と伝えられた。実家と電話もメールも通じず、SNSも停止する中、大学の人々は早坂さんを温かく慰め、励まし、有志合唱団を組んで募金コンサートを催してくれた。2年間の修士課程を終え、州のオペラハウスの研修生になり、滞在は3年に及んだ。
2012年に古里に戻った早坂さんは、ゼロから活動の場を拓かねばならなかった。「音楽関係の友人が少なく、音大のつながりは東京中心。地元のオペラ協会の自主上演で一度、歌う機会をもらえたが、一年を通して歌う場所を見つけ、音楽で食べていくことは大変だった」
音大の恩師だったチェンバロの先生から、バロックのアンサンブル演奏に誘われ、東京、宮崎などを回った。前述のピアニスト渡辺真理さんと出会い、やはり米国で学び、震災後に塩釜を拠点に歌い始めたバリトン歌手髙橋正典さんに紹介されて、リサイタルに参加させてもらった。人の縁がつないでくれた、初めての成果と言えた。
「そのころの声質はメゾソプラノ。声も歌も成熟させる時期だったけれど、その場所がなかった」という早坂さんは、自分を成長させる場を求めて再び米国に渡った。
ドラマチックソプラノ誕生
「新しい自分、ほんとうの自分に出会えたのも、その時でした」と早坂さんは、青葉区大町にあるマンションの実家で、当時の写真を見ながら語った。
再渡米して2年目の2015年。オペラへの出演機会を求めて各地のオーディションを受けていたさなか、コロラド州のオペラハウスの指揮者の前に立つ機会があった。自身が歌う番を終えた後、クラデーラさんという指揮者から「珍しい声だね。ちょっと、やってみて」とピアノの前に呼び戻され、音階を歌わされた。そして、「君の声の中に、ワーグナー(のオペラ)に必要なものがある。それを生かした方が、君の強みになるよ」と、メゾソプラノから、ドラマチックソプラノへの転向を勧めた。
ドラマチックソプラノは、ソプラノの中で最も声質が重く、その名の通り、劇的な表現を要する役を歌う。その代表的なオペラがワーグナーの作品で、神と人間の闘争や愛を描いた「ニーベルンクの指輪」四部作のヒロイン、ブリュンヒルデなどが当たり役だ。北欧の出身者らに名歌手が輩出し、日本人では希少とされている。
それから毎年秋から冬のオペラシーズン、コロラドやフロリダな、ワイオミングどの劇場でワーグナー作品を中心に数多く出演するようになり、信頼関係を得たタンデーラさんからは「夏にある、ヤングアーティストのためのオペラの実践講習のトレーナーをさせてもらいました」。得たものは、迷いなく進むべき方向と自信だった。
2016年には仙台で、ピアノの渡辺さんとの共演で初のリサイタル(戦災復興祈念館ホール)で開き、18年4月には古里の仲間との継続的な発表の場づくりを目指して、国立音大時代の仲間の歌手、宮坂はるなさん(長野出身で盛岡市在住)、青木麻菜美さん(大崎市出身)、渡辺さんと「輝く日を仰ぐ時」と題するオペラコンサートの第1回を催した。後輩の世代の早坂さんを応援する渡辺さんは「仙台出身の若い才能を地元で大切にし、この街の新しい音楽文化を育てたい」と夢を語った。
コロナ禍で企画が白紙に
多賀城市、白河市で企画されたオペラ公演(モーツァルト『魔笛』)からも声が掛かって出演し、少しずつ活動を広げた早坂さんは、米国と日本を行き来して「輝く日を―」を翌19年春も好評裡に催し、志や悩みを同じくする若い音楽仲間と新たに「仙台声楽研究会」を立ち上げた。「もっとオペラの楽しみを伝えたい」と昨年4月、12人の出演者による第3回を開くばかりだった。
ところが―。感染が広がったコロナ禍のため、準備した企画は白紙になった。
「米国からも引き揚げました。オペラハウスはどこもコロナで閉鎖になり、向こうにいても仕事の見通しがなくなり…」
本来なら、ユタ州のオペラハウスからドイツへ派遣される海外研修生の試験に合格し、9月から2年間、本場でワーグナーのオペラの研鑽を積むことになっていた。音楽家として貴重なチャンスをコロナ禍に奪われたが、「そんなにショックではなかった。ドイツに住むことが目的ではなかったから」と早坂さんは言う。
「私は音大時代、18世紀イタリアのカストラート(去勢して高音を維持した男性歌手)を研究したけれど、その時代は、田舎の教会で歌いながら、自分で音楽を勉強した。大事なのは場所ではなく、何をするか。どこで歌っても、いい歌を心掛けていけばいい」
収入のなくなった仙台では実家で暮らしながら、餅店のアルバイトや、ほそぼそとした歌のレッスンをし、自分でピアノをたたきながら「それまで機会のなかった」勉強に取り組んだ。滝廉太郎や、ワーグナーの世界にもつながる北欧の音楽だった。
「宮城県美里町出身の佐々木麻希子さんという女性歌手がいまイタリアで学んでおり、滝廉太郎のコンクールに一緒に出場した人なのです。やはり異国のコロナ禍の中で孤立しており、去年の5月ごろに話をし、『世界をまたいでオンラインで演奏を配信し、聴いてもらえたら』という企画が生まれた」
どんな状況でも、いい歌を
佐々木さんの仲間で若いイタリア人のテノール歌手、仙台のピアニスト宮腰瑛子さんら7人の有志が企画に賛同し、妹の料理研究家早坂明子さんも加わって、3か国語対応の「音楽とお料理で巡る世界旅行」という生演奏と楽しいおしゃべりの動画配信を10月に敢行した。公的な文化事業助成を得ての500円の有料配信。早坂さんは、勉強を積んだ滝廉太郎と北欧歌曲、そして、国内では滅多に聴けないワーグナーのオペラアリアの難曲「イゾルデの愛と死」を歌い上げた。大勢の視聴者数とはいかなかったが、コロナ禍の中でも「音楽を求める人たちとつながれた」という実感をつかんだ。
「米国で『ヤングアーティストのための―』の仕事をした時、『太陽のようであれ』という言葉を思い続けた。オペラはチームの仕事。良い気持ちで人と一緒に仕事をできれば、それが最高のこと。人と関わることで、人も音楽も成長できる。そうした縁が未来につながり、どこかで声を掛けてもらえる。それこそが大事だから」
早坂さんは今、こう話す。5年前、多賀城市主催のオペラに出演した際、一緒に仕事をした指揮者の中橋健太郎左衛門から実際に、新たな出演依頼の声が掛かった。山梨県内の劇場で今年12月から4年間にわたって一作ずつ上演される計画のワーグナー「ニーベルンクの指輪」(4部作)のヒロイン、ブリュンヒルデ役だ。待望した舞台が日本で生まれる。
その中橋さんから今年3月に突然、「東京・立川で『ドン・ジョバンニ』(モーツァルトのオペラ)公演があり、女性歌手がキャンセルになった。代役で歌えますか」と連絡があった。本番までわずか3週間。それでも早坂さんは引き受け、迷わず前に進んだ。そして、舞台は成功した。
どんな状況にあっても、世界であれ日本であれ「どこで歌っても、いい歌を心掛けていけばいい」という早坂さんの模索は続く。それをどこかで求め、聴いてくれる人がきっといる。
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