【鈴村加菜】第4次韓国ブームの中、仙台にも韓国コスメショップやK-POPグッズを取り扱うお店が続々と増えています。中でも、仙台で韓国といえば韓国料理の「扶餘(プヨ)」を思い浮かべる方は多いのではないでしょうか。「扶餘」の二代目として経営を担うイ・ソゴンさんに「扶餘」の歴史やコロナ禍の苦労について伺いました。
仙台の韓国料理店の先駆けとして
仙台で韓国料理といえばすぐに名前があがる「扶餘」でも、その始まりは別の名前であったことはあまり知られていないかもしれない。今から25年ほど前、ソゴンさんのお母さんが韓国の家庭料理を出す店として青葉区小田原に開いたのが「扶餘」の前身となる「百済(クダラ)」。
「その当時、近くで韓国料理屋といえば国分町に1軒、ほかは塩釜に1軒とか。それくらい少なかったんじゃないかな。韓国という国に対しても周りの日本人の方に『中国の一部じゃないっけ』なんて言われたほど、知られていないというか、理解があまりない頃でした」とソゴンさんは振り返る。
開店当時、「百済」は定食などを出す飲食店舗とキムチやお惣菜の販売店舗に分かれていたという。ソゴンさんのお母さんの料理は地元の人に愛されたが、建物の老朽化に伴い、飲食店舗を仙台駅東口にあった焼肉店跡に移転することに。2006年ころ、「扶餘」として開店した。(現在「百済」ではキムチの製造・販売のみ)
震災後、オーストラリアから仙台へ
お父さんの仕事の都合で38年前に韓国から仙台に移り住んだというソゴンさん一家。2歳から高校卒業までを仙台で過ごしたソゴンさんは、韓国の大学に進学。兵役と大学卒業を経て、韓国の企業へ就職した。しかし、企業で仕事をしているうちに「留学したい」と思うようになり、26歳のとき、ワーキングホリデーのビザで単身オーストラリアへ。それから3年半の間に現地で出会った韓国人女性と結婚。仕事も生活も軌道に乗り、「ここに永住しよう」と決め、仙台に住むソゴンさんの両親をオーストラリア旅行に招待したのが2011年の3月だった。旅行を終えて両親がオーストラリアを出国した2日後に東日本大震災が起きた。
「直後は連絡も全く取れないし、本当に心配で心配で仕方ありませんでした。幸い、両親とは震災後間もなく韓国に住む兄のところで再会でき、元気だということも確認できました。とはいえ、(両親の)仙台での生活が心配だったので、私も仙台に戻ることにしたんです。当時は『とりあえず一旦』のつもりだったのに、初めての飲食業に携わってひたすら仕事をしているうちに気づいたら10年経っていました」
本場韓国の「お母さんの味」が好評
「百済」の家庭料理を受け継いだ「扶餘」は「お母さんの味」と韓国人のお客さんにも好評。日本人のお客さんに対しても韓国料理を「敷居の高いものと思って欲しくない」との思いから、価格帯も定食が1000円前後と仙台駅近辺では良心的。店内にはたくさんのK-POPアイドルのポスターが貼られているが、客層は10代から80代まで幅広いという。
「2000円で1回より、1000円で2回来てもらいたい」というソゴンさん。「運動部かな、ガタイの良い男子高校生が何杯もご飯をおかわりして、帰り際に『うまかったです、また来ます』と言ってくれるとなんかすごく嬉しくなっちゃいます」とニコニコと話す。「それから若い世代でいえば、SNSの影響はすごく大きい。韓国料理を食べながらK-POPやドラマの話をする。その様子をInstagramなんかで見た人がまた来てくれる。そんなパターンがあるような気がします」
コロナ禍の打撃で「本当に必死」
クチコミが広がり仙台駅東口店は週末は予約が必須になるほど人気店となった「扶餘」。電力ビル店、ロフト店、長町店が次々にオープンしたが、長町店の開店から半年も立たないうちに新型コロナウイルスが流行してしまう。
ソゴンさんは「今でも『扶餘さんの一人勝ちですね』なんて言われることがありますが、冗談じゃないです。ほんとに必死ですよ」と苦笑いする。「コロナ禍になって、一番は約130人もいる従業員とその家族の生活を考えました。韓国料理って手間がかかるので人手が必要なんです。最初の方は規模に関わらず協力金も一律でしたから、従業員の給料を支払うためにも閉めていられませんでした。それから、長く休業することで自分たちのマインドというか、これまで頑張り続けてきた気持ちがなくなってしまうのではないかという怖さもありました」。2020年4月の最初の緊急事態宣言下ではロフト店と長町店を休業したものの、それ以降は県や市の指示に従いながら、一度も完全休業することはなく営業している。
融資を受けながらでも最新の除菌機器を導入するなど感染対策となることは積極的に取り入れた。また、コロナ禍前から持ち帰りや出店の経験があったため、仙台にUberEatsが上陸した直後からデリバリーやテイクアウトに対応できた。元々夜だけでなくランチ営業していたことも助けになったという。
「東北や仙台の人は言われたことをきちんと守るので、緊急事態宣言が出れば客足が止まり、宣言が終わればまた出て来るという繰り返しでした。波はありますが正直イートインはボロボロ。コロナ以降にオープンしたテイクアウト専門店(泉中央、ロフト向かい)については、そういう状況で生き残るための手段という面が大きいです」
「料理を通して韓国をもっと身近に」
コロナの深刻な影響を受けながらも様々な努力でお店を開け続けることを選択したソゴンさんは話す。
「生まれたソウルよりも仙台にいる時間の方がだいぶ長くなり、私にとって仙台も『故郷』と言えます。『百済』を開いた頃に比べると、ブームもあって韓国という国に対する理解度はかなり上がってきたと思います。これからも仙台にある『扶餘』という店に来てくれたお客さんに料理を通して韓国をもっと身近に感じてもらいたい。それが私が仙台でやっていく意味かなと思います」
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