【寺島英弥(ローカルジャーナリスト)】東京電力福島第一原発の処理水放出が迫り、不安に揺れる相馬の浜。ここには震災後、全国に例のない多くの漁業後継者をはじめ、地元発の新しい加工品や魚の販路の開発を目指す若い担い手が集う。理由は「宝の海だから」。原発事故後の漁自粛から復活を遂げた水産業は、12年間で「相馬の魚」のファンを各地に広げたーと胸を張る仲卸業の三代目。いまや全国一の水揚げとなった新顔のフグなどの加工に期待を託す新規参入者。新たな風評が危惧される処理水放出の行方に目を凝らす。
瞬間冷凍で美味凝縮の新商品
今年5月の連休に郷里・相馬市の海の特産品を並べる「浜の駅 松川浦」を訪ねると、行列ができていた。仮設テントの大きな鉄板で名物の「浜焼き」をやっている。汗をかきかき腕を振るっていたのが森拓也さん(37)。「少しでも浜を盛り上げられたら」と笑顔で語った。肩書は「ループ食品」代表だ。
「浜の駅」の売り場をのぞくと、お薦め品のコーナーにフグ、メヒカリのから揚げ用切り身の真空パックが並んでいる。地元の松川浦漁港に水揚げされた魚の加工品で、森さんが開発を手掛けた商品。ループ食品のラインナップは多彩。漁港から同社の加工場まで車で1分。魚を塩水で洗い、真空パックして氷水に漬け、瞬間冷凍する方法で、保存料や化学調味料は一切使わない。セールスポイントが明快だ。
ー30°Cの瞬間冷凍機を使用して眠るように冷凍 鮮度を保った生の美味しさをご家庭で!
(同社ホームページから)
「から揚げ用のアンコウも売れています。またヒラメ、イカ、イシモチ、アジ、タイ、カナガシラ などの一夜干しも、夏のギフトに人気です」と森さん。福島県の水産加工品開発プロジェクトにも参加し、『相馬原釜発「ゴロッと!たこっカレー」』を世に出した。「市場で値段の付かない魚も、加工によって新商品に生まれ変わります。可能性がいっぱいあるんです」。その魅力をSNSでも発信している。
海の幸を「復興」に生かしたい
森さんは相馬の街の生まれだ。20代でフィリピンに留学し、人々の生活や社会の現実を学ぶ旅をした。震災後の2018年、横浜でイタリア料理の修行をした兄と市内で和風レストラン・居酒屋「∞(MUGEN)」を開き、経営と地元の魚介の仕入れを担った。が、頼りにした鮮魚店が閉店し、自ら松川浦漁港に通うようになった。
「市場は敷居が高く、誰に声を掛けていいのかも分からなかった」と言うが、謙虚に教えを請う姿勢が市場関係者から受け入れられた。奥さんも浜に育った人で、その縁が地元の漁師ら人との出会いを助けた。親しくなった仲買人の市場の常駐作業場にも勉強にも通い、自身で仲買人の資格を取得。店の営業を兄に任せ、本腰を入れたのが「やりたかった、地元の海の幸を『復興』に生かす商品開発」だった。
「相馬は『食』に恵まれている。宝の海がある」と森さんは話す。同じ被災地でも、三陸では温暖化が原因とされる海流の変化でサンマやサケ、イカの不漁が深刻だ。相馬では新顔の魚が増えており、とりわけトラフグは3年前ごろから急増、昨年の漁獲高も37㌧(相馬双葉漁協調べ)と天然物で全国トップ。地元では「福とら」の名でブランド化も始まり、ふぐ料理も松川浦の旅館などに広まっている。
だが、これまで相馬の浜に大型冷蔵施設はなく、外への鮮魚出荷が大半だ。「地元の魚を地元で豊かに食べられないのはもったいない」と森さん。ループ食品の能力を生かし、フグの「てっさ」セット、鍋用、から揚げ用の切り身、みそ漬け、ひれ酒セットなどを商品化できる―と、自ら昨年11月にフグの調理師免許を取った。漁期は9~11月だが、現在水揚げされているマルフグ、ショウサイフグの加工食品づくりを始めた。味はいい。「食の地産地消に役立ちたい、それが目標」と言う。
風評で漁が止まるのが怖い
沿岸で漁をした船が次々に水揚げする松川浦漁港の朝。仲買人たちは競りを終えて白い発泡スチロールに入れた魚介を早速、道向かいの常駐作業場から荷出しする。その一角にある有限会社・飯塚商店を訪ねた。現場を差配している三代目社長、飯塚哲生さん(49)は、相馬商工会議所青年部長も務める気鋭の経営者だ。
森拓也さんの兄を通した古い知人で、新規参入の森さんが始めた地場の加工商品開発に「今までなかった。私がやりたかったくらい」と共鳴する。飯塚さんは東京・築地市場で修業経験があるが、「昔ながらの大きな市場への鮮魚出荷だけでは限界。新しい加工品作りの追求で、地元の海からの恩恵を何倍も広げられる」。
飯塚さんも、森さんもそれだけに、政府が8月中に開始の方針とされる福島第一原発の処理水放出(汚染水から放射性物質を除去した後のトリチウム水、約133万7千㌧)の話に顔を曇らせる。「心配なのは、風評はもちろんだが、ようやく復活させた漁が止まることだ」と飯塚さん。2011年3月の原発事故直後、東京電力が1万4千㌧もの汚染水を一方的に放出し、県内の漁が長期の全面自粛に追い込まれて、仲買人たちも大きな打撃を受け、「仲買人には何の補償もなかった」と語る。
「もし地元の沿岸漁が止まったら、商品棚から福島の魚は消え、(流通も含め)お客さんは他県の魚を買うようになる。風評も加わって代わりの商品が並んだら、戻すのは難儀。それは現実として過去に起きたことで、われわれには一番怖い」
信用のつながりを全国に広げ
そのような現実から、しかし、この10年余りを掛けて「相馬の魚の味」で新たなお客さんの開拓をしてきたという自負が、飯塚さんにはある。
「私自身が足を運んで東京や関東、西では京都の業者やお店と直につながり、相馬の魚の味と人を一緒に知ってもらった。お客さんから、次のお客さんにもつながった。その信用のつながりこそが、たとえどんな状況になっても一番強い」
漁協は原発事故後の13年から始めた試験操業(安全性を確認した魚種を段階的に漁獲。昨年から本操業)とともに、食品の放射性物質の基準値の2倍の厳しさの検査を、水揚げごとに市場の検査室で続けてきた(6月30日の『福島第一原発の処理水放出「後継者が展望持てる解決を 」相馬双葉漁協組合長・今野智光さん』参照)
「その証明書を私も出荷ごとに添付し、遠来の市場のバイヤーに見てもらい、スーパーの売り場でも、各地の福島フェアでも貼ってもらっている。でも最近は『顔写真の方がいい。送ってくれ』と言われ、直売所の農家のようにプロフィール入り顔写真を売り場に貼ってもらっている。顔の見える関係がずっと安心なんだ」
浜は次世代のコラボの時代
相馬の漁港は、松川浦の外洋への出口に位置し、森さんのルート食品も同じ景勝に面して立つ。「松川浦はノリの養殖が盛んだけれど、隠れた資源がある。岩ガキだ。食べさせてもらったことがあり、ミネラル分が濃くて『海のミルク』そのもの、本物のうまさだった。名物にしたいが、浦に『畑』(利用権のある場所)を持つ漁師しか食べられなかった。まだまだ活用されていない『宝の海』があるんです」。森さんは、その海が「地産地消」に生かされていく可能性に期待する。
飯塚さんも、「ぼくらの世代は、震災、原発事故を後継者として乗り越えてきた若手の漁師たちとも、仲の良い関係でつながっている」と言う。「漁師も、仲買人も、森さんのような浜の新しい仲間も、一緒になって相馬の新しい商品を発見し、開発し、全国の流通や消費者とつながっていけたら。浜もコラボの時代なんだ」
福島の漁業者たちは処理水放出に今もこぞって反対している。が、その声の陰には、しっかりと未来を見据える、たくましい次の世代がいる。漁業は衰退産業といわれるが、相馬では事情が違っている。彼らは言う、「まず、『宝の海』の魚を食べてみてほしい」ー。そこに、すべての答えがあるという。
・ループ食品【公式】(@loop_foods_soma)さん / Twitter
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