今年も東京国際映画祭が、10月24日から11月2日まで開かれます。カンヌ国際映画祭をはじめ世界の主要映画祭を取材している映画評論家の齋藤敦子さんが、石坂健治シニア・プログラマーに今年の「アジアの未来」部門の見どころを中心にインタビューしました。
町ぐるみで映画祭をやるきっかけに
――去年、日比谷・銀座エリアでの1回目の映画祭というか、復活「アジアの未来」をやってみて、いかがでしたか。
石坂:六本木は、ほとんど1つの建物で、町を歩くということがなかったので、映画館を移動して汗を大分かきましたが、ベルリンのような大都市型の映画祭というのはこんなものかな、と思いましたね。コロナのせいでフルサイズではなかったし、いろいろ問題はあるけれど、町ぐるみで映画祭をやるきっかけにはなったんじゃないか。その中で、どういう風にアジアの新人たちを多くの人に見てもらうかついては、まだ模索中です。
ただ、1年たって、結構公開作が出てきました。去年の台湾映画『アメリカン・ガール』が『アメリカから来た少女』という邦題で10月8日に公開されますし、日本映画の2本、『誰かの花』の方はもっと前に公開されましたが、もう1本の『よだかの片想い』が9月16日に公開されて好評だったり。アジアの未来から一般公開される作品が増えてきているので、長い目でみて、それも1つの成果が出てきたなという感じはしています。
――去年のアジアの未来の会場は、ヒューマントラストシネマ有楽町と角川シネマ有楽町でしたが、私はプレス試写のシネスイッチとプレスルームを縦に往復していたんで、横に移動できませんでした。ただ、プレスルームは広くなったし、窓もあって開放的になりました。
石坂:個々の場所は六本木よりよくなったと思います。あとは移動の動線ですね。そこは課題です。
――大部歩きました(笑)
石坂:私も1日2万歩とか平気で歩いてました。今年は去年よりもう少しフルサイズに近づきますし、上映まわりのイベントもどっと増えるので、どんな賑わいになるか。
映画へのコロナ禍の打撃は「地域ごとにでこぼこ」
――では、今年の作品について。去年も今年も10本で、去年も今年もすべてワールドプレミアですね。
石坂:はい、そうです。
――今年は西アジアが多いようですが。
石坂:全体から言うと、コロナのダメージが地域毎にでこぼこな感じがまだある。映画的にもコロナ自体を入れ込んで作っている映画もあれば、まったくコロナなんかなかったかのように作っている映画もあり、もう少し落ち着くと、新しい映画の世界が見えてくるかなという気がしています。結果的に、日本を含んだ東アジアが4本、中東が4本、南アジアのインドが2本、東南アジアがゼロでした。
――フィリピンやインドネシアからは全然応募がなかったんですか?
石坂:ありましたが、少ないし、今言ったダメージを一番感じたのは東南アジアでした。もともと少人数、低予算でうまく作るみたいな流れで、2010年代はいい作品がいろいろあったけど、ここに来て曲がり角を感じました。ただ、プサンのニューカレンツ部門には東南アジアがたくさん入っています。
――向こうへ行っちゃった?
石坂:こっちに応募してきて入らなかったものあるので、見る側の視点にもよるんですが、理由が1つあるとしたら、併設のフィルムマーケットです。プサンは今年フルサイズですが、TIFFCOMはオンラインということで、競り合った作品だとフィルムマーケットがどうなっているか聞いてくる製作者もいる。
――メリットの多い方へ行く?
石坂:と、考えた人もいるかもしれない。これは断定ではないですが。今は映画祭の後、世界にどうやって出していけるかが非常に大事なので。
――次のステップアップに使えるかどうかが関わってくる。
石坂:ただ、これは各国事情が違うので、結果としてそういうことが影響したのかもしれない、ということです。
党大会前の中国、検閲遅れの影響も
――中国は内モンゴルと香港で、本土がないですね。ロックダウンの影響でしょうか。
石坂:実はコンペにもないんです。今年は中国と韓国がほとんどないんですが、事情は全然違います。中国についてはロックダウンもそうですが、10月の党大会を睨んだ検閲の遅れがかなり影響している。逆に言うと、党大会が終わって検閲が再開されれば、来年は豊作になるかもしれません。
内モンゴルの『へその緒』のチャオ・スーシュエは女性監督です。この映画はすでに検閲済みのマークがついていました。
――監督はモンゴル人ですか?
石坂:モンゴル生まれで、勉強しているのはフランスです。出身地が内モンゴルとあるだけなので、民族まではわかりません。同じ内モンゴル出身で、以前アジアの未来で『告別』を上映したデグナーもイギリス留学だし、両人とも自治区出身の女性で、ヨーロッパで勉強してきて、外からの目線が入った切り口で故郷を描く、みたいなことは共通していますね。大草原で認知症の母親を世話する息子の話なんですが、息子は電子ミュージシャンで、パンクっぽい音楽をやっている。旧と新が共存しているところが新しい。
香港の大スターが共演する『消えゆく燈火』
――香港の『消えゆく燈火』はサイモン・ヤムとシルヴィア・チャンという大スター2人の共演ですね。
石坂:監督のアナスタシア・ツァンも女性です。新人監督が大スターを使うというのが新鮮で、非常にきっちり作っています。夫がやり残したネオンサイン、消えたネオンサインを復活させる話です。ネオンサインは古き良き香港の象徴で、そこにいろんな思いを込めているんだろうなと、これは深読みかもしれないですが。話自体は夫婦の愛情と、香港文化の継承です。
――こういう映画はホッとしていいですね。最近、石坂テイストを認めるようになりました(笑)
石坂:いやー、ありがとうございます。
イスラエルがまるごと分かる『アルトマン・メソッド』
――続いてイスラエルのナダウ・アロノヴィッツ監督『アルトマン・メソッド』。
石坂:中東は逆に、コロナのダメージがどこにあるのかわからない強さが各国にあり、10本全部が中東映画みたいなことになりかねない勢いでした。このイスラエル映画は、テロリストをやっつけた空手道場の主がヒーローになり、奥さんが夫の話のおかしなところに気づく。これが上手いんです、サスペンスフルで。結局テロリストって何?みたいになっていく。2時間サスペンスでありつつ、終わってみるとイスラエルという国がまるごと分かる。とても脚本が上手い。
――アルトマン・メソッドとは何のことですか?
石坂:2つの測定方法の一致性を評価するときに用いる分析手法のことです。
――去年、東京フィルメックスでベルリンの金熊賞を獲った『シノニムズ』のナダヴ・ラピド監督の『アヘドの膝』を見たんですが、とても面白かった。イスラエルは骨格がしっかりした映画を作りますね。
石坂:政治的に微妙なテーマにも助成金が出ます。日本のように、いちいち議論になり、炎上する、みたいなことがない。
――文化人だからこそ異議を唱えなければいけないという考えがあるみたいですね。
石坂:イスラエルは国家としてやっていることには問題があると思いますが、文化人たちの戦い方は映画を見ると非常によく分かる。
「おばあさんが歩いているだけ」?イラン映画
――次は『蝶の命は一日限り』というイラン映画ですが。
石坂:これはパンフにちょっと書いたんですが、書いた後で製作側からネタばれするなと言われた。これぐらいの情報はいいだろうと思って書いたら、それもダメと。徹底した長回しで、おばあさんが歩いているだけ、みたいな場面が続く。
――蔡明亮の歩く映画みたい(笑)。
石坂:映画の時間と一緒に、見る人にも事情が分かってくる。徹底したスローシネマ、長回しなんです。ラヴ・ディアスとか、今スローシネマを作る人が多いですが、イランにもこういう映画が出てきたという。
――でも、ラヴ・ディアスは別にゆっくり歩く映画じゃないですよ、いろいろ起こりますから。
石坂:いろいろ起こるわりに長い。この映画は短いです。スローシネマで78分。
故郷への思いと難民問題描くトルコ
――トルコは2本あって、ベキル・ビュルビュル監督の『クローブとカーネーション』は、難民の話ですね。
石坂:本土へ戻ろうとする難民がアナトリア地方でさまよう話なんですが、こっちはおじいさんです。
――老人もの、多くないですか?さきほどの『消え行く燈火』も、ある意味でおじいさんとおばあさんの話ですよね。
石坂:言われてみるとそうですね。『クローブとカーネーション』は孫娘の視点が入っているので、老人をじっと見つめるというのとはちょっと違う。もちろん、おじいさんの方は亡くなった奥さんを棺に入れて運んでいて、早く故郷に戻って埋葬したい。それで国境で止められて、ここで埋葬しろ、いや故郷で、というあたりのいざこざが1つのクライマックスになる。
――故郷の土地に対する思いが強いんでしょうね。故郷に埋葬されたい、故郷に埋葬してやりたい、みたいな。難民問題に繋がりますね。
石坂:散骨や風葬は東アジアの方に結構ありますが、またそれとはちょっと違う。日本でも戦後、南洋で死んだ人の遺骨を現地で埋葬するのか、日本に引き揚げるのかみたいな話がありました。
――たしかに日本人も遺骨を日本に戻してあげたいみたいなことを言いますね。
石坂:そういう意味では普遍的な話かもしれません。
マヒトゥ・ザ・ピーポー氏の監督作『i ai』
――『i ai』は何て読むんですか? アイアイ?
石坂:『i ai』はミュージシャンのマヒトゥ・ザ・ピーポーの監督作です。GEZANというバンドのボーカルで、YouTubeで曲も聴いたりできますよ。
――商業映画なんですか?
石坂:いや、配給はまだついてないと思います。
――有名な俳優が出ているので、お金がかかっているんじゃないかと思ったんですが。製作費はどうしたんでしょう?
石坂:どうしたんでしょうねえ(笑)映画の伝統的な文法とは大分違う作りです。基本は青春群像劇ですが、映像感覚がすごい。
――日本映画にはミュージシャンが映画を撮るという伝統がなきにしもあらずですが、その1本か、あるいは、マヒトゥ・ザ・ピーポーさんのアーティストとしての活動の一端でしょうか?
石坂:そっちに近いかな。今回は映像をやってみた、みたいな表現で、それはちょっとびっくりしました。見て感じてもらうしかない。
宗教や性的マイノリティー描くインド
――インドのアマン・サフデワ監督の『アヘン』は。
石坂:インドも2本あって、強いですね。『アヘン』は雰囲気としては、近未来のディストピアの短編を5人の監督が共作する『十年』というシリーズがありましたが、あれを1人の監督がやってるっていうイメージです。
――オムニバスみたいな?
石坂:単独監督のオムニバスです。5つのエピソードが全部宗教にまつわる話です。インドはヒンドゥーとイスラムが争っていますが、そういうことが根本にあって、非常に巧みに見せてくれます。コミカルなエピソードだと、宅配の配達員の女性が、豚肉を持っていったら断られ、じゃあ牛肉は、みたいなことになる。
――たしかに牛肉がダメな宗教と豚肉がダメな宗教がありますね。
石坂:全員仮面をつけた世界で戦争が起こってるディストピアものとか、5話とも面白いです。
――そういえば女性監督が多くないですか。
石坂:今年は女性3人プラス、インド映画の『私たちの場所』がエクタラ・コレクティヴという名の集団で監督した作品で、女性が入っています。LGBTがテーマですし、性的にいろんな人が混じっているようですね。
――女性、男性と分けるのも古い感じですね。何人くらいの集団なんですか。それも明らかではない?
石坂:はい。ただし、賞を出すときに監督の名前をつけられないので、審査員の許可は必要かなとは思ってます。美術ではアート・コレクティヴ・アートという形態がありますが。
――映画も監督ひとりのものかというと微妙です。
石坂:そこも含めて、テーマとしても性的マイノリティーの話だし、社会的なイシューに対して意識的な人達が、製作体制にも物語にも強く主張するものがあるということは感じます。この集団で2本目だそうなので、どういう由来のチームがこういうテーマで映画を作っているのか聞いてみたいですね。作り方としても新しいし、中身も面白いです。
朝井リョウ氏原作の連作短編を映画化
――2本目の日本映画、中川駿監督の『少女は卒業しない』ですが。
石坂:これは、河合優美主演で、『桐島、部活やめるってよ』の原作者の朝井リョウが、次に書いた連作短編の映画化です。卒業式前の1日を7人の女子高生がどう過ごしたかという。
――ちょっと『桐島』っぽいですね。
石坂:原作小説は1人ずつ7章にエピソードが別れているのを、映画は1つの世界にしている。グランド・ホテル形式的に。これが非常にうまい。
トルコ発「新感覚女性映画」
――最後は、もう1本のトルコ映画『突然に』ですが。
石坂:これまでの中東映画3本は、戦争とか内乱絡みなんですが、これは本当に新しい、新感覚女性映画です。男の私が言うのもなんですが。監督も女性で、話としては、久々にトルコに戻ったら、匂いがない、嗅覚がない、ということで生活が破綻して家を出る。ただ、それだけが理由じゃなくて、いろいろ抑圧されてきた女性が家を出る<人形の家>みたいなパターンですが、別の場所で生き始めるうちに、いろんな欲望や感覚が解放されていく。女性性の全肯定みたいな映画です。
――女性映画と呼んでもいい?
石坂:いいです。これこそ女性映画。欲望の解放というとセクシュアリティの匂いもあるけど、それを含めて、もっと人間の意識を含めた感覚が解放されていくという話で、これまでなかったタイプの映画です。
――トルコというと、古い伝統社会で女性は男性に抑圧されてという話が多かったですね。
石坂:そこから一歩踏み出して、真の人間の自立とは何?みたいなところまで来ている映画だと思います。
――石坂さんのお薦めは?全部って言われそうですが。
石坂:アジアの未来の“未来”にこだわるのであれば、コレクティヴの『私たちの場所』とか、新鮮な映像感覚の『i ai』、新しい女性映画の『突然に』ですが、香港伝統のネオンをどう復活させるかという『消えゆく燈火』もまた、逆に新しいと思います。
――私は、おばあさんが歩いているだけというイラン映画を見てみたいと思います。
ありがとうございました。
(取材:齋藤敦子/9月28日、東銀座の東京国際映画祭事務局にて)
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