石坂健治SPと振り返る東京国際映画祭2024

今年も10月下旬から11月上旬にかけて開催された、東京国際映画祭。国内外の映画祭を取材しTOHOKU360に寄稿してくれている字幕翻訳家・映画評論家の齋藤敦子さんが、今年も石坂健治シニア・プログラマー(SP)に独占インタビューしました。

新人にも勢い。イラン3連覇

――なぜミシガン大学に行ったんですか?

石坂:トヨタ財団のスカラシップで、招聘教授の話は前からあったんだけど、コロナで延び延びになっていました。こちらは新学期が9月からなんで、アジアの未来の作品選定を終えてから旅立ちました。新学期から来年までの予定で、今は授業を週3日やったりで、忙しくしてます。

――何を教えているんですか?

石坂:日本映画史です。

――日本語で?

石坂:英語です。この年になって初体験なので、勉強と準備で毎日右往左往してます。

――凄いですね。では、まず去年のアジアの未来の感想を。

石坂:気がついたらイランが『マリア』で3連覇したんですね。前の年も前の前の年もイランが作品賞で、強いです。

――もうイラン・ニューウェーブは収まったと思ってたんですが、新人の方は強いですね。

石坂:強いです。それにみんな新しい映画の話法というか文法を持ってくる。それにプラスして、キアロスタミなど先達に対するリスペクトもあり、しっかり勉強していて、社会的にもいろんな問題もありで、気がついたら3連覇でした。

中国の流れが加速

――イランの他には気がついた国はありました?

石坂:コロナで詰まってた中国映画がどっと来たのが去年で、今年もその流れがむしろ加速しているんじゃないかとすら思えますね。他の部門も含めて中国映画が多いでしょう?

――そうですね。市山さんも同じことを言ってました。今年のコンペは大陸3本、台湾1本、香港1本で5本もあるんです。

石坂:こっちも香港まで入れると3本です。

――では、個々の作品について伺いたいと思います。

 イラン映画が強いとおっしゃっていたんですが、今年のイラン映画は?

石坂:イランは2本ありまして、モハッマド・エスマイリの『冷たい風』と、アシュカン・アシュカニの『春が来るまで』です。

――イラン対中国なんですね。

石坂:中国も作品賞を3回獲っているので、アジアの未来は今年11年目だけど、この2カ国で賞の半数を占めています。

全編主観ショット

――中国はシステムが出来てますが、イランはどういう形で新人が出てくるんでしょうか。

石坂:国立の芸術大学があって、キアロスタミなどの才能を多数輩出したけれども、むしろ今年の監督は、ずっと撮影監督だったり、業界でキャリアを積んでいて、いよいよ監督に進出、みたいな人たちです。

――『冷たい風』というのはどういう映画ですか?

石坂:これはモノクロ映画です。今回は日本映画にもモノクロ映画が1本『黒の牛』がありますが、モノクロという時点で美学的な選択じゃないですか。この作品もそうで、ほぼ全編1人の人間の主観ショットで展開する。殺人事件を追うサスペンスものなんです。

――全編主観ショット?

石坂:ほぼ全編。今年の10本はそういう斬新な映画話法で勝負するタイプと俳優の演技を見てくださいというタイプに大別されてて面白いんですが、これはまさに映画話法でどこまで行けるかみたいな作品です。それに、エスマイリさんは『クローズ・アップ』というキアロスタミの映画に影響を受けたと公言されていて、キアロスタミを尊敬している人です。

――私、字幕をやりましたのでよく覚えています。本人たちが本人を演じた偽ドキュメンタリーですね(笑)

石坂:キアロスタミとマフマルバフ(父)と偽マフマルバフが出てくる。あれから30年くらい経っているんだけど、しっかりこういう若手が受け継いでいる。主観ショットでモノクロとか、その心意気は私は買いたいです。

夫の自殺見つめる妻『春が来るまで』

――新人らしい、意欲的な映画ということですね。イランの2本目、『春が来るまで』は?

石坂:『冷たい風』は、登山隊が遭難して捜査が始まるみたいな男ばかり出てくる映画なんですが、『春が来るまで』は本当に女性映画です。自分の目の前で夫が自殺して茫然自失とする奥さんがどうやって回復していくかを非常に繊細に描いています。彼女は夫が死んだと周りに言えない。言えないのには、家族の問題や女性のおかれた立場など社会的な原因がいろいろあるんですが。1人の女性が絶望からどうやって希望に向かっていくかをずっと追いかけた映画です。さっきの山の話とはまったく違うけれども、いい映画です。

――アシュカニ監督は女性ですか?

石坂:男性です。この人は現場経験が豊富で、何十本も撮影監督をしています。長編劇映画だけで20本やっていて、さすがにカメラマン出身という感じ。監督としては1本目ですが。

ロヤ・サダト監督の『シマの唄』はイランの隣のアフガニスタンの映画です。イラン映画にもアフガン難民の話がよく出てきますよね。

――キアロスタミの映画にもアフガニスタンの人が出てましたね、『桜桃の味』だったかな。

石坂:マフマルバフの『サイクリスト』もアフガン難民が主人公でしたね。サダトさんは女性監督で、1978年のアフガニスタンを舞台にしています。この頃はまだ親ソ連の共和制なんですが、同じ年に軍事クーデターのいわゆる「四月革命」が起こって社会主義政権になり、それに対立するムスリム勢力が蜂起する。そしてソ連が介入を強めて翌79年の年末に侵攻してくる、という複雑な時代背景があります。

ブルカ以前のアフガニスタン

――平和な頃のアフガニスタンなんですね。平和と言っていいのか分かりませんが。紛争に巻き込まれる前というか。

石坂:設定は78年で、女性がまだブルカを被ってない頃です。だから、その時代をどう見るか、みたいなところから始まって、女子大生2人が時代に翻弄されていく。1人がムスリム、もう1人が金持ちの共産主義者の家の令嬢という対象的な2人の女子大生の70年代とその後を描いた、かなり大胆な、というか大規模な話です。

――ソ連の侵攻の直前の78年の設定?

石坂:とはいえ親ソの政権ではあった。ソ連軍は結局アフガニスタンに10年いました。土本典昭監督に『よみがえれカレーズ』という80年代のアフガニスタンを取材したドキュメンタリーがありますが、88~89年にかけてソ連軍が撤退していく様子が捉えられています。『シマの唄』に続けて観ると興味深いです。

――以上がイランとアフガ二スタンで、中東はトルコのエミネ・ユルドゥルム監督の『昼のアポロン、夜のアテネ』がありますね。

石坂:これも女性監督ですが、導入部分としてはヴェンダースの『都会のアリス』みたいに、古い写真を見てその場所を探していく。母親に捨てられたと思っている主人公が、昔、母親と一緒に写っている写真が1枚だけあって、そこがギリシャ遺跡みたいな町なんです。ギリシャ遺跡といってもトルコ側にもあるわけですけれども。その地中海の古い遺跡の町で母親を探すという話です。ネタばれになるのであまり言えないですが、イスラム圏には珍しいファンタジー要素が入っていて、途中でいろんな不思議な人たちに出会いながら、彼ら彼女らが背中を押して、このヒロインが母親を探しながら自分の人生を考え直していく。この辺はなんとなく『おもひでぽろぽろ』みたいなアイデンティティー探しの感じもあります。

文芸、文学に造詣深いジェイラン

――トルコというとヌリ・ビルゲ・ジェイランが国際的にはすごく有名ですが、イランではキアロスタミが出てきたときにみんなキアロスタミっぽい映画を撮った時期があったように、トルコにもそんな感じがあるんでしょうか。

石坂:どうなんでしょうね。ジェイランは文芸とか文学に造詣の深い人ですし、ジェイランっぽいトルコ映画はそんなに出てきてないような気がしますね。ジェイランとは違うけど、洗練の極みみたいなトルコ映画が今年は多かったですね。ヨーロッパ的というとちょっと違うんだけど、静かにまとまって、しっかりと物語を物語るみたいなものが多い。これもそっちの方ですけど、でもファンタジーの要素が入っている、イスラム圏ではなかなか珍しいタイプの映画だと思います。

――次は中国を。チャン・ジーアンの『幼な子のためのパヴァーヌ』という映画は?

石坂:実は中国ではなく国籍はマレーシアです。チャン・ジーアンは中華系ですが。今年は華人とか華僑の映画というのが複雑で、この『パヴァーヌ』もマレーシア国籍だけれども監督はじめスタッフ・キャストの多くは中華系ですし、蔦哲一郎監督の『黒の牛』には台湾のリー・カンションが出ていたり、そういう乗り入れというか、パンパシフィックじゃないけど、汎アジア的な映画が増えています。

マレーシアの赤ちゃんポスト

――いい傾向のような気がしますね。

石坂:だから面白いです。この『幼な子のためのパヴァーヌ』はその代表みたいな映画で、設定としてはマレーシアの赤ちゃんポストの話なんだけど、そこで働いている女性スタッフがマレーシアの女性の立場を表明していく。赤ちゃんポストでいえば、是枝裕和監督が韓国で撮った『ベイビー・ブローカー』がありましたね。チャン監督はマレーシア国内よりもむしろ台湾の金馬奨なんかにいつもノミネートされている中華系、主演の女優は香港の人で、かつてのヤスミン・アハマド作品みたいなマレーシア映画ではなく、ちょっと新しいです。

――マレーシア映画も国際化してるんですね。監督のチャン・ジーアンさんは女性なんですか?

石坂:いや、男性です。この作品で3本目で、過去の2作、1本目は金馬奨の新人賞を受賞、2本目の『スノーイング・ミッドサマー』はヴェネチア映画祭のベニス・デイズに出ています。

理不尽な規制描く『三匹の去勢された山羊』

――では純粋な中国映画はイエ・シンユー監督の『三匹の去勢された山羊』とワン・ディー監督の『海で泳げない鯨』の2本で、それに加えてジェフリー・ラム、アントニオ・タムの『赦されぬ罪』が香港映画で、中華系が4本?

石坂:台湾がサポートした蔦さんの『黒の牛』を入れると5本です(笑)

――イエ・シンユー監督の『三匹の去勢された山羊』はどういう映画ですか?

石坂:数年前の状況を描いたものです。西安のある陝西省の山の村で、商売で山羊を三匹運ばなきゃいけないところに規制が厳しくなって身動きがとれなくなるおじさんたちの話です。

――スチル写真で、携帯で話をしているおじさんが飼い主ですか?

石坂:山の村で山羊を仕込んでまた町に戻らなきゃならないんだけど、足止めをくらったり身動きとれなくなったりという、あの頃よくあった話だと思うんですけど、それをきっちり劇映画にしている。

――喜劇ですか?

石坂:強いて名付ければサタイヤー(風刺劇)かな。あるいは初期の今村昌平や森崎東は「重喜劇」と呼ばれるけど、あんな感じ。規制したがる側と、やってられない庶民の側と。

――イエさんはどこから出てきた人ですか?

石坂:この人はデビュー作だけど、まだ20代です。故郷の話をネタにして撮った。

――では『海で泳げない鯨』のワン・ジーさん。

石坂:実は国籍としてはアメリカ映画なんです。

――えー、本当ですか?

石坂:舞台は中国ですが、製作にアメリカが入ってるんです。本国での公開はたぶん気にしないで、アメリカ映画として登録してます。今年の映像美学系の代表的な1本です。

――ワン・ジーさんも国籍はアメリカなんですか?

石坂:いいえ、中国の少数民族です。

――では少数民族の話?

石坂:話はエスニックに関係なく、ある青年と少女がある架空の町で出会って別れるまでを、大きな事件も起こらずに3時間。

――凄いですね、よくアメリカがお金を出しましたね。

石坂:監督は少数民族出身だけど、大学が雲南芸術大学といって、実は知る人ぞ知る中国ドキュメンタリーの虎の穴というか一大拠点で山形映画祭なんかに作品が来ています。で、雲南芸大を出てからすぐ作り始めたみたい。いわゆるスロー・シネマに近くて、物語性は希薄です。ただラヴ・ディアスのような政治性みたいなものはそんなに感じない。青年と少女だけで3時間、なかなか大したものだと私は思います。雲南学派に期待です。

――鯨は出てこない?

石坂:それは見てのお楽しみで(笑)。しかし今年は動物のタイトルが多いですね、山羊とか鯨とか、牛もある。

――蔦さんの『黒の牛』ですね。

石坂:牛は牛でも禅の「十牛図」の牛で、結構スピリチュアルなものです。

アンソニー・ウォンの『赦されぬ罪』

――では、ジェフリー・ラム&アントニオ・タム監督の香港映画『赦されぬ罪』。

石坂:この映画は美学系とは逆に俳優系というか、とにかくアンソニー・ウォンの演技を堪能してくださいという作品。アンソニー・ウォンは最近は『淪落の人』での車椅子の人とか、役柄を広げている感じがあります。今年は審査委員でジョニー・トー監督が来ますけど、あの頃の役柄とは大分違う感じになってきてる。

――スチルとみると顔にかなり皺が寄ってますよね。

石坂:プロテスタントの悩みのある牧師の話です。娘が死んだ原因になった犯人が出所して出てきて教会に身を寄せるんですけど、彼をどう扱うか。父親としては復讐したいし、牧師としては赦さねばいけないところで引き裂かれる。監督は若い、20代の男子2人なんで、よくこんな重厚なテーマを撮ったなと。

――昔の香港映画っぽい感じはするんですか。アンソニー・ウォンが出てくると香港ノワールを連想しますが。

石坂:香港映画的な部分で勝負するのではない普遍的な作りになってますね。むしろフェリーニの『崖』とか、ヒッチコックの『私は告白する』とかの悩める牧師、神父の映画に近いと思います。ブレッソンの『田舎司祭の日記』とはまた違いますが。

――アクションを期待しちゃダメということですね。

石坂:そうそう(笑)

新人離れした蔦作品『黒の牛』

――では、蔦さんの『黒の牛』を。

石坂:日本映画は2本ありまして、図らずも共通しているのはスピリチュアルな映画、まったく違う方向なんだけど、霊的な映画なんです。

――スピリチュアル?

石坂:『黒の牛』の方は、もともと仏教説話に「十牛図」というのがあるんです。最初は北宋時代の禅僧が書いたと言われていて、仏教絵画なんですが、野牛を捕まえて、飼い慣らしていく人間がどうやって悟りを開くかを十枚の絵で順に描くというのが昔からあって、それがベースになっていて、リー・カンションが人と牛との関係を十の段階で演じていく。理屈で言えばそうなんですが、もっともっと自由な映画です。

映画とは離れますが、私は中島敦の小説「名人伝」のような世界を思い出しました。あれは弓の修行をして名人になっていく人物の話で、獲物に目を向けただけで獲物が射られて勝手に落ちてくるみたいな凄い境地に達するんだけど、それはまだ道半ばで、実は名人になったあとが肝心というか、最後の最後は弓矢を見て「それ何?」とすべてが真っ白になった忘却が最高の境地であるというラストまでいく。ああいう説話と共鳴する東洋哲学が感じられる作品です。そういえばタイのアピチャッポン監督も中島敦のファンでしたね。

――まさかリー・カンションはお坊さんの役ではないですよね、お坊さんになって歩くツァイ・ミンリャンの映画がありましたが。

石坂:狩猟民族の男という設定。狩猟民が牛を捕まえて農民になって変身していく、それが十牛図に基づくということで、蔦さんらしい独特の作風です。彼はアジアの未来部門が最初に出来た2013年に『祖谷物語ーおくのひとー』で作品賞を争ったんです。結局中国映画が獲ったんだけど、ぎりぎりのいい勝負で、審査委員には青山真治監督が入っていた。蔦監督は黒沢清や青山真治をしっかり勉強しているのが分かる一方で、科学者の役で河瀬直美監督が出演していたりで、青山さんの感覚からすると、なぜこの両方が両立するんだと。そこが新しいんじゃないですか、と映画祭が終わってから青山監督と議論した覚えがあります。今度は台湾のリー・カンションをひっさげて、またモノクロでしょ。

――目のつけどころが、ちょっと新人離れしてますね。蔦さんはこれが3本目ですよね。これがアジアの未来では最後のエントリーだから、次はコンペを目指さないと。

石坂:お客さんがどういう風に見るか、すごく楽しみです。

静かに背筋が寒くなるようなホラー

――では次の日本映画『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』を。

石坂:よくJホラーと言われますが、静かに背筋が寒くなるような、ワッと驚かすのではない映画。

――ホラー映画ですか?

石坂:ホラーだけども、かつて失踪していなくなった弟を訪ねて、残された人間たちが探していくという物語。ぼろぼろのVHSテープがキーワードになってて、なかなかいいですよ。ざらついた画面とか。

――『リング』の貞子みたい(笑)

石坂:ビデオテープの粒子の粗い、ざらざらしたなかにボーっと怖い物が写っている、そういうテイストです。ある意味すごく美学的で哲学的でもあります。

――美学的で哲学的?(笑)。見なくちゃ分からないということですね。監督の近藤亮太さんはどこの出身ですか。

石坂:近藤さんはCM制作の会社にいらして、映画美学校にもう一度入って、そこで高橋洋さんに師事したそうです。

――なるほど、それでホラーに来たわけですね。

石坂:ざらついた画面の感じは高橋洋的なものがあるかもしれない。それと本作の総合プロデュースが『呪怨』の清水崇監督。リング+呪怨を吸収した次世代が登場してきたというのはある意味すごいことでしょう。アメリカにはJホラー好きが多いので、授業でそういう話をしたら学生たちが「アメイジング!」と興奮してました(笑)。

――今年は中国、イラン、日本で占められていて、いつもなら入ってそうなフィリピンやインドネシアやインドの映画がないですね?

石坂:東南アジアはちょっと一息入れちゃってる感じかな。応募自体もあまり多くないし、次の波がいつくるか。才能はいろいろ育ってるとは思いますが。

――韓国は?

石坂:韓国はいつもあんまりないですね。良作をワールドプレミアで取るのがなかなか難しい。でもKOFIC(韓国映画振興委員会)は協力的でいろいろ紹介してくれるので感謝してます。

多様な国が乗り入れるアジアの未来

――プサンのすぐ後ですから、あそこで止まっちゃうことが多いんでしょうね。市山さんとは韓国映画界の窮状みたいなことはちょっと話をしたんですが、プサン映画祭は過去に戻って地味になっているし、新しい才能は沢山いるでしょうが、お金を稼ごうとすると配信の方に行ってしまうのかもと。

石坂:配信は全世界的だし、今日の話でいうと、いろんな国の人が乗り入れて映画を作れるようになってきているんで、だんだん変わっていくでしょうね、アジアの未来も。

――私が気のついたのは才能のシャッフルがあることです。蔦さんの映画にリー・カンションが出たり、チャン・ジーアンの『幼な子のためのパヴァーヌ』がマレーシア映画っぽくなかったり。中国で言えば、香港映画はいったいどこに行くのかみたいなのがあるし、台湾は圧力に負けないでがんばって欲しいというところがあるんですけど、石坂さんは、今年アジアを全体的に見て、去年と変わりつつあるところは?

石坂:今言ったことは大きいですね。国籍とか国家とかを越えたような映画が増えてきたときに、どうなっていくのかなっていう。蔦さんの映画も台湾がサポートしてリー・カンションが四国の山の中で牛を操って畑を耕すみたいな。面白いですよね。中国のワン・ディーもアメリカ資本で撮っているし。

日本の若い映画人を後押しする枠組みが必要

――創設以来、アジアの未来も変わってきたと思いますが、これからの展望みたいなことがあれば。

石坂:今日ずっと話してたようなこと、ポストコロナで日本の外では相互の乗り入れとコロナ後のテーマ探しみたいなもので活性化してくるだろう、では、日本映画界はどうあるべきか、日本の若い映画人をサポートする枠組みをどうやったら作れるか、みたいなことを、国外に出るとすごく考えるようになりましたね。

――アジアの未来を最初から見てきた私の視点では、作品的にはだんだん垢抜けてる感じがします。ただ素朴な感じ、今年は特に新人らしい素朴な感じが減ってきて、みんな上手になってるなと。

石坂:それは当たってますね。アジア映画は本当に洗練されてきましたね。

――ただ、昔の素朴な感じが懐かしい気がしないでもない。

石坂:ユルさの中に面白さがあるみたいな。そっちの方はなかなか出会う機会は減ってきてるかもしれない。

――配信とかできちゃって、映画業界がグローバリゼーションの中に飲み込まれて、ユルさとか言ってると蹴飛ばされちゃう(笑)

石坂:物語は破綻しているけど勢いがあるからまあいいや、許しちゃおうみたいな、そんな感じは成立しにくいかもしれない。

――洗練されたのはいいことだけど、ユルさが成り立たない世知辛さもあるな、と。私の個人的な感想でした。では最後に締めの一言を。

石坂:今年の10本だけじゃなくて、本当に“アジアの未来の未来”の世代の作品がじゃんじゃん応募してきていて、次あたりはちょっとその辺が入ってくるんじゃないか。PFF(ぴあフィルムフェスティバル)も中学生監督の入選作があったと話題になってたけど、応募作で言うと、高校生監督とか、それに近い感じにはなってきている。だからアジアの未来の未来に大いに期待してます。

――ありがとうございました。

(10月22日、東京と米ミシガン州アナーバー市を繋いだZoomによるインタビューにて)

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