【2023被災地発】帰還困難区域・浪江町津島で13年目の「解除」 生きたい、築200余年の家と共に新たな開拓民として(前編) 

寺島英弥(ローカルジャーナリスト・名取市在住)】福島県浜通りの原発事故被災地には、高い放射線量が残り、いまだに立ち入ることも住むこともできぬ「帰還困難区域」がある。そこに国は、一部の地域を除染して「まち」機能を再生し、居住を促す「復興再生拠点」(4町2村で指定)を整備し、避難指示を相次ぎ解除している。その一つ、浪江町津島地区のある住民が帰還の選択をした。わが古里で、築二百余年の家で生きたい―。12年間募らせた思い、そしてこれからを、原発事故裁判の法廷と津島の自宅に訪ねて聴いた。  

津島しか帰る場所はない 

東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から13年目の「あの日」から1週間が過ぎた3月20日の午後3時。紺野宏さん(63)は仙台高等裁判所(仙台市)の法廷にいた。 

原発事故で帰還困難区域とされた福島県浪江町津島の住民631人が、国と東電に地区の完全除染による原状回復などを求めた「ふるさとを返せ 津島原発訴訟」の控訴審(昨年11月14日の記事『原発事故から11年の帰還困難区域・浪江町津島「ふるさとを返せ」住民たちの終わらぬ訴え』参照 )。原告となった住民たちが傍聴席で聴き入る中、口頭弁論に立った紺野さんはこう語った。 

「私は原発事故翌12年4月、何があっても自分は津島に戻る、と大きな場で決意を表明しました」。浪江町の避難所があった二本松市でのNHKの公開収録の場だったという。当時50代の自分が、新しい土地で人間関係を築くのは難しいと思われ、まして80歳だった母禮子さんをそのような環境に置くことはできない、と。 

津島「ふるさとを返せ」裁判後の集会でマイクを握った紺野さん=2023年3月20日、仙台市

「そのころ、全国に避難した津島の知人から、避難先で『税金泥棒』などの心無い誹謗中傷を受けて生きた心地もしないまま、ひっそりと暮らしている、という話をたくさん聞いていた。自分たち家族には、津島しか生きる場所はないのだと直感的に思っていました」 

紺野さんは南津島上(かみ)行政区長を務める。地元が震災・原発事故に巻き込まれたのは11年3月12日朝。津波被害もあった浪江の町の人々が原発事故の発生を知り、山あいの津島地区に逃れてきた。紺野さんらは地区の集会所を開放。温かいおにぎりやみそ汁、休息の場を約200人に提供し、地元挙げて支援した。住民は国、県から放射線量の異変などの情報を全く知らされず、故馬場有町長の決断で避難したのが同15日だった。 

紺野さんは両親を関東の親戚に預けた後、酪農を営む自宅へ、子牛を含め35頭の乳牛の世話に戻った。死なせるわけにいかず、餌をやり、売り先のない乳を毎朝搾りながら、引き取り先を懸命に探したという。県南の岩代町、西郷村に見つけた空き牛舎に無事に移した後の6月から、不動産業者から紹介された郡山市内のアパートに妻幸代さんと避難していた。「いいことを言ってもらえた」「心に支えになる」―。テレビで紺野さんの「決意表明」を見たという津島の同胞たちから伝えられた。 

バリケードで閉ざされた帰還困難区域=2022年8月、浪江町津島

自宅再生が新しい人生の目標に 

「そのころ私も、(震災前から通っていた本宮市の)職場にアパートから往復する生活になり、便利だけれどメリハリのない毎日を送っていました」 

「(標高約450メールの山あいで)不便で厳しく忙しいけれど、充実した津島での生活が私の脳裏によみがえりました。春夏秋冬の移り変わりを身体全体で感じることのできる津島の豊かな自然、年中行事を通じた地域の住民との交流、先祖代々受け継がれる歴史と文化の重み。津島の生活は厳しい面もありましたが、私にとって『生きている』という実感を日々、感じることのできる場所でした」 

「そこで私は、築200年以上の津島の自宅を改築し、避難解除になったあかつきには、実家に必ず戻るという不退転の決意をしました」 

紺野さんが法廷で語った「年中行事」、「先祖代々受け継がれる歴史と文化」の象徴こそが「津島の田植踊」(県重要無形民俗文化財)。上津島、下津島、南津島、赤宇木(あこうぎ)の4地区に伝わる小正月(1月14日ごろ)行事で、鍬頭(くわがしら・差配人)の口上に続いて一年の農作業を唄と踊りでなぞり、豊作を祈願する。200年前から地元の男衆に演じられてきたが、原発事故で住民の離散後は稽古に集うこともできなかった。南津島の当代の庭元(座長)を務めるのが紺野さんだ。 

原発事故前、紺野宏さんを庭元に演じられた「南津島の田植踊」=紺野さん提供

津島原発訴訟の一審、福島地方裁判所であった意見陳述に立ったのが、「上津島の田植え踊」と、同じく伝統芸能「三匹獅子舞」の庭元である今野正悦さん(73)だった。今野さんで18代目、築300年という由緒ある自宅も朽ちるままで、2年前に解体の決断を余儀なくされた。「とどまるも地獄、行くも地獄」「無理やり失わされた故郷」と断腸の思いを法廷に響かせた。 それから昨年7月、避難先で力尽きたように亡くなった。「原発事故がなかったなら…」と誰もが思ったという。

座敷での三匹獅子舞の最後の稽古実演、自宅から太鼓、衣装の箱をトラックに載せて運び出す今野さんらの姿が、住民有志が企画、ドローンと現地の映像で制作したDVD「ふるさと津島」(代表・佐々木茂さん)に記録されている。『庭元である旧家の解体は地域文化の終焉を意味します』『郷土文化の継承も危ぶまれているのです』という痛切な悲鳴のようなテロップとともに。 

仙台高裁の口頭弁論で紺野宏さんが語った「不退転の決意」の背景には、「終焉」の瀬戸際にある伝統芸能の継承者・庭元としての強い思いもあったに違いない。しかし現実には、「避難指示解除になったあかつきには」という希望がかなう可能性は遠かった。帰還困難区域は、立ち入りとともに居住そのものを制限し、家が朽ちていく前に改築をしたいと思っても、協力してくれる業者はいなかった。 

「どこの建築業者に相談しても、除染の目途が立たない限り工事は引き受けられない、と断られ続けていました」(口頭弁論から) 

つるに覆われた古い農家の長屋門=2023年4月1日、浪江町津島

その状況が変わったのが17年12月。国が、浪江町にある帰還困難区域の一部、計3地区で「復興再生拠点」を整備し、避難指示を解除する計画を認定し、そこに津島地区の約153㌶が含まれた。津島の復興再生拠点は、除染を施し、役場の新しい津島支所、つしま活性化センター(住民の交流施設)、公営住宅(新設10棟)を中心に、居住促進、農業再生のゾーンを設ける計画。その面積は、帰還困難区域になっている津島地区全体のわずか1・6%に過ぎないが、そこに築二百余年の家がある南津島の近隣も入ったのだ。それからの紺野さんの行動は、自宅の再生が新しい人生の目標になったように迷いなく、早かった。 

「懐かしい未来」はぐくむ場 

  • 20年12月 ボーリング業者に井戸掘りの工事を依頼
      自宅の設計請負契約を結ぶ 
  • 21年7月 解体作業を開始~母屋は柱、屋根、梁を残して内装全体を解体 
  • 22年12月 母屋の改装工事を完了 

母屋の改装は、新築と比べて倍近くの費用が掛かり、工期も1年半余りと、新築の3倍の月日を要した。工事の間、紺野さんは浪江町に立ち入り許可の申請をし、毎週末に郡山のアパートから南津島の自宅まで片道約50分の道を通った。国は復興再生拠点エリアの道路や沿道の林地の除染、建物の解体や除染を進めていた。 

「(自宅に到着後)朝9時半ごろから、現場監督や大工、左官、電気工事業者などと工事の進捗状況の確認、施工の変更の打合せを行い、その後に(注・除染が行われた)田畑の手入れ(保全管理)の作業を行い、夕方まで津島で過ごしました。自宅に出向く際は、途中にあるコンビニエンスストアで昼食用の弁当を購入していました」(口頭弁論から) 

長期避難の間に草木に埋もれた家=2022年8月、浪江町津島

原発事故まで酪農を営んだ牛舎も解体せず改装工事を施し、昨年6月に完成した。むろん、それらの工事に多額の費用が掛かった。紺野さんは東京電力から家族に支払われた賠償金を元手に、農協からの融資を得て賄った。お金にも代えられないものが、津島の自宅にはあるという。それは古里の家でなくてはならぬ、「懐かしい未来」をはぐくむ場、とも呼べるものだった。紺野さんは法廷でこう語った。 

「私は最近、夢を見ます。自分が突然死んでしまう夢です。私には引き継ぐ子供がいません。私がこんなに苦労して津島の家を再生させても、自分が死んだらどうなるのだろうか? 夜中に寝汗をかいて、はっと目が覚めます。 

しかし、私には妻と4人の兄弟姉妹(次姉は死去)、8人の甥、姪がいます。私が津島に戻って住むことについて、大変喜んでくれています。兄弟姉妹にとって、自分が生活した家であり、甥、姪は子どものころ、8月に帰省して、母屋の大広間に男部屋、女部屋に分けて、それぞれ10人ほどで雑魚寝をした楽しい思い出がある家です。 

そんな家が残ることを親族は、とても喜んでいます。私が死んだ後、甥、姪をはじめとした子孫が、年に1度でも掃除に訪れてくれればよいと思っています」 

(後編に続く) 

*TOHOKU360で東北のニュースをフォローしよう
X(twitter)instagramfacebook

>TOHOKU360とは?

TOHOKU360とは?

TOHOKU360は、東北のいまをみんなで伝える住民参加型ニュースサイトです。東北6県各地に住む住民たちが自分の住む地域からニュースを発掘し、全国へ、世界へと発信します。

CTR IMG