【ウクライナ人ジャーナリスト特別寄稿】「100日+8年」続くロシアとの戦争 世界中の支援で苦難に耐え  

 2月14日に始まったロシア軍のウクライナへの侵攻は、開戦から100日を過ぎ、攻防は激しさを増すばかりだ。両国の因縁と相克の歴史についてTOHOKU360に寄稿(3月21日)したウクライナ人ジャーナリストから、爆撃と避難の日々に耐える同胞の思いを伝える続報が届いた。人々を支えているものとは?(原文英語、訳・寺島英弥) 

 ブチャの惨劇が決意の転機に 

アンドリー・バルタシェフ/ウクライナ人ジャーナリスト(米ニューヨーク在住)】ロシア軍がウクライナに大規模な侵攻を始めた2月24日から数えて「100日」と多くのメディアが報じた。だが、思い出してほしい。戦争は100日前に始まったのではない。それは8年前の2014年にさかのぼる。クレムリン(ロシアのプーチン政権)がウクライナのドネツク、ルガンスク両州(ドンパス地方)の親ロシア派勢力を支援し占拠した年だ。黒海沿岸の美しい半島、クリミアにも派兵し、名ばかりの住民投票でロシアに併合した。以来、ロシアとの戦いは一秒も止んでいない。だが不幸なことに、その事実は世界からあまり知られていない。  

ロシア軍が侵攻を進めていた過去100日の間、彼らのやり方や魂胆は誰の目にも明らかになった。戦闘の結果、ロシア軍の占拠から解放された領土での身の毛のよだつ現実である。何千人もの市民の殺害、略奪、レイプ、処刑―。そして、こんな風に言われるようになった。「ロシア人は兄弟などではない、と2014年にわれわれウクライナ人は理解したが、2022年にはより明白になった。普通の人々でさえなかった」 

世界中のメディアで見られた、首都キーウに近い小さな町、ブチャからの映像がそれを象徴する。路上で殺されていた市民たち、背中で手を縛られ頭を撃たれた地下室の遺体、両親の眼前でレイプされた子どもの話…。これらの出来事がウクライナ人の決意の転機になった。どんな犠牲を払おうと、ひとえに勝利する以外に戦争は止められない、と。 

現実に、ウクライナ人は代償を払っている。(現在の主戦場)東部地域の多くの町々が徹底的に破壊された。第2の都市で私の故郷ハルキウは、ロシアとの国境に近く、いくつかの地区は砲撃で灰になるまで焼き尽くされた。既に数千人の市民、そして何百人もの子どもたちの命が失われた。ウクライナ軍の損失は公表されていないが、毎日の戦闘で60~100人が戦死しているとゼレンスキー大統領は語る。だが、そこから何を知るだろう。そうした犠牲にも関らず、ウクライナの戦闘員たちは勝利を目指し士気高いままだ。 

世界に広がったウクライナ支援 

幸い、ウクライナには友人が多い。海外にいると、ウクライナへの応援が文字通りどこでも感じられ、青と黄の国旗をどの通りでも見かける。私がいる米国ニューヨーク市の海岸の名所、ブライトンビーチ(ロシア、ウクライナ系の移民の町で有名)では、2月14日の侵攻が始まってから、住民たちのアクセントがロシア語風からウクライナ語風に変わった。以前はロシアと長い縁があった商売の大半がつながりを薄め、多くの看板からも「ロシア」「ロシア風」の文字が消えてウクライナ国旗に変わった。 

「悪の帝国」(旧ソ連の異名)との縁切りは米国のビジネス全般に見られ、ニューヨークの多くのバーが定番のウォッカのカクテル「ロシアンミュール」(モスコミュール)の名を「キーウミュール」(ウクライナの首都にちなむ)に変えた。小さな出来事だが、それらはウクライナに好意的な今の社会の風潮を映している。故国から離散したウクライナ人の努力が米政府をも動かし、キーウに支援の重火器を送ることにもつながっている。 

ニューヨークの繁華街タイムズスクエアで、大勢の市民が集ったウクライナ支援コンサート=2022年6月6日、バルタシェフさん撮影

米国のウクライナ人たちは、「厳しく不当な戦争が今も続いている」と市民に思い出させる活動をしている。ニューヨークではほぼ毎週かそれ以上、ウクライナ応援イベントが開かれ、市の機関が好意的に手助けしている。有名なカーネギーホールも、俳優リチャード・ギアが催すチャリティーの支援コンサートを開いた。先日の日曜日には市長が繁華街タイムズスクエアを、ウクライナと多国籍のアーティストたちのコンサートなどにほぼ終日開放した。まだまだたくさんの催しが予定されている。 

西側世界のもう一つの手助けは、ロシアへの経済制裁だ。戦争は高価な出費が伴い、止める方法は、戦費となる侵略者の懐の資金を枯渇させること。国際企業が束になってロシアでのビジネスを停止している。それでもヨーロッパのいくつかの国は、プーチンの軍事行動の継続を可能ならしめるロシア産の原油買いをやめず、天然ガス購入で国内のガスの値を高騰させまいと腐心する。高いガソリンを買う方が、ガソリンスタンドを爆撃されるよりはまし、とは気づかない。ウクライナの人間に問えば、答えは明らかなのに。 

爆撃下でも家に帰りたい 

母国ウクライナでは、兵士たちは勝利まで戦う覚悟で、そのために市民たちもできることをしようと日々を送る。だが当然そこには、戦争が数週間でなく、何年かかるかも分からないという状況にーーそれを受け入れる準備はまだウクライナ人にないがーー失望の色も見える。他国で保護された何千何万の避難者たちは、何よりも家に帰りたいのだから。 

私の友人がSNSにこんな投稿をした。彼女は以前、西ヨーロッパで一生暮らしたいと思ってきたが、今そこにいて、「ウクライナに帰りたい夢を見るのを止められない」と。ロシアの侵攻以前なら、普通の暮らしに感謝することのなかったような人たちが、今は何を願うのにも増して、平和な日常へ帰りたがっている。 

ニューヨークの教会が催したウクライナ・フェスティバル。子どもたちが民族衣装で歌った=2022年6月5日、バルタシェフさん撮影

あり金をはたき、避難の日々に疲れ、他国で仕事を見つけられず、人々はウクライナに帰り始めている。爆撃、砲撃が続いていることさえ考えぬようにして。時にそれは悲劇の選択にもなる。故郷ハルキウに最近ある一家が帰ったが、爆撃に見舞われ、主人と幼い息子が亡くなった。一人残された女性が地元テレビでこう訴えた―「まだ帰ってこないで。安全じゃない現実はどうしようもない」。 

ハルキウの私の親友と家族は最近、避難先のウクライナ西部から帰宅することを決め、到着したその日に、ロシアのミサイルが彼らの家の隣のビルを直撃した。幸い家族にけがはなく、直ちにより安全な地域に再び戻った。その同じ街で、毎日続く爆撃の下で暮らし、働く人々も何千といるのだ。ジャーナリスト、行政職員、消防士、医師、教師。四六時中、命のリスクを賭して働くヒーローたちだ。私の親友のジャーナリストは、各地の危険な戦闘地域で取材している。その仕事は「自身の魂を失わぬための唯一の営み」だという。別の友人は、家族をポーランド国境に連れていき、無事に越えるのを見届けてから、首都キーウに戻った。そして、一人のボランティアとして住民や軍を助けている。 

そうした何千という人々の物語があり、どれもが「ウクライナは決して降伏しない、希望を捨てない」との思いを伝える。どんなに辛く苦しくとも、彼らは立ち向かっている。軍隊で銃を手に、現場でカメラやマイクを携えて。そして街中では素手で、ロシア軍の新たな爆撃後のがれきの撤去を手伝っている。 

もはや安全な場所はなくなる 

ウクライナ軍の最近の朗報を聴く時でさえ、戦争はいまだ終結から遠く、それは明らかになってきたとの思いがある。おそらくプーチン体制を敗北させるまで何年もかかろう。あのロシアは制裁逃れをーー時には首尾よくーー続けようとするだろうし。膨大な領土と人口を有するあのロシアは、独裁者プーチンの顔を守ることのみに腐心し、戦争というマシーンを動かし続けるために何千人もの国民を死地に送っている。それが、文明化された全世界がこの戦争を当たり前のものと受け止めることのできぬ、重大な理由なのだ。 

ウクライナで恐るべきことが起きている間は、正常な暮らし方を学ぶことはできない。核兵器を使うこともありうる、というロシアのリーダーの発言を無視することもできない。 脅しが発せられたのも一度ではない。世界はウクライナを見過ごすことはできない。 もしロシアがーーたとえ幾分かでもーー成功を収めるなら、もはや安全な場所はどこにもなくなるからだ。「8年と100日」は、それを完全に理解するための時間だった。 

アンドリー・バルタシェフ(Andriy Bartashev)
1974年生まれ、ウクライナ・ハルキフ出身。同国で、Kharkiv Radio“Simon”、media-group “Objectiv”、“Region”Broadcasting Company、“1+1 Media TSN”のリポーター、エディター。渡米し、現在フリージャーナリスト、“Domivka Ukrainian Diaspora Radio”(ニューヨークのウクライナ語放送局)ボランティア・エディター。

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