村の「外国人花嫁1号」がキムチで起業、地域に貢献 山形県鶴岡市

鈴村加菜】32年前、韓国から山形県朝日村(現鶴岡市)に「韓国人のお嫁さん第1号」としてやってきた阿部梅子(金梅永)さん。阿部さんがキムチひとつで立ち上げた「うめちゃんキムチ本舗」は、地域に根ざした企業として経済の活性化や地域の雇用を生み出す役割を果たしてきた。村にとって初めての外国人花嫁であった阿部さんがどのようにして事業を起こし、これまで歩んで来たのか、お話を伺った。

「韓国のお嫁さん第1号」として来日

阿部梅子は、1991年、日本人男性との結婚を機に韓国・ソウルから山形県の朝日村に移り住んだ。当時を振り返って阿部さんは「お嫁にいったのは11軒しかない集落で、外国人は私1人。みんな珍しかったんでしょう。生まれたばかりの子どもをおんぶして下のほうに降りていくと、猿が出たかのように眺められたものですよ。ほんとに最初のうちだけではあったけど」と話す。阿部さんの故郷の味であるキムチも今ほど知られていなかったため、その辛さに「みんなびっくりしていた」という。

「うめちゃん」こと阿部梅子(金梅永)さん

キムチづくりが仕事に

「それでもパート先にキムチを作って持っていって、昼休みに同僚に配っていたら、癖になってきたのか『美味しい』と言われるようになって。だんだん私も自信を持てるようになったんです」。その後、阿部さんは「月山あさひ博物村」で行われた料理コンテストで賞を取ったことをきっかけに手作りキムチの販売を始めた。

観光施設で販売をすることになったときは、親戚の女性にチマチョゴリを着て売り子をしてもらい、食堂に並ぶ観光客に試食を配る方法を思いついた。「初めは屋根もないところで売り始めたから、『いつか建物の中に自分のテナントを持ちたい』という思いで休みなく働きました。そのうち、観光バスで立ち寄った団体のお客さんが試食したキムチをお土産に買ってくれるようになって。そして売上も伸びてついにテナントの1つを任せてもらえるようになったときは『やったなあ』と嬉しかったです」

「うめちゃんキムチ」のテナント(ホームページより)

外国人花嫁の拠りどころとして

「それまで私の周りには外国から来た人ってほとんどいなかったんだけど、今から20年くらい前かな。韓国や中国から山形にたくさんお嫁さんがやって来たんです」。働き手や後継者不足の対応として、行政が主導して農村などに外国人花嫁を迎えたためだ。外国人花嫁の先輩である阿部さんを頼る人も多かったという。「花嫁の家族から『言葉も通じないでずっと家にいては本人もまいってしまうだろうから、うめちゃんのところで面倒を見てもらえないか』と言われました」。当時、キムチが売れるようになったとはいっても、何人も従業員を雇えるほどの大きさではなかった。

「でも、そこで助けないというのは、私は違うなと思った」という阿部さん。販売先を広げるために営業をしながら、地元の銀行や企業の集まりがあれば顔を出し続けて人脈を広げたという。「社長さんたちの集まりの中で30、40代の女性はやっぱり珍しかったから、皆さん覚えてくれたし、評価してくれた。『うちで販売しないか』と声を掛けてくださる方もいた。日本人は欲が少ないから、商売をしようと頑張る人にはチャンスが多いかもしれないですね。それから、私が『うめちゃんキムチ』の事業を広げることに家族が理解してくれたのがありがたかった」

山形県鶴岡市にある「うめちゃんキムチ本舗」(ホームページより)

赤字続きの道の駅「高麗館」を復活

「うめちゃんキムチ」ではキムチや万能タレの販売のほか、「道の駅」などで軽食コーナーも運営する。韓国から多くの花嫁が来日したことをきっかけに作られた「道の駅とざわ 高麗館」もその1つ。「声を掛けてもらったとき『高麗館』は赤字続きで建物の中身はすっからかん。でも、それが嫌とは思わなかった。仕事があるだけありがたいと思って」。知り合いに相談すると、建物の雰囲気に合わせたものが必要だろうと東京からトラック3台分の韓国関連商品やグッズが届けられた。ラーメン店として使われていたスペースを韓国料理店に変え、辛さに慣れていない日本人向けの味も研究した。

道の駅とざわ 高麗館

韓流ブームも手伝って徐々に観光客が立ち寄るようになり、「面白いくらい売れる日もあった」と楽しそうに振り返る。高麗館の復活に成功した「うめちゃんキムチ」にはスーパーの店頭販売やスキー場の食堂運営の誘いも舞い込んだ。ただし、「声をかけてもらうのはだいたいその施設全体の経営があんまりうまくいっていないときが多い」という。「それでもやっぱり私のところに話が来るのはありがたいし、どうにかして応えたいと思う」。昨年はコロナ禍の中でも「道の駅いいで めざみの里」に「うめちゃんキムチ」の軽食コーナーをオープンし、週の大半を自宅から離れた飯豊町で過ごす。

高麗館の敷地内にある食堂や土産屋には「梅ちゃんのタレ」やキムチが並ぶ

「お互いさま」の気持ちが大切

コロナ禍では対面販売の売上が落ちてしまったものの、「スーパーへの納品やインターネット販売という新たな方向で努力することを覚えられた」と前向きに話す。1960年生まれの阿部さんは「今よりもずっと貧しいときに子ども時代を過ごしたからだと思うんだけど、私たちの世代は『自分の店を持ちたい』『外国に行きたい』とか、小さくても夢をたくさん持っていたと思う」と振り返る。今日までずっと持ち続けている夢は「母国の食文化を広げること」だという。

最近、日本の新たな働き手として増えつつある外国人も「彼らも夢を持って(日本に)来て、一生懸命働いているんだと思う」と話す。そして、外国人だから、日本人だからというのではなく、「『お互いさま』と思って過ごすことが大事」とも。「日本に来て周りの人に助けてもらったこともあるし、自分が助けになれるときは必ず助けようと思ってやってきて今がある。商売をやっている身ではあるけど、『人間関係』がすべて。それぞれ人生にはいいときも悪いときもあるからね。これからも『お互いさま』と思ってやっていこうと思っている」

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