東日本大震災の発生から5年7カ月。津波被害に加え、東京電力福島第一原子力発電所の事故で町内全域の避難が続く福島県浪江町でも実りの秋を迎えた。県内外から学生ボランティアを迎えての稲刈りは、つかの間のにぎわいをもたらし、住民を収穫の喜びで包んだ。そんな明るい話題の一方で、原発事故被災地の農業再生を巡る現状は依然として厳しい。【文・平間真太郎、写真・佐瀬雅行=福島県浪江町】
学生らが稲刈りに汗、一般販売めざす
3連休最終日の10日、浪江町酒田地区で震災後3回目の稲刈りが行われた。県内外5大学の学生ボランティア約50人が鎌を手に、黄金色の稲穂を刈り取り、丁寧に束ねてゆく。学生たちが稲刈りしたのは、農業再生のためコメの実証栽培をしている田んぼ1300平方メートル(約1・3反)。学生とほぼ同数の地元住民たちが集まり、学生らに鎌の使い方や刈り取った稲の束ね方などを手ほどきした。
浪江町がことし実施した酒田地区でのコメの実証栽培は4カ所(計2・1ヘクタール)。作付けしたのはコシヒカリだ。町によると、昨年は1・3ヘクタールで実施し、収穫したコメ200袋(1袋30キログラム)はすべて食品衛生法で定める基準値(1キログラムあたり100ベクレル)を下回った。このうち、測定下限値(1キログラムあたり25ベクレル)未満の198袋を一般販売し、完売したという。ことしも全袋検査をした上で販売する予定だ。
少ない農業者の帰還希望
ただ、将来に希望を抱かせる話題の一方で、農業再生への道のりは困難が続く。
まず来春をめざしている住民の帰還開始に伴い、町内に戻って農業を再開する意思を示している農家は非常に少ない。酒田地区で実証栽培をしている松本清人さん(76)はこう語る。「震災前、酒田には40世帯ほどの農家があったが、戻るのは(自分を含めて)3世帯ほどではないか」。その通りであれば、田畑の多くは休耕地にならざるを得ないだろう。少数の意欲的な農業者による大規模経営という方法もあるが、高齢化が進む地域にあっては容易ではない。
根強い風評被害をどう取り除くか
もう一つは風評被害だ。現状では実証栽培したコメの全量が食品衛生法の基準値を下回っているが、消費者の不安を拭い去るのは簡単ではない。現在は生産量が限られているため、町関係者や支援者がすべて買ってくれるが、同じように一般の消費者が手にしてくれるかは不透明だ。
稲刈りを前にした9月末にも取材した際、30分ほどの立ち話の間に松本さんは何度もつぶやいた。「これから10年後にどうなっているのか」