大鮫には1945(昭和20)年7月、第146震洋隊が置かれたと記録が残っている。制空権、制海権ともに失った中で、本土に押し寄せる米上陸部隊を迎撃するための部隊だった。東松島市図書館と宮城県図書館で探してみたが、大鮫の特攻基地に関する資料は見つからなかった。
大鮫に足を踏み入れると、北東に向いた入り江の最奥部にコンクリートのスロープが設けられ、二組のレールが海中に伸びている。赤錆びた鉄製の台車は震洋の移動に使われたのだろうか。東側の崖には横穴が幾つも構築されていた。震洋を隠すために掘られた格納壕で、生い茂る夏草の陰などに大小8本を確認できた。さらに隣の小鮫浜に通じるトンネルもあった。相当数の震洋を配備する計画だったと推測される。