【東北にとっての「二・二六事件」】「記憶のノート」に導かれた旅がノンフィクションに①

東京で陸軍青年将校が起こしたクーデター未遂事件「二・二六事件」から、きょうで86年。知られざる東北と二・二六事件との関係について20年以上にわたる取材を続け、昨年著書『二・二六事件 引き裂かれた刻を越えて 青年将校・対馬勝雄と妹たま』を刊行したローカルジャーナリストの寺島英弥さんがその取材を振り返ります。

語り部の104歳の死から

寺島英弥(ローカルジャーナリスト)】1936(昭和11)年の二・二六事件で銃殺された対馬勝雄中尉の妹、波多江たまさん。104歳で迎えた2019年も、4月初めの訪問では和食店のランチにおいしそうに箸を進め、足腰は弱ったものの、お顔はつやつやとしていた。しかし、肺の疾患が顕著になり、4月末、5月末と訪ねる度に歩くのも困難になり、6月20日は自宅の病床での面会。筆談にうなずくのがやっとで、見舞いのサクランボを一粒ほおばり(生涯最後の食になった)、「ありがとう」を言うように手を合わせた。その日を境に意識をなくして、9日後に息を引き取った。

〈兄は、自分の行動が友人知人に笑われるのも承知していました。それが判っていても国がほろぶのを黙って見てることは出来なかったのです。国を守る事が仕事でしたから。又兄は、刑を受けるのは当然で法は曲げられない共書いていました。国を守れない軍人は死より他にありません。私は満足して去った兄の心が判って、やっと心が穏やかになりました〉

たまさんから2014年に受け取った手紙の一節だ。最晩年の心境と思えた。「いまが幸せです」という言葉も耳にした。ところが、お葬式を終えてから間もなく、同居していた娘さんから私に手紙が届く。同封されていたのは、たまさんが死の際までチラシの裏に描いていたという一枚の絵のコピー。最初は分からなかったが、よく見れば、36年7月12日朝、勝雄たち青年将校ら17人の銃殺後、遺族が立ち会った遺体引き渡し場の場だと思われた。「穏やか」「幸せ」という言葉の奥底で、熾火のように心を苛み続けた悲嘆の風景に違いない。

たまさんが兄勝雄の記憶をつづった「記憶のノート」=筆者撮影

「出会った者」の責務感に襲われ

私は新聞社を卒業し、関連のカルチャーセンター代表を引き受けながら、震災と原発事故の被災地ルポを新潮社「Foresight」に書き続けていた。郷里相馬地方をはじめ、現実は「復興」からはるか遠く、取材すべきは山ほどあった。が、一枚の絵が決意を迫った。「伝えてほしい」と託されたのだ、と。書かなくては、たまさんとともに全てが消え去り、なかったことになる―という「出会い、立ち会った者」の恐ろしいほどの責務感に襲われた。

弘前で同居していた娘さんからは、大きな段ボール箱が二つ三つと送られてきた。たまさんが戦後に集めた二・二六事件関係の蔵書、勝雄が書いた手紙類(青森の父宛てが主)や遺稿、軍関係の書類や賞状、戦前の家族の写真、そして、たまさんが残した十数冊の大学ノートなどだった。勝雄の資料の多くは、勝雄が所属した旧陸軍三十一連隊の記念館(陸上自衛隊弘前駐屯地内)にたまさんが寄贈し、私も弘前訪問の際に遺品の調査・撮影に通った。

何よりも驚いたのは、たまさんのノート。自費出版した勝雄の記録・遺文集『邦刀遺文』=連載(上)参照=のための覚書だった。鉛筆の太い筆致で、故郷青森市相馬町の子ども時代からの家族史、昭和前期の農村や社会の事情、勝雄の軍人としての歩みから死まで、人生を通して「兄のあらゆることを決して忘れず、記録する」と誓った人のような驚くべき記憶力で、しかも最も身近な「妹の視点」で、しかも冷静な批評眼で綴っていた。私がおよそ20年にわたり記した膨大な回想の断片が、ノートの記述に裏打ちされ、つながっていった。(次回へ続く)

【書評】引き裂かれたきょうだいの記憶と記録が、あすを生き抜く道標に

櫛引素夫青森大学社会学部教授)】なぜ、あの無謀な戦争が始まったのか-。太平洋戦争開戦から80年目の2021年12月は、そんな問いが幾度となく発せられた。新聞やテレビで、存命の人々が記憶をたぐり、今なお生々しい証言を紡いだ。

この開戦が破局の幕開けなら、陸軍の青年将校らによる1936(昭和11)年のクーデター未遂事件「二・二六事件」は、破局への導火線の着火点と言えるかもしれない。翌1937年には日中戦争が勃発している。

青年将校らの決起は、東北の農民の窮状や首謀者らの義憤が背景とされた。本書は、その渦中にあった青森市出身の中尉・対馬勝雄の、等身大の懊悩や軌跡、そして死をたどる1冊である。彼の記憶を紡いだのは、104歳まで青森県弘前市で生き、2019年6月に没した実妹・波多江たまだった。

事件後、対馬中尉は銃殺刑に処され、遺族らは沈黙を強いられた。だが、たまは兄の手紙や、「決して忘れまい」と十数冊のノートに記憶をつづり、1991年、彼の記録「邦刀遺文」(邦刀は中尉の号)を自費出版した。

東北をカバーする地方紙・河北新報の記者だった筆者は1999年、この書の存在を知り、中尉の生い立ちと肉声、家族のまなざしを記事にとどめた。さらに新聞記者を卒業し、ローカルジャーナリストとして活動する日々に、20年にわたって彼女との対話を織り込んだ。その記録は、新潮社のオンラインメディア「フォーサイト」に連載され、2021年6月に全16編が完結、さらに本書として結実した。

勝雄の遺品の日記類=波多江さん提供=
勝雄の遺品の日記類=波多江さん提供=

対馬中尉は青森市に生まれ、幼時から才気煥発、地元町内の人々の経済的支援で仙台陸軍幼年学校を卒業した。困窮に目をつぶれない正義感、優しさと明るさ、温かさ、純粋すぎる思考とまっすぐな行動力。同期生随一の人気者だったとも言う。

だが、影の濃い時代だった。世界恐慌や昭和の大凶作、政治の腐敗に、彼の内圧は高まっていく。帰省のたび、古里の窮状を目にした彼は、「昭和維新」を志す将校らの中枢に位置するようになった。

やがて陸軍豊橋教導学校へ転任した彼は、教え子にも多くの影響を及ぼした。決起の際は、生徒を率いて元老・西園寺公望を襲う計画だった。しかし、同僚らの説得に失敗し、首相官邸への襲撃に合流、そして投降した。

その足跡と背景を思う都度、いたたまれなくなる。彼を含む、多くの「有為の若者」をのみ込んだのは、公憤というべき感情と、命を賭す覚悟、そして「矛盾に満ちた社会」だった。同様の無数の若者が、今、世界中で血を流し続けている。

同時に、一縷の希望と決意をも抱く。たまの長命は、80年余の時を超えて、私たちに「繰り返しているかもしれない歴史」を伝えてくれた。引き裂かれたきょうだいの記憶と記録は、歴史の波に翻弄された悲劇の一つとしてではなく、私たちがきょうとあすを生き抜くための道標として、光を放っているように思える。

SNSが世をつくり、動かし、瞬時の言動が数十億単位の人々を翻弄する今日、「肉声」に支えられた証言と思いの強さを、ローカルジャーナリストの筆を通じて確かめられる1冊だと感じる。

評者
くしびき・もとお
元東奥日報社記者・編集委員

『二・二六事件 引き裂かれた刻を越えて 青年将校・対馬勝雄と妹たま』
著 者:寺島英弥
発行所:ヘウレーカ 
発行日:2021年10月12日
定 価:本体2,800円+税

連載の前編はこちら

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