【佐藤和文=メディアプロジェクト仙台】名雪祥代さんはクラシックの世界からジャズ入りしたプロのサックス奏者です。昭和音楽大学で学び、昭和音楽大学オーケストラのコンチェルトソリストなどを経て2004年に里帰りしました。東京での活動のさ中、理由のはっきりしない体調不良に見舞われ、サックスを吹けなくなりました。一時は演奏者としての道を断念しかけるほど深刻でしたが、「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」(仙台)でたまたま目にした情景がきっかけとなってジャズへの道を手探りし始めました。
名雪さんのジャズ演奏家としての活動は、2年程度の準備期間を経て2006年ごろから本格化しました。第三者がその一部始終に迫るのは、とても難しい作業のように思われます。クラシックの知識や技術をいったん脇に置くだけでも、想像を絶します。ジャズ特有のリズムやフレーズ、歌心を学ぶため、チャーリー・パーカーなどジャズジャイアントの演奏をコピーしたそうです。仙台で活動していた女性だけのビッグバンドに参加。そのビッグバンドを指導していたプロのサックス奏者安田智彦さんの指導を受けるようになるなど、地元のジャズコミュニティとの触れ合いから演奏家としての再生ストーリーが始まったように見えます。
仙台を拠点に東北各地のミュージシャンとのネットワークを形成しながら自分名義のアルバム「Comfort(コンフォート)」を2016年、「Picturesque(ピクチャレスク)」を2019年に発表、活動を全国に広げつつあります。特に2枚のリーダーアルバムに連続して付き合ったピアニスト谷川賢作さんとのコラボレーションは、演奏家としての可能性を一気に広げました。
若手との共演にも熱心です。ここ1、2年の間にストレートなジャズを中心とするスタイルからラテンバンド「ボアソルチ」を結成するなど、活動の幅を広げています。
初リーダーアルバムに収録されている「Nostalgie」のような、東北の自然環境や風物に心を寄せたオリジナル作品が印象的。セカンドアルバム「Picturesque」の「Smoky Mist」では、演奏家としての心の動きを自ら探るなど、オリジナル作家としての奥行も示しています。2枚目の「Picturesque」では初リーダー作に比べてストレートなジャズ色がやや薄まった感じがあります。古いジャズファンの一人としては次回作に期待するところ大です。
2020年3月6日、仙台市青葉区のジャズバーで、ラテンをメーンとするジャズバンド「ボアソルチ」の「無観客ライブ」が行われました。名雪さんをリーダーに、菅田かおり(ボーカル)、大垣涼太(ギター)、齋藤寛(パーカッション)、三ケ田伸也(ベース)、今村陽太郎(ドラム)各氏による編成でした。
新型コロナウイルスの影響が当初考えていた以上にはるかに深刻であることに誰もが気づき始めていました。メンバーたちのライブやイベントなどの仕事が月単位で中止あるいは延期が相次ぎ、不安と焦燥、空しさがズシリとこたえる日々が始まっていました。
名雪さんは、持ち前の明るい調子でオンラインの彼方にいる観客に向かって呼び掛けました。
「こんな時こそ我々に出来ることを。いつの日かボアソルチのライブを実際に見てください。一緒に手をたたいたり歌ったりしましょう」
「コロナ禍」とまでいわれる事態がどのように推移するかは予断を許しませんが、身近なジャズの現場を担う演奏家たちは名雪さんの言う「こんな時こそ我々に出来ること」に、それぞれに取り組み始めています。音楽に対する思いや蓄積の質量、未来を切り開く意思が問われています。名雪さんの音楽観についてさらに詳しく聞いています。以下をご覧ください。
「ボアソルチ」の無観客ライブはYouTubeで見ることができます。
サックス奏者名雪祥代さんに聞く
-クラシックからジャズに移ることでどんな苦労がありましたか?どんなことが起きましたか?
名雪:大きかったのはたぶん教育の違い、ですね。日本の事情なのかどうかは分かりませんが、クラシックの場合、作曲家がいて、その作曲家の作品を、どうひも解いて表現していくかが求められます。曲ありきで、プレーヤーがどう演奏するかが問われます。もちろん作曲家に対するリスペクトがあってのことです。リスペクトがあって、さらに演奏者のテクニックや表現が問われます。だからクラシックのレッスンは『口伝』なんですね。こういう風に演奏するものだということが口伝えで伝えられてきて、その通りにやらないと、ノーなんですね。間違いを探して、それを正していく感じなんです。そこが駄目だからこうしろ、あそこがおかしいからこうやるべきだ、と、そういう感じです。だからわたしも本当は「ダメ探し」が得意なんです。(笑)
-一方、ジャズの場合は?
名雪:ジャズの場合、曲を演奏するというよりは、自分たちのアドリブプレイが何よりも重視されます。わたしがジャズ音楽に出合ったのは、クラシックの世界に長い間いた結果、音楽の楽しさを見いだせなくなっている時期でした。ほめて伸ばすじゃないけれど、そういう時代に差し掛かっていた時期でもあったので、ダメなところは直すということだけをやってきた自分がいざジャズの世界に入ってみたら、まず「いいねえ」と言う言葉から始まるのには本当に驚きました。受け入れられる、とか、肯定されるという経験がクラシックで育った自分にはなかったわけです。ああ自分はこれでいいんだ、自分がやっていることが受け入れられるということがこんなに前向きなものとは知りませんでした。
-ジャズはまず楽しい、心地よい、から入る経験はリスナーの立場でも分かります。
名雪:しかも、誰かと一緒に「いいねえ」を共有する喜びに満ちています。ジャズは一人で戦うものじゃない。デュオという形式もあるし、バンドという形式もある。自分自身の音楽が生き生きとして、相手のいいところも引き出して相乗効果に結びつきます。毎回、演奏も違うわけじゃないですか。こんなに「生き物」な音楽はありません。
-クラシックからの転身は楽しいことばかり?
名雪:それはそれは難しかった。まず音楽を支える「言葉」が違います。自分自身が最初は全然言葉もしゃべれないときに、突然ネイティブな人の前に飛び込んで行って「ゼンゼン シャベレナインデスケレドモ、カタコトデ ジャズヤリマス」みたいなものでも、「いいよ、いいよ。それでいいんだよ」「やっているうちに分かるよ」と受け止めてくれる人たちに出合えたことが何よりもうれしかった。
-サックスを吹けなくなったそうですが、どんな状態でしたか?
名雪:奏法がぐちゃぐちゃになり、頑張っても口の周りが震えてどうしようもありませんでした。楽器をやめた方がいいかもしれないと思いました。クラシック奏者というより、そもそも楽器吹きとして無理。やめる選択肢しかない、という状況でした。
-原因は?
名雪:何が原因なのかは分かりません。ストイックな練習をしすぎて、自分の考えていないところで脳みそが、もうやめなさいと指令を出した感じ。具体的に言うと、音が真っすぐに出ない状況です。ガクガクガクとなって、緊張したときのような症状がずっと続きました。当時、それに病名がつかず、もう楽器をあきらめるしかないなあというところまで落ちました。「楽器を吹くことをあきらめて生きていこう」と考えたときに定禅寺ストリートジャズフェスティバルに出合ったんです。たまたま目にしたおじさんがサックスをとても楽しそうに吹いていました。しかも、そのおじさんがとても下手くそだった点が重要です。
-どういう意味ですか?
名雪:すごく上手だからハートに響くという世界ではなかったということです。うまい、下手のジャッジはどうでもいい世界です。わたしはコンクールでいい賞をとるとか、いい成績をとるとか、みんなをあっと言わせる演奏だとか、抜きん出ている者にしかできない世界を追ってきたけれど、技術的に言ったら全然うまくないし、アンブシュアだって奏法だってぐちゃぐちゃなのに、あんなに楽しそうに吹いているおじさんがいた。音楽が「楽しい」ってなんなんだろうと思いました。原点ですよね。そこまで考えたときに、そのおじさんは実はそのことを知っているんだと気づきました。ジャズを知りたいと心底思いました。そのおじさんが誰かは知らないが、わたしにとってその体験がジャズに向かう第一歩となりました。
-具体的にはどうしたんですか?
名雪:まず他のメンバーに隠れて吹けるのがいいかなと思って、ビッグバンドに入りました。女子だけの「ACOMPLISH STYLE(通称アカプリ)」というビッグバンドがテナーサックスを募集していたんです。当時、アカプリを指導していたのが安田智彦先生でした。そこからはもうひたすら夢中でした。クラシックの先生には、直す方法はない、僕にできることはない。神経系なのか、心療内科なのか分からないけれども病院に行けと言われた。見捨てられたんですね。ああ、わたしもう誰かに頼ることもできないんだ、と思っていたところに、安田先生のような人がいて「こっちだ」と引っ張ってくれた。すごく気楽になりました。ビッグバンドをやりながら、安田先生のレッスンを受けているうちに、だんだん口が震えなくなってきた。息の使い方にポイントを置けるようになったということなんです。でもね、まだ行ったり来たりしているんです。すごくうまくいくときと、うまくいかないときと、交互にやってきます。
-どうするんですか?
名雪:根拠のない自信で大丈夫、大丈夫といってうまくいくものではなくて、自分のことを深く知ろうと立ち向かうときに、やはり口が震えるなどの症状が出てきます。そのたびに自分をまたしっかり見直そうと勉強しはじめたり、体の使い方や脳のことなどを勉強しはじめます。音楽って、からだも脳みそも、心も、いろんなテクニックも、全部つながっているので、なかなか何かを切り離していえることではないなあと思う。全然ジャズの話と違うんだけれど、きっと音楽は総合ものなんですね。
わたしは元気印のパーッと明るい感じと言われて、みんな集まってくれるけれど、実はそれだけではないんです。根っこの部分に悩みを抱えながらジャズに出合って、そうじゃない楽しみを見出したけれど、やはりサックスを吹くということになると、悩み事というか、越えなければならないミッションがたくさんあって、そこはまあ、「暗黒の名雪祥代」の部分なんです。それも全部受け止めて、自分を深く知ろうとすることで、もしそれを乗り越えられたら、それをさらに誰かに伝えられるかなあと思っています。スランプも悪くないなあ、というようなことを思いながら、人生っていいことばかりじゃないけど、悪いことばかりでもないな、と思います。
-ジャズ言語はどう学びました?
名雪:過去のジャズジャイアンツたちの演奏にどうやって近づこうかと思ったときにクラシックなら音符があって全部表に出ている感覚です。「ドレミファソラシド」は「ドレミファソラシド」なんです。全部吹く。全部吹くと、ジャズ特有の「シンコぺ(シンコペーション)」にはならない。「パララリラリラリラ」となるだけです。自分の持っている情報の中で分析しようとすると、なんかリズムがはねてるなということぐらいしか分からないかもしれません。でも、いろいろ聴いていくうちに全部表に出ているわけではないんだということに気づきました。そこにジャズ特有の秘訣がありそうです。
結局、英語なんですよね。ジャズルーツがアメリカから始まっている音楽だから当然かもしれませんが、アメリカで生まれた英語の音楽で、歌詞のあるなしにかかわらず、英語ならではのしゃべり方と言うのがあります。それがジャズのニュアンスなんです。そうだとすると、そのニュアンスには、何か法則があるんじゃないかと思って研究し始めたら、のむ音とか、へっこんでいる音とかがあることが分かりました。確かに「マクドナルド」とは言わないですよね。実際の発音は「ダ・ダ・ダ」しか聴こえないかもしれない。それをジャズならではの「ディバルバ」というしゃべり方なんだと思えるようになってきた。いかなるときも、そうした言語でしゃべるようにするのがジャズなんだなあと思う。クラシックとジャズの奏法の最も違うところです。
ただ、それは自分が演奏するときの話です。必ずしも、みんながみんな同じフィールドで音楽をとらえているわけではないし、自分はこうだ、と思ってもみんながそれが答えだと思っているわけでもないので、合奏するとなると、自分が研鑽してジャズの言葉だ、と思っていることを出せばいいというものでもなかったりする。間違っているのか、正しいのかも分からない。だけど、一緒にやって、ああ、気持ちいいなあという人と、必ずしもそうはならない人がいるのは確かです。(笑)
-クラシック時代も作曲していましたか?
名雪:ほぼありません。曲を書くのは作曲家と言われる人たちの仕事です。アレンジすらしたことはほとんどなかったです。大作曲家がやまほどいる中で、作曲だなんておこがましい、という感じです。今は、ちょっと変わってきているかもしれません。クラシックプレイヤーとして、自分の自己表現としてやっている人がいるかもしれません。
-今でもクラシックを曲を聴きますか?
名雪:全く聴きません。でも、いろんなことを経験して多くの事柄と巡りめぐっているうちに、自分でも受け入れられるようになるんでしょうね。ではクラシックを演奏したいかと言われると、それより「楽しい」音楽を見つけちゃったので・・。
【この連載が本になりました!】定禅寺ストリートジャズフェスティバルなど、独特のジャズ文化が花開いてきた杜の都・仙台。東京でもニューヨークでもない、「仙台のジャズ」って何?仙台の街の歴史や数多くのミュージシャンの証言を手がかりに、地域に根付く音楽文化を紐解く意欲作です!下記画像リンクから詳細をご覧下さい。
【連載】仙台ジャズノート
1.プロローグ
(1)身近なところで
(2)「なぜジャズ?」「なぜ今?」「なぜ仙台?」
(3)ジャズは難しい?
2.「現場を見る」
(1) 子どもたちがスイングする ブライト・キッズ
(2) 超難曲「SPAIN」に挑戦!仙台市立八木山小学校バンドサークル “夢色音楽隊”
(3)リジェンドフレーズに迫る 公開練習会から
(4)若い衆とビバップ 公開練習会より
(5)「古き良き時代」を追うビバップス
(6)「ジャズを身近に」
(7)小さなまちでベイシースタイル ニューポップス
(8)持続する志 あるドラマーの場合
(9)世界を旅するジャズ サックス奏者林宏樹さん
(10)クラシックからの転身 サックス奏者名雪祥代さんの場合
(11)「911」を経て仙台へ トランペット奏者沢野源裕さんに聞く①