【仙台ジャズノート】「911」を経て仙台へ トランペット奏者沢野源裕さんに聞く①

佐藤和文=メディアプロジェクト仙台】プロのトランペット奏者沢野源裕さん(49)=仙台出身=に話をうかがいました。「仙台ジャズノート」PART2「現場を見る」のまとめになればと思います。インタビューは3回に分けてお届けします。

2001年9月11日、世界中を震撼させた米国同時多発テロ。沢野さんは米ボストンにあるバークリー音楽院で作曲を学んでいました。テロ以後、短期的に見通しがつかないだけなら他の選択肢も考えられましたが、仕事に就ける見通しがまったくつかない=演奏する機会がない状態がいつまで続くか分からない中で、帰国を決断せざるを得ませんでした。

以来、沢野さんは生まれ故郷である仙台で演奏活動を続けています。一時期、宮城県気仙沼出身のドラマー、バイソン片山さんの誘いを受け、東京で演奏活動しましたが、巨大都市の暮らしが自分には合わないと考え、2年ほどで仙台に戻ったそうです。

2月に開かれた「仙台ライブウォーク」で演奏する沢野さん
(2月に開かれた「仙台ライブウォーク」で演奏する沢野さん(左端))

演奏活動を軸に作・編曲の仕事も多数手掛けています。沢野さんの作品で印象的なのは伊達政宗の命を受け、スペイン、ローマに渡った慶長遣欧使節を題材にした組曲「支倉常長 サンファンバウティスタ」です。ジャズビッグバンド「サウンドスペース」のリーダー白石暎樹さんの依頼で沢野さんが書き下ろしました。

沢野さんは後進の指導にも力を入れており、東北大学のジャズビッグバンドの発足にかかわり、アマチュアの指導にも取り組んでいます。

以下、沢野さんへのインタビューを3回に分けてお届けします。沢野さんの話には専門的な内容も多く含まれていますが、前回の名雪祥代さん、前々回の林宏樹さんも含めて「仙台ジャズノート」のインタビューは、話し手の語り口が出る、いわゆる聞き書きに近い形でお届けしています。取材者自身、ジャズの理論や実技を師について学んでいる最中でもあり、聞き手としての生半可な解釈や解説、感想などをなるべく抑えるためです。

トランぺット奏者沢野源裕さんに聞く①

沢野:この世界に入ったのは、すごく若い時期というわけではありません。僕が音楽の勉強を、いわゆる学校で始めたのは27歳からです。親が仙台で会社をやっていて、それを継がなければならない状況だったのに、それを裏切る形でアメリカ・ボストンのバークリー音楽院に行きました。作曲科でした。

終了後も向こうにいるつもりでしたが「911(ナイン・イレブン)」があって、音楽の仕事はみんな吹っ飛んでしまった。自粛、自粛で。特に外国人の僕には厳しかった。ぎりぎりまでいたけれど、仕事がなく、本屋でバイトしたほどです。アーティストビザを取れば米国にいることができたんですが、弁護士に40万円使ってビザを取っても、仕事がない状態がずっと続きそうでした。やむを得ず断念しました。

仙台に戻ってきたばかりのころはプロのミュージシャンはまだ少なかった。力のある人たちがいても中央(東京)に行ってしまい、地元に残る人は少なかった。少なくともトランぺッターでジャズをやっているプロは、駆け出しの僕だけでした。

(仙台で演奏活動を続ける沢野さん(沢野さん提供写真))

基本的には仙台でずっとやるつもりでいました。東京でやる魅力を感じないわけではありませんでしたが、アメリカの地方都市には、それぞれに音楽シーンがしっかりあるのを目にしていたため、どこでジャズをやっても同じという感覚がありました。地方都市といっても人口がある程度の規模で、ユニオン(労働組合)もしっかりしていました。単純にアメリカではジャズを演奏できるお店が多いという事情もあって、仙台に戻ってからも、地方都市だからジャズをやれないとは思いませんでした。

ドラマーのバイソン片山さん=気仙沼出身=から一緒にやりたいと言われ、東京で2年ほど仕事に就きました。でも、生活環境が自分には合いませんでした。空気が悪すぎるし、水はまずい。食い物もまずいし、人はいっぱいいるし・・。というわけで、自分には大都市は合わないと思いました。仙台のように適度な街が好きなようです。最初の大学は札幌だったし、ボストンは大きな都会だけれど、緑が多い所で暮らしていました。近くに川があるというのが何より快適でした。そのうち、金属アレルギーになってしまいました。それまでアレルギーなんか問題はなかったのに。こんなところに住めないと思い、片山さんには申し訳なかったけれど、帰ってきてしまいました。

仙台に残っているプロがあまりに少ない中で、何かとつらいことはあったんですが、結構、のんきなんで、まあ、頑張っていればそのうちなんとかなるだろうと思っていました。少しずついろいろやっていくうちに、仙台に残るプレーヤーも増えてきました。割と近い世代では林宏樹君(サックス奏者)がそうでした。バークリーに行きたいと言っていたので、何かと気にかけてはいたけれど結局、行かなかった。あくまで現場で鍛えられ、覚えるタイプでした。そもそも彼も『音楽バカ』ですから。そのままたくましく育って、今は素晴らしいミュージシャンになっています。

-林さんは、音楽大学に通わなかったため、楽器の扱い方を総合的に習う機会がなかった、と言っています。

沢野:まあ、そう言うけど、学校に行ってもそんなの教わるわけでもない。大体、本当にこちらが望むようなレッスンをしてくれる先生なんて留学中、僕は出会ったことないです。だからこそ自分だったらこう教わりたかった、ということをきちんと教えてあげたい。僕が人に教えるときのコンセプトになっています。

こちらが望むような形で教えてくれる先生がなぜいないのか。それは、先生たちは何でもできちゃうからです。当たり前だけど楽器が上手すぎる。自分の師匠の教えにはまって、その範囲でうまくなって、そのまま、ということが少なくありません。だから自分では教えることができない。

―自分のスタイルを伝えることはできるけれども、教わる人が分かるように、その人の立場に立って教えることは難しいということですか?

沢野:その通りです。しかも、人に伝えるにしても、僕自身は必要なことを具体的に教わったことありません。僕は理系脳なので、まずトランペットを力学で考えました。トランペットはシビアな楽器で、すぐばてるとか、ちょっと緊張しただけで吹けなくなる幅がすごいんです。だから「調子がいいから吹ける」あるいは「吹けないのは調子が悪いからだ」みたいな考え方をしていると、出来不出来のムラが多くなり、いつまでもうまくなりません。

こう見えても、僕は極度のあがり症なので、その影響を自分でなくすために、楽器の操作を感情や好不調ではなく、力学で考えるように訓練しました。そうすることで、調子がいい、悪いという概念がなくなっていきました。(次回に続く)

【連載】仙台ジャズノート
1.プロローグ
(1)身近なところで
(2)「なぜジャズ?」「なぜ今?」「なぜ仙台?」
(3)ジャズは難しい?

2.「現場を見る」
(1) 子どもたちがスイングする ブライト・キッズ
(2) 超難曲「SPAIN」に挑戦!仙台市立八木山小学校バンドサークル “夢色音楽隊”
(3)リジェンドフレーズに迫る 公開練習会から
(4)若い衆とビバップ 公開練習会より
(5)「古き良き時代」を追うビバップス
(6)「ジャズを身近に」
(7)小さなまちでベイシースタイル ニューポップス
(8)持続する志 あるドラマーの場合
(9)世界を旅するジャズ サックス奏者林宏樹さん
(10)クラシックからの転身 サックス奏者名雪祥代さんの場合
(11)「911」を経て仙台へ トランペット奏者沢野源裕さんに聞く①
(12)【仙台ジャズノート】英語のリズムで トランペット奏者沢野源裕さんに聞く②

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