【加茂青砂の設計図】「森に帰る人」男鹿半島の珈音焙煎所・佐藤毅さんに会いにゆく

連載:加茂青砂の設計図~海に陽が沈むハマから 秋田県男鹿半島】秋田県男鹿半島の加茂青砂のハマは現在、100人に満たない人々が暮らしている。人口減少と高齢化という時代の流れを、そのまま受け入れてきた。けれど、たまには下り坂で踏ん張ってみる。見慣れた風景でひと息つこう。気づかなかった宝物が見えてくるかもしれない――。
加茂青砂集落に引っ越して二十数年のもの書き・土井敏秀さんが知ったハマでの生活や、ここならではの歴史・文化を描いていく取材記事とエッセイの連載です。

土井敏秀】同じ男鹿半島に暮らしながらここ数年、会っていなかった、男鹿市五里合琴川(いりあいことかわ)にある「珈音(かのん)焙煎所」のオーナー佐藤毅さん(47)が「雰囲気、すっかり変わりましたよ」と聞き、久しぶりに訪ねたくなった。琴川集落は男鹿半島の北海岸側にあり、西海岸の加茂青砂集落のほぼ対岸に位置するが、車で約40分の距離である。以前の名前は「こおひい工房珈音」で、県道沿いに看板が立っていた。

思い浮かぶ毅さんは、目の前に、田んぼが広がるこおひい工房のマスターであり、コントラバス奏者でもあり、毎年6、7月には、その田んぼに発生するホタルのカフェを開く人だったり、閉校になった学校を会場に「ものづくり学校」を担ったりもしていた。「シャベル1本で、田んぼを復活させたいんです」と話していた笑顔を、強烈な印象で覚えている。その後、計画は進んでいるに違いない。「森に帰る人」の言葉が、似合う人になっているらしい。

4月、仲間が開いた「春の音楽祭」で、満開の桃の花の下、コントラバスを弾く佐藤毅さん(秋田県八峰町手這坂、提供写真)

ちょうど、「加茂青砂の設計図」の図面を描くためには、森へ旅することが、必要なのかもしれない、と考えていた。根拠もなく、森から何かが始まる、と。男鹿半島は三方を海に囲まれているが、山に分け入る暮らしも、当たり前にある。「森に先に帰っている人」が、待っている、深い森の中で、ほほ笑んでいる―と勝手に思い込んだのである。

「あぁ、あの看板ですか? 風で吹き飛ばされたんですが、そのまま看板なしにしています。店に張っている看板も、外したいぐらいです。お客さんの応対は今、ほかの人に任せっぱなしです」

確かに毅さんは、以前の雰囲気からは想像できない。寡黙で控えめだった印象が、生気にあふれ、身長まで伸びたかのような、たくましさに満ちていた。毎週、木金土の3日間、店を開きコーヒーなどを提供しているが、毅さんはほとんど店に出ない。珈琲豆を焙煎したり、食パンを焼いたりする「作る方」に回っている。焙煎した豆は、通販などで販売している。パンを焼くのは毎週木曜日。前日の水曜日に2、3時間、「タネ」の仕込みをする。

「木曜は朝6時から夕方6時まで、オーブンのそばにいます。今のオーブンは20斤(1斤は400㌘)焼けます。金曜日の午前、置いてくれる店に配達します。小麦は国産、自分で栽培したのも入れることがあります。食パンは、全粒粉と白いふわっとした2種類です」。故郷の琴川に帰って、こおひい工房を開いたのは2006年(平成18年)。以来、10数年たって納得したのは「人前に出るのは、本当に合わない」ということだった。

毅さんは「山の話」を始めると、次から次へと話題は尽きない

「今の私、自信があるように見えるんですか?それは山の話ができるからだと思います」。颯爽とした姿が、日々の充実ぶりをうかがわせる。理由は、はっきりしている。これから、その山での話を詳しく聞けるのだ。わくわく感が募った。

そう思えたのは、琴川地区に陸上風力発電所を建設する計画が公になる、5月26日の前に、話を聞いたから、だった。地元の毅さんにとっても、初めて聞く計画。素早く動いた。28日には、フェイスブックで集落の未来像を鮮明にした。

「一緒に田んぼや畑をやってくれる人、養蜂家を目指す人、藍染めの職人を目指して畑に来る人、琴川の山に多くの人が来るようになってきました。移住を考えている人も増えてきて、空き家の持ち主と交渉も進めています。若い世代が魅力を感じて集まってくるこの場所は、未来への可能性にあふれています」。掲載されたこの内容と、その前に弾むような明るさで聞いた話は、同じだった。

その先は違った。フェイスブックでは、「決意表明」が続いた。「大型の風車が立ってしまったらそのような未来はなくなってしまいます。人がいなくなっていき、ただ風車ばかりが回っている風景しか想像できません。私は絶対にあきらめません」(つづく)

エッセイ「開墾について話そう」②

男鹿市のJR男鹿駅前の「チャレンジ広場マーケット」に、「屋台の店舗」を借りた。その初回となった、6月4、5の両日、狙いとした「開墾できる耕作放棄地があります」の話題で盛り上がることはなかった。めげずに、次回(11、12日)も続けよう、と自分に言い聞かせた。でも、がくっ。

耕作放棄地は、それぞれの理由で「やる人」がいなくなり、耕すのをやめてしまった田んぼや畑を指す。「放棄地」とは言っても、きのうやめたと、10年前にやめたでは、姿形がまるっきり違う。あすにでも苗を植えられるところもあれば、樹木が生い茂った土地を、切り開かなければならないことだってある。その開墾は、シャベルでひと掘りひと掘りをし、はびこった雑草の根、地下茎を抜き、樹木の伐根さえしなければならない。野菜などを植えるための準備作業なのに、すでに重労働である。

JR男鹿駅前で「開墾できる耕作放棄地あります」を呼び掛けたが、初日は……

今時、見向きもされないだろうな、とは思った。それでも、今回話を聞いた佐藤毅さんがいる。男鹿半島の一隅で、重機も入れない耕作放棄地を、シャベルひとつで、身ひとつの手作業で少しずつ耕した人がいる。現代の先達のひとりである。その毅さんが、実感している。自然の中の一員として、暮らしていこうとする人たちは、確実に増えている、と。

「受け皿」は整っている。私が暮らしている加茂青砂集落の人たちに聞くと、「いいねえ。土地は使ってないんだ。好きに耕していいよ」「田んぼだったところだってある。20人でも30人でも連れてきてみろ」と大歓迎なのである。

「取り組んでみたい人」がいて、「その場所を提供する人」がいる。話がまとまらない方が不思議だろう。単純すぎるか? ちょうどタイミングよく、男鹿駅前をにぎやかにしよう、という団体「オガアイランドパーク・ハブアゴー」が、屋台での出店を呼び掛けていた。よし、そうならば、街頭で誘ってみてはどうか。それが「開墾できる耕作放棄地があります」である。この小さなスペースには、加茂青砂集落の四季折々の風景写真を展示。田舎暮らしに興味がある人に、情報を提供しているほか、ちゃっかり拙著「男鹿のなまはげ」と「最果てピアノ」を売っている。友人の小林大蔵さんが、隣接する大潟村から農作業の合間を縫って、リサイクル自転車を軽トラに積み、駆けつけてもくれた。

それでも、まだまだ何かが足りないのだ。「もっと興味を持ってもらう、アイデアを考えないといけないな」と反省をこめて、思案中である。

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