【加茂青砂の設計図】第4部プロローグ・地域それぞれの設計図

連載:加茂青砂の設計図~海に陽が沈むハマから 秋田県男鹿半島】秋田県男鹿半島の加茂青砂のハマは現在、100人に満たない人々が暮らしている。人口減少と高齢化という時代の流れを、そのまま受け入れてきた。けれど、たまには下り坂で踏ん張ってみる。見慣れた風景でひと息つこう。気づかなかった宝物が見えてくるかもしれない――。
加茂青砂集落に引っ越して二十数年のもの書き・土井敏秀さんが知ったハマでの生活や、ここならではの歴史・文化を描いていく取材記事とエッセイの連載です。

土井敏秀】2022年秋。目にしているのは、「国民主権」「基本的人権の尊重」など、全く意識さえしていないような、この国のありようである。10月12日には、健康保険証を廃止し、マイナンバーカード一本化を義務化する―とまで踏み込み、強権で事業を推し進めようとしている。

これまでにも、私が暮らしている、秋田県・男鹿半島西海岸では度々、有線放送の呼びかけが、聞こえてきた。「マイナンバーカードの登録をしましょう」。市役所以外にも、臨時の出張窓口を設けること、登録すると、2万円分のポイントがもらえること―などが繰り返された。9月22日付の秋田魁新報には「マイナカード住民取得率 低迷自治体、交付金ゼロ」「締め付け強化、自治体悲鳴」という見出しの記事。国民には「ポイント」という「儲かった気分」をちらつかせ、地方自治体には、「握っている弱み」を、さらに捩じ上げる情景が浮かんでくる。

2015年(平成27年)に始めた事業が、計画通りに進んでいないからといって、この対応はいかがなものか。なりふり構わない姿が、むきだしのまま見えている。国民の反対が過半数を超しているのにもかかわらず、それを無視して、国会で百回以上、嘘をついた元首相の「国葬」もあった。「甘いエサ」の即効性がないと判断すると、「脅し」を振りかざす。この事態は何かに似ている、とせかす思いで探す。思い当たった。これは、男鹿半島に蝦夷たちが住んでいた時代から、繰り返されてきたことではないか。そう、大和朝廷の「討伐」という侵略に、ある者たちは抗って滅ぼされ、ある者たちは恭順の姿勢を示し、支配下に置かれた古代の姿である。侵略を受けた側が残した資料はない。「歴史上の記録」として日本書紀に、658年(飛鳥時代)、阿倍比羅夫が蝦夷を討伐したと記されている。

漁師に定年はない。加茂青砂の海ではきょうも、地元の船が漁に励む。遠くの水平線を、大型フェリーが北海道に向かっている

小説家芥川龍之介の「桃太郎」は、広く知られる昔話とは内容が一変している。「ヒーロー像」のうさん臭さを、あばいてくれたからだろうか。我が意を得たり、と腑に落ちた。

桃から生れた桃太郎は鬼が島の征伐を思い立った。思い立った訣(わけ)はなぜかというと、彼はお爺さんやお婆さんのように、山だの川だの畑だのへ仕事に出るのがいやだったせいである

桃太郎は、「からっぽね病み」(怠け者)だったのだ。お供をする家来は、飢えた野良犬であり、勘定高い猿と、もっともらしい知恵者の雉だった。一方の鬼が島は「椰子(やし)の聳(そび)えたり、極楽鳥の囀(さえず)ったりする、美しい天然の楽土」だった。「鬼は勿論平和を愛していた」のである。逆に、鬼の子供たちが聞かされる人間の姿は「男でも女でも同じように嘘はいうし、欲は深いし、焼餅は焼くし、己惚(うぬぼれ)は強いし、仲間同志殺し合うし、火はつけるし、泥棒はするし、手のつけようのない毛だもの」として描かれている。

その桃太郎らの極悪非道の残虐行為に、鬼の酋長は降参した。

鬼の酋長はもう一度額を土へすりつけた後、恐る恐る桃太郎へ質問した。
「わたくしどもはあなた様に何か無礼でも致したため、御征伐を受けたことと存じております。しかし実はわたくしを始め、鬼が島の鬼はあなた様にどういう無礼を致したのやら、とんと合点が参りませぬ。ついてはその無礼の次第をお明し下さる訣には参りますまいか?」
桃太郎は悠然と頷いた。
「日本一の桃太郎は犬猿雉の三匹の忠義者を召し抱えた故、鬼が島へ征伐に来たのだ」

桃太郎は、質問には答えず、はぐらかした上に、鬼が島の住民を虐殺し、生き残った酋長らから宝物一切を献上させ、故郷へ凱旋する。傍若無人に荒らされた鬼が島は「もう昨日のように、極楽鳥の囀る楽土ではない。椰子の林は至るところに鬼の死骸をまき散らしている」

芥川龍之介は、東北の蝦夷が大和朝廷に征伐されたのとそっくりな「鬼が島」を描いた。理不尽な構造を、「合点がいかない」と問いかける物語にした。蝦夷たちも大和朝廷に、問うたはずである。「実はわたくしを始め、蝦夷たちはあなた様にどういう無礼を致したのやら、とんと合点が参りませぬ」と。海山の幸に恵まれた豊かな暮らしを「踏みにじられてたまるか」の憤りがある。なのに、その理由が説明されることもなく、討伐された。

真夜中、満月は静かに日本海に沈む。加茂青砂の海で、しみじみと自然の営みを望む

この理不尽さが時代を下っても、幾度となく繰り返され、わだかまりとなってくすぶっている。その流れの一例として、「マイナンバーカードの義務化を図る側と、強制に抗えない側」も、位置づけられるのではないか。ただ、今回のケースが示しているのは、「国が荒れ、壊れていく」前兆にも映る。それも、ほころびが繕えないまま、自壊していく形で。時代は、生き方の見直しを求めているのかもしれない。強く必要としている。ひとの暮らしの設計図を、国という大きな存在にゆだねるのではなく、各地域、コミュニティごとに、自分たちの手で作り上げることを。

そうなのだ。小さくてかまわない。「美しい天然の楽土・鬼が島」を、あちこちによみがえらせる。加茂青砂集落なら加茂青砂の自然環境に合わせて。まだ絵空事のレベルでしかないが、例えば里山の耕作放棄地を「開墾する」ことだってあるだろう。かつて、加茂青砂では段々畑を耕し、コメや野菜類を育てていた。春には、満開の菜の花が里山全体に広がる。沖に出た漁師たちは海の上から、黄色に染まった「我が家」を眺められたという。菜の花は、菜種油を採るために植えていた。暮らしの中で「美」も育まれていた。石組みした畝や沢水を引いた跡、もう涸れてはいるが井戸などが、まだ、あちこちに残っている。そういった痕跡を頼りに整備する。機械類は使えないかもしれない。人の手、道具類と難儀する覚悟で掘り起こす。

それでも、この連載の第3部で紹介したように、男鹿半島には、シャベル1本で荒れた里山を田んぼに復活させた人たちがいる。自然の中で生きる喜びを糧としている。彼ら、彼女ら、子供たちの表情は、耕作放棄地に、光がさしていることを教えてくれた。「耕作した歴史」に出合えるのである。そのためには、設計図が必要になってくる。「加茂青砂の設計図」を手に、関心を持ってくれる人たちに参加を呼びかけよう。

加茂青砂の無事な暮らしの中で、じっくりと「設計図」を考える。いや、一緒に考えてもらう。なので次回は、あらためてここでの暮らしの一端を紹介します。(つづく)

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