【連載:加茂青砂の設計図~海に陽が沈むハマから 秋田県男鹿半島】秋田県男鹿半島の加茂青砂のハマは現在、100人に満たない人々が暮らしている。人口減少と高齢化という時代の流れを、そのまま受け入れてきた。けれど、たまには下り坂で踏ん張ってみる。見慣れた風景でひと息つこう。気づかなかった宝物が見えてくるかもしれない――。
加茂青砂集落に引っ越して二十数年のもの書き・土井敏秀さんが知ったハマでの生活や、ここならではの歴史・文化を描いていく取材記事とエッセイの連載です。
【土井敏秀】「『空飛ぶカラスか、4つ足ならタヌキ』と、自分で自分を笑っていた。分がるが? 『雑食』ってことへの自嘲だな。何でも食わなきゃ、生きていけなかった」。昭和24年(1949年)生まれの農業畠山富勝さん=男鹿市北浦真山=は、そんな環境の時代に育った。地域の盆踊り唄には、こんな1節がある。
「盆の十三日 正月から待ヅダ」。「正月休みが終わったら、8月のお盆まで休まずに働き続けた、という意味だよ。重労働だったんだ。でも、昔のひとの心の底に流れていたのは、きょうを嘆いても、あすへの希望を持ち続けたってことなんだ」
同じ年に生まれた私は、田んぼが次々と、新しい住宅地に変わっていく仙台近郊の町工場(まちこうば)で育った。朝鮮半島で起きている戦争で、右肩上がりの景気は、小さな鉄工所にも、もうけをもたらした。職人さんが、小学生の私をつかまえては「隣の国で戦争があるって、いいもんだな。これからは、うまいものが食えるぞ」と、喜んでいた。
工場の近くには「朝鮮人部落」があり、雨が降ると、傘を持っていない同級生を迎えに行くのが、私の役目だった。バラック建ての平屋。「入り口」で声をかけると、彼は出てきたが、妹だろうか、幼子がじっとこちらをにらんでいた。小学校まで約10分、ひとつの傘の下で、2人とも口を利かない。緊張で息もつけなかった。「矛盾」という言葉は知らないし、理由を説明できるはずもない。よく分からないまま、なぜか、気持ちだけは「ごめん」という感じだった。今なら言える。「傘を持っている」自分への後ろめたさだった。
この後ろめたさは、ずっと引きずってきた気がする。富勝さんが「強い農薬を使い、田んぼ、その周りの環境、里山に生きていた生き物を、あっという間に殺してしまった」と話してくれたときも、その後ろめたさが顔を出した。これほどの強い思いと出合うとは、想像もしていなかったからだ。知らなかった。だからだろう。富勝さんの核にあるのが「自然の中で暮らす喜び」であり、同じ喜びを感じられる自分がいることが、富勝さんの言葉に素直にうなずけることが、嬉しい。もちろんそれは、ここ男鹿半島に引っ越して来てからの24年間で、しっかりと身についたものである。
富勝さんは北浦真山地区で代々、農業に従事した家で生まれ育った。田に引く水には困らない、稲作に適した地である。それでも毎年、田んぼをやめざるを得ない人が増えている。富勝さんはその田の耕作を、息子2人、弟子1人の4人で引き受けている。今や、地区のほとんどの田んぼは、富勝さんたちが耕作している。使わなくなったコンバインなどの機械も引き取り、いつでも使えるよう修理、保管している。耕作地が広く人手が足りないので、ドローンで基準以下の農薬もまく。機械類を使いこなす。そうでもしなければ、手が回らないのだ。そこまでして、富勝さんが水田を守り、荒れ地になるのを食い止める目標は何か。
食糧増産が時代の要請であり、強い農薬をまくのがやむを得なかったかもしれない。それでも、富勝さんは強い自責を抱える。心に刻んだのは「かけがいのないものを失えば、2度と戻らない」である。その上で「自分自身は、理想とする農業をするには時間が足りない。それを次世代に託す」につなげる。
「ひとは、自然に目を向けて生きるのが本来の姿だよ。田んぼをやってみたい人は、いつでも歓迎だ。すぐできる環境は整えてある。無農薬でも、自然栽培でも、すべて手作業でも、理想の農業を、好きようにやってほしい。貸して、長続きしなかったケースもあったが、『おままごと』みたいでもかまわない。実際にやってみて、大変さが身に染みてくれればいい。その苦労はどの分野でも、行き詰った時に必ず役に立つ」
それでも富勝さんは、どちらかというと悲観論者でもある。「人類は間違ってしまった。便利さばかり追い求め、楽に生きることを選んだ。これはもう、変えようがないかもしれない」。身近な生活の中の例として「ガス湯沸かし器」を挙げて、説明する。「お湯になる前に、蛇口から出てくる水があるだろう。あれ、もったいないと思わないか。無駄な水を流している。それにあまりにも慣れてしまって、昔に戻れといっても、無理だろうな」
富勝さんは、稲わらを使って深靴を編む。わらは長い方が編みやすい。そのために、長い稲わらができる品種専用の田んぼも作っている。倒伏を避けるため、短い品種が稲の大勢を占める時代に、である。富勝さんは、途絶えそうになったこの技を復活させた。農作業ができない、雪が降り積もる冬。「わら細工に集中できる」この季節が大好きなのである。作った深靴は2月、地元の真山神社を会場に開かれる「柴灯(せど)祭り」に登場するなまはげの一群が履き、雪を踏みしめながら山を下りてくる。
靴が擦り切れ、履けなくなれば、堆肥として土に返す。「今の暮らしとはギャップが大きい、自然の中で暮らす発想を、少しでも伝えていきたい」。だからこそ富勝さんにとって、男鹿半島の里山の耕作放棄地を開墾して、農業を始めた若者たちは「8月のお盆」のような存在である。「自然に目を向けた」生き方をしており、その若者たちが、陸上の大型風力発電所建設計画に反対していることも「かけがいがない、あすへの希望」なのである。(つづく)
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