【加茂青砂の設計図 #4】理不尽さに抗う生き方

連載:加茂青砂の設計図~海に陽が沈むハマから 秋田県男鹿半島】秋田県男鹿半島の加茂青砂のハマは現在、100人に満たない人々が暮らしている。人口減少と高齢化という時代の流れを、そのまま受け入れてきた。けれど、たまには下り坂で踏ん張ってみる。見慣れた風景でひと息つこう。気づかなかった宝物が見えてくるかもしれない――。
加茂青砂集落に引っ越して二十数年のもの書き・土井敏秀さんが知ったハマでの生活や、ここならではの歴史・文化を描いていく取材記事とエッセイの連載です。

土井敏秀】東北に生まれ育ち、「東京」にコンプレックスを持っていたからだろうか。「まつろわぬ」の言葉に、というか、その服従しない生き方に無条件に惹かれる。歴史を古代にまでさかのぼってみる。男鹿半島を含む東北には、先住民「蝦夷」(えみし)が暮らしていた。加茂青砂集落からさらに北の入道崎集落には「蝦夷(えぞ)が浜伝説」が代々、語り継がれてきた。

男鹿市教育委員会編の「男鹿の昔ばなし」に載っている伝説の書き出しはこうだ。

「昔々、男鹿には蝦夷が住んでおりました。何しろ山には山菜・獣、海には海草・魚など豊富で、暮らしに困らない楽園でした。酋長は鬼王丸といって、勇敢でやさしい人でした。村人たちはこの酋長に守られて、楽しい日々を送っておりました」

そこに突然、大和朝廷が「なかなかその命に従わない東北の蝦夷を討伐するため」攻め入って来る。「楽園で楽しく暮らしている」だけだぞ。あまりにも理不尽ではないか。討伐される理由など、どこにもない。

武力に勝る中央政府・大和朝廷に敗れた、鬼王丸と息子の小鬼丸(安易なネーミングだなあ)は、住民を安全な場所に逃がした後に、海の藻屑と散った。それでも、まつろわぬ姿勢が「伝説」の形で残った。

江戸時代末期の村勢要覧「絹篩」に記された加茂村の記録(一部)

公式文書・日本書紀「斉明天皇4年(658年)の項」の記述にあるのは、秋田を支配していた族長・恩荷おんが)の話である。180隻もの朝廷の船団が秋田沖に来襲、それに恐れをなした恩荷は、すぐに恭順の姿勢を示した。岩手では、阿弖流為(あてるい)たちが最後まで抵抗した末に、京の都で公開処刑された逸話が残っている。恩荷って弱っちいなあ、と「秋田県人」であることに、情けなさを覚えたものだった。血を血で洗う戦いよりも、恭順の方が多くの命を救ったとも指摘できるわけなのだが、権力に抗う生き方を知ると、悲しく悔しくとも、スカッとはする。犠牲をいとわない感性は、やばいのかもしれない。

大和朝廷時代、東北には北陸や関東地方の住民が、移住させられ(移住は昔からあったのですね、当時は強制だけど)、蝦夷は逆に他地域に追いやられもした。東北には、純粋な蝦夷だけが生きていたわけではない。朝廷には朝鮮半島、中国大陸から移り住んだ人たちもいた。秋田市にあった「秋田城」は、朝廷という中央政府の出先機関である。働いているのは国家公務員になるが、その長が朝鮮半島出身の人も、珍しくはなかった。いろいろな血が混じり合うことは、そのころから当たり前だった。

もちろん、私も純粋な蝦夷の末裔ではないが、蝦夷の「まつろわぬ」プライドに惹かれる。なぜなのだろう。惹かれる理由を解くカギは、私の全く知らなかった歴史の中に、またもや潜んでいた。「これ本当に知らないんですか」という、専門家のあきれた表情が、再び浮かんでくる。すまぬ、本当だ。その本の帯には「1100年前、地域の自治・独立を要求し律令政府に反乱を起こした住民闘争の事実と意義を歴史書の中から読み解く」とあった。おおっ!一気にミーハー状態。

著者田牧久穂、1992年(平成4年)、無明舎出版。本の名前は「元慶の乱・私記」。漢字が読めない。ふりがながあり助かった。「がんぎょうのらん」。「がん」はまだしも、慶応の「慶」が、「ぎょう」かあ。漢字と仮名を繰り返し書いて覚える、小学生に戻った。(つづく)

エッセイ:続々・海の中の思い出

今回は現在の、オカでの情景から始まります。

「こらあ、だれだあ。そこは私のプライベート・ビーチだぞ。勝手に潜るな」。心の中の叫びで私はむなしい。漁協の組合員を返上しているから、散歩中に見かけても、警告する権利など、もうないのだ。もともと、プライベート・ビーチなんてうそだし。

それにつけても、である。潜るポイントから始まり、獲物を探すために、ロープで長く伸ばした浮袋を引っ張りながら泳ぐ姿、シュノーケルから息を吐きだすタイミングまで、私そっくりではないか。

残念だね。きょうは捕るより、泳ぐ時間の方が長そう。他人に捕られなくて、どこかほっとしている。欲だなあ。私にはもう捕る資格がないのにね。ほう。消波ブロックに隙間に潜り込んだか。気をつけなよ。入った場所を、確認しながらじゃないと、積み重なったブロックの迷路に、右往左往しますよ。

加茂青砂の磯場

その場所は思い出深いところでもある。サザエを捕っていると、大きなクロダイが近寄ってきた。何をしているのか、分かったのだろう。頭が妙に大きく、やせ細っている。ひと目で、こいつ、腹減ってんだ。釣り針と格闘したことがあったのかもしれない。顔に傷跡が残っている。

それにしてもだ。「こういう場合、人間を利用するに限る。なんか食わせてくれる」なんて知恵は、どこで身につけたのだろう。代々引き継いでいるのか。

はい、言われた通りにしました。サザエの身を殻から外して、海の中で放り投げました。一つ目、見事にキャッチ、二つ目、同じく。三つ目、あら、もういなくなっていた。あっという間。本当のことだったのだろうか。当たり前にサザエを投げ与えていたが、しばらく、夢見心地だった。そんな機会は、この一回だけだった。

多くの命が、私を見ているのかもしれない。

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