【加茂青砂の設計図】「耕さない田んぼ」に集う仲間たち㊦

連載:加茂青砂の設計図~海に陽が沈むハマから 秋田県男鹿半島】秋田県男鹿半島の加茂青砂のハマは現在、100人に満たない人々が暮らしている。人口減少と高齢化という時代の流れを、そのまま受け入れてきた。けれど、たまには下り坂で踏ん張ってみる。見慣れた風景でひと息つこう。気づかなかった宝物が見えてくるかもしれない――。
加茂青砂集落に引っ越して二十数年のもの書き・土井敏秀さんが知ったハマでの生活や、ここならではの歴史・文化を描いていく取材記事とエッセイの連載です。

【土井敏秀】雨のためライブ会場となった、神社直会殿から聞こえるミュージシャンの歌声、仮設食堂の鍋から漂ってくる温かい香り、なぞなぞの屋台には大人も子供も苦悶する表情が並んでいる。酔って肩を組んで、盛り上がっている男たちの千鳥足……その会場を樹齢400年以上のもみの木の深緑が包み込み、見上げる銀杏の木からは、黄色く色づいた無数の葉が降ってくる。子供たちはまだ走り回っている。

 予定していた祭りの時間割通り、4時間が過ぎた。祭りはまだ続いている。記念の集合写真を撮った後の「撤収」も、祭りのうちなのである。初めてを感じさせない、いつも通りの段取りのように、片づけが進む。指示する人は誰もいない。片付けのほんの一例。デッキブラシまで持って来てるんだね。雨模様で泥だらけになった会場の玄関を、水を流して洗っている。会場は借りる前以上に、綺麗にして返す。今年の祭りはこうして終わった。しばらくして、SNS内のグループが、参加したメンバーの投稿でにぎやかになった。その幾つかを抜粋で紹介すると。

泥だらけの長靴が並んだ会場の玄関を、デッキブラシで洗い流す。後片付けも祭りの一環である

「色々と考えながらの準備から撤収作業まで、すべてが楽しかったです。人と共に、あーだこーだコミュニケーションをとりながらの時間、こんな幸せな事ってないなって思ってました」

「大人が朝から、お酒を飲み、『非日常』『ハレの日』を楽しんでいる。(こんな光景を)見るっていうのは、子供らにとって『色々とありなんだなぁ』と気づくことだよ。(祭りは)生きづらい世の中で、息抜きを感じれる時間でもあるって、凄く凄く思いました」

 たそがれ野育園の菊地晃生さんは祭りの後、参加したメンバーに、こんなメッセージを送った。「普段から田畑を一緒にやりに来てくれるメンバーは、ものづくりの達人、お料理の天才、子供遊びのプロフェショナルばかりで、みな命がけで生きている。そんなフルセットメンバーで手作りする祭りのような異空間は、神々からのギフトだったかもしれない。唄が響いた境内は、まるで夢だったように今は静まりかえり、フクロウのねぐらへと日常を取り戻していた。いつか咲く花をイメージして、これからも種を蒔き続けましょう」

 野育園は初級クラスの1年目が、菊地さんの田んぼのうちの10㎡(1区画)を「マイ田んぼ」として手掛ける。種まきから稲刈り・収穫までのすべてを手作業で携わる。この広さで3―5㌔のコメが収穫できるという。コメだけではない。ほかにも、一年間を通して山菜採り、畑仕事や味噌作り、餅つきなど、四季折々の「百姓仕事」を体験できる。2年目の中級クラスは、田んぼを最大で100㎡にまで広げ、3年目の上級クラスになって200㎡となり、約60㌔の収穫を見込めるという。子供たちも、もちろん泥だらけになって田植えをし、鎌を手に稲を刈り取る。自然の中で、数多くの生き物と出会える喜びを、体まるごと満喫している。季節の順を追って命の成長を見守ってきたからこそ、秋に祭りが開かれる理由を知っている。収穫に感謝できる。

 もう一度、集合写真撮影に集まるメンバーの写真を見る。子供たちの表情にも「いっちょ前に」暮らしの一端を担っている自信が、うかがえるのではないか。「かけがえのない」という言葉が自然に浮かんだ。その言葉はすぐさま、「かけがえのないものを失ったら二度と戻らない」と、伝えてくれた人を連れてきた。一緒に「この気持ち分かるか」と聞かれて、答えに窮した私を伴っていた。

たそがれ野育園の母体「ファームたそがれ」のHPは、菊地さん一家で農的暮らしへの参加を呼び掛ける

 男鹿市北浦真山で農業を営む畠山富勝さんは、食糧増産が叫ばれ、田や畑を耕す機械・耕運機、トラクターが普及し、軽トラックが登場した昭和30,40年代(1950—60年代)、「人馬一体」の馬が、農作業の現場から消えていくのを目にした。殺虫剤、除草剤など強い農薬が使われた。「あっという間だった。メダカもシマドジョウもいっ瞬で消えた。ヒバリが鳴かなくなり、カッコウの声も聞こえなくなった。田んぼを作っているおれたち百姓が、農薬をまいて、やった。いまでも心が痛む。あっという間だからな」。「百姓はこのことを、ずっと悔やんできたんだ」と続ける富勝さんは一言、問いかける。「この気持ち、分がるが?」。即答できなかった。あいまいな表情を浮かべていたのが、自分でも分かり、恥ずかしかった。

富勝さんは「答えられないだろうな」と見越していた。問いかけた時すでに、「分からないだろうな」という諦め、悲しみの表情がのぞいていた。念を押した。「いっ瞬だ、いっ瞬に、みんな死んだんだ。心が痛まねはずないだろ」。富勝さんが「かけがいのないもの」の中心に据えているのは、「自然の中で暮らす喜び」。集合写真の中は、かけがいのないものだらけである。これが消えたとしたら……。少しは富勝さんの気持ちが分かり、一歩でも近づけた気がした。(つづく)

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