【女川ぐらし】女川を離れても、素敵な風景を発信

【写真連載:女川ぐらし】アマチュア写真家の福地裕明通信員が、単身赴任先の宮城県女川町での暮らしを写真で綴る連載「女川ぐらし」。女川町のいまの日常風景を、生活者目線でお届けします。

女川での撮影枚数は「3万枚以上」⁉

福地裕明】「女川ぐらし」連載の最後にあたり、そもそもの目的だった写真日記について触れさせてください。そもそも、連載の開始にあたって、私はこんなことを書き記していました。

「私は2つのことを心がけてきた。ひとつは、できるだけ女川に住む方々と接すること、もうひとつは、女川での日常を撮り続けること。」

初回の繰り返しになりますが、そもそもは、単身寮近くにあった仮設住宅に寄ってくる野良猫を撮ることからはじまりました。

別に整列してくれと言ったわけじゃない(2017年11月7日・小屋取浜にて)

オーシャンビューの住環境(撮らないのはもったいない!)と、早起き体質(歳とっただけ?)が幸いし、近所の漁港で朝焼けを撮るようになりました。

この場所からの早朝撮影がルーティーンとなった(19年9月27日・小屋取浜にて)

撮影していくうちに、同じ場所だけ撮っていても芸がないし、日に日に太陽がのぼる位置が変わることを実感したこともあって、町内の様々な浜に(場合によっては旧牡鹿町まで)足を運ぶようになりました。日が長くなると朝焼けだけでは飽き足らず、夕焼けまで追いかけるという始末。

尾浦の浜は出島が目の前にあるので水平線からの日の出はなかなか見られない(20年7月3日・尾浦にて)
横浦漁港の朝。上下反転しても分からないぐらい海面の反射が素敵(21年6月8日)
日の出直前の小乗浜。どちらかというと、日が昇る前の景色のほうが好き(20年11月20日)
鮎川で夕焼けを撮ろうと牡鹿半島のどんつき(突端)へ。羊の牧場の前で野生の鹿に遭遇(20年6月17日)

おかげで、たくさんの素敵な写真を撮ることができました。野生の鹿を撮れたのも貴重な経験です(鹿とマイカーとの激突も今となっては良い思い出です)。

「どれくらい(枚数)撮ったのか?」と聞かれたことがありました。特に数えたことはありませんが、直感的に「3万枚ぐらい?」と答えたような記憶があります。

山王島の間から朝日が顔を出すアングルは時期が限られる(20年5月12日・小屋取浜)

少しは根拠があったほうがいいかなと、おおよその撮影枚数をざっくり算出してみることにしました。

一回の朝焼け撮影での撮影枚数は平均で80カット。単身赴任と天候を考慮して週3日撮影とすると、年間撮影日数は156日。4年9ヶ月暮らしたわけですから、これらを掛け合わせるとなんと6万枚近くという驚くべき数字が出てきました。でも冗談抜きで、5万カットは撮ったかもしれません。チェックの際に半数近くは削除するので、「3万枚」という答えも、あながち間違いではないかもしれません。

こうやって撮り続けてきたことで、昨年4月には女川町内で写真展を開催することができました。こんな膨大な写真データの中からよくもまあセレクトできたものだと、あらためて驚いています。

夕景を撮ろうと塚浜に足を向けたら、なんとも幸運なシーンに出くわした(21年9月13日)

女川で知り合えた方々にお越しいただき、「またやって欲しい」「次は写真集だね」「仙台で個展やるときは行くから連絡ちょうだい」など温かい言葉をかけてもらいました。これは私にとって、大きな励みであり、財産です。その一方で、ちゃんと近い将来に写真展を開催せねばとあらためて気を引き締めています。

また、毎日のようにSNSに写真を投稿したり、写真展を開催したりしたことで、町の観光協会からお声がけいただき、女川町観光ガイドブックに何点か写真を掲載させていただくことができました。これも私にとっての「勲章」であり、女川に遺した「爪痕」になりました。

「シン・女川100景」的なものを残せたら…

女川の風景を撮ることで、地元の方からは「見たことのない景色を見ることができた」「いつも見ているつもりだけど、見えてなかった」と言った感想もいただきました。

太陽が太平洋からのぼって、万石浦に沈むさまは、女川の人びとにとっては震災前から当たり前に目にしていた光景です。ただ、彼らにとって海は生活の糧を得る存在であり、鑑賞する存在ではなかったと思うんですね。だからこそ、「異邦人」の私が毎日のようにweb上に女川の景色を紹介したことで、日常、何気なく目にしている風景の素晴らしさに気づいてもらえたのではないかと思っています。

旅館「華夕美」の近くで出くわした万石浦の夕景。見たくてもなかなか見られるものじゃありません(21年12月12日撮影)

それに加えて、震災後の復興工事を経て、新しい道路やスポット、お店などができ、あちらこちらで新しい風景が見られるようになりました。そんな新しい景色を見つけるたびに、これらをまるっとまとめて、新しい女川の風景として発信するのは面白いのではないかと考えるようになりました。パクリですが、題して「シン・女川100景」。

年末年始はシーパルピアのれんがみちや、大原の復興住宅から朝焼け・日の出を狙っていました(17年12月5日撮影)

シーパルピア女川はもとより、マッシュパークやしおかぜ保育所、いのちの石碑なども「シン・女川100景」だし、女川駅舎が入った光景はもちろん、全てが「シン・女川100景」です。冬場の夜明け撮影は大原の災害公営住宅から狙ってましたので、これも「シン・女川100景」。最近では、浦宿に大きな橋が架かりましたから、そこから万石浦に沈む夕日を望めばまさに「シン・女川100景」です。こうやって断続的に新しい魅力を探していこうと思った矢先に転勤となったわけですが、今度はひとりのファンとして出向いてみようと目論んでいます。

シン・100景を気づかせるきっかけとなった小乗トンネル付近からの夕景。新しい道路ができたことで見たことのない景色が見えるようになった。もちろん、夜景も綺麗です。撮影の際はくれぐれも交通安全にご留意のほどを(21年6月30日)
薄暮時の女川町しおかぜ保育所。これもやっぱりシン・100景(21年11月11日)

女川のいまを、これからも。

女川を離れたからといって、女川とのご縁が切れたわけではありません。仙台の新職場はなんと、地域活性化に携わるセクション。「理由をつければいつでも女川に立ち寄れる」と心の底でニンマリしています(着任したばかりなので、とりあえず大人しくしてますが)。

と言いながらも、先日、以前取材させていただいたヘアサロン「Room」の早坂舞衣さんに仙台でカットしていただいたのですが、「福地さんのインスタから女川の写真が消えましたね〜」との言葉に寂しさを感じてしまいました。女川を離れて1ヶ月半もの間に、撮る写真がまったくもって様変わりしてしまいました。環境が変わったのだから仕方がないことですが、やはりできるだけ早く再訪したいものです。

黒森山から復興途上の女川町をのぞむ。ここから冬の朝焼け空を撮れなかったのが心残り(19年10月18日)

これにて、4年9ヶ月にわたる「女川ぐらし」を紹介するフォトエッセイはおしまいです。これまでお読みいただいた皆さまには心より御礼申し上げます。

女川を離れる際に撮影した最後のシン・百景。野々浜の嵩上げ道路から見た女川の海(22年4月3日)

これからは、単発のフォトエッセイあるいは、女川関係者のインタビュー記事などといった形で、女川の「いま」を紹介していければと思っています。

【おまけ】竹浦で見かけた野良猫。毛並みと顔つきが特徴的。おそらくこの時が初対面(18年4月12日)
【おまけ】女川を離れる日、竹浦でまさかの再会。かなりやさぐれてたね(22年4月8日)

本当に、これまでの間ありがとうございました。

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