いよいよ明日に投開票日を迎える、令和元年の参院選。TOHOKU360ではNPO法人メディアージの協力を得て、3人が立候補する参院選宮城選挙区の各候補の情報をお伝えしています。

今回は宮城選挙区の各候補の掲げている「公約」について、東北大学法学研究科博士課程出身で、東北工業大学講師などを務めた政治学が専門の池亨さんが、その整合性や具体性などを一人ひとり客観的に分析します。

おことわり

文責・著作権は、筆者(池亨)に属します。また書かれた内容は評者の所属団体・勤務先等に一切関係しません。本批評は、特定の候補者への支持投票を呼びかけるものではありません。

本批評は、公職選挙法に基づく各候補者の頒布するビラをベースに、宮城県選挙管理委員会選挙公報、各候補者のウェブサイト、新聞報道等それぞれに依っています。またメディアージで録画配信されているインタビューや街頭演説も参照しております。ただし、筆者の価値観や利害関心というバイアスは否定しません(客観性は目指しております)。

コンセプト

公約を読むにあたって、政策の中身だけを批評するのではなく、主張の仕方や、見せ方といった面にも着目し、どうしたら有権者に説得的に政策や理念が伝わるかという側面からも批評をしています。

評価の指標

  • 【整合性】各政策が各候補者の理念に即して十分に論理的に結び付けられているか。
  • 【具体性】抽象的な理念やテーマだけでなく、具体的な政策や施策が記述されているか。
  • 【プライオリティ】なにから優先して手を付けるかがはっきりしているか。
  • 【専門性】候補者が自らの経歴や得意分野を生かし、どのような政策分野を手掛けようとしているか。
  • 【現状認識・分析性】争点となる社会問題や政策課題に対して分析をくわえて政策を提示できているか。
  • 【時間的視野】短期・中期・長期の中でどのような視野を持って臨んでいるか。
  • 【地域課題との関連性】宮城県選出議員として地域課題をどのようにとらえ、政策の重点をどこに置こうとしているか。

概観――自公連立(政権党)VS「野党共闘」:小選挙区的構図の中で

前回、2016年の第24回参議院通常選挙から宮城県選挙区の定数が削減され、改選議席は1議席となりました。政権選択が直接に問われる衆議院総選挙とは異なり、各政党が長期的視野を置いて政策を訴え「良識の府」参議院で多様な人材を投入して、どれだけの勢力を得るかという競争が憲法上の趣旨から言えば求められる選挙のはずです。

昭和時代の世論調査では「投票判断で重要視するのは党か人か」という質問項目がしばしば見られました。誰が最もふさわしいかより、複数の議席をどういう人物に割り振るかという観点もありえたのですが、現状宮城県選挙区は衆議院総選挙と同じく実質的に小選挙区化(一人区化)しており、政権の信任を問う形で排他的に候補者選択せざるを得ない仕組みになっています。言い換えれば、大選挙区のなかで候補者の資質を見定め選択する傾向よりも、政党(連合)選択が前景化されていると言えるでしょう。

いきおい競争が先鋭化しやすく、また候補者も政党の主張に沿うようにリクルートされ、主張・行動することが求められますから、一般的には候補者の個性、党内での多様性を打ち出しにくくなる傾向は否定できません。またこうした状況は逆説的に他の候補者と差異化を図ろうとし極端な主張やパフォーマンスに走る候補者を生み出す土壌にもなりえます(近年、暴言によって「炎上」する議員がしばしば出がちなのはこうした背景があるからではないかと個人的には考えています)。

加えていわゆる「シングル・イシュー・パーティ(単一争点政党)」も登場し、ますます「人」の要素はかすみがちです。

本批評ではそうした背景を念頭に置きながら、政党と候補者の主張の異同や、政党の政権公約集(マニフェスト)との関連も念頭に置きつつ、候補者自身の思惟様式に出来るだけ迫ってみたいと思います。

批評一覧(立候補 届け出順)

  • 三宅紀昭候補
  • 愛知治郎候補
  • 石垣のりこ候補

【三宅紀昭候補】NHKをぶっこわし、そのあと何がやってくる?

まず最初にNHKから国民を守る党の三宅紀明候補を取り上げます。選挙公報で訴えていることはシンプルにただ一つ。「NHKスクランブル放送の実現」です。政策のプライオリティ、具体性は鮮明といえばそう言えなくもないのですが、優先度は他の政策との比較の上で意味を持つ話ですから、そもそもプライオリティをはなから度外視しているとも受け取れます。

またその政策の元となる、あるべき社会像がよくわかりません。たとえば、先の最高裁判決を批判して「契約の自由」を憲法理論上重視する立場から、現状の受信料問題が解決されるべきであり、その手段としてスクランブル化が求められるというのであれば一応理解可能です。

仮に公約を実現する場合、ラジオ放送の存在や学校教育放送を担う教育テレビ、あるいは国に義務付けられている防災上の放送などをどうするつもりなんでしょうか。公共放送という存在をそもそも否定するのか、そうした機能を新たな国営放送なり、民間放送なりに肩代わりさせるのか(NHK民営化や廃止と言わないとすると、一定の公共放送像が別にあるように受け取れます)。制度的な提案・構想の奥行き、見通しというものが一切ありません。放送法を始めとした法令改正も、どのようにして進めるのか。

現状のNHK制度に問題がないとは思いませんが、何故・いかにの説明がなく、スクランブル化だけで済む話ではないのではないでしょうか。またスクランブル化の達成はいつまでに行うかについても言及がありません。

そして、国会ではスクランブル問題だけをやるわけではありませんから、他の政策についてもある程度語れなければいけません。三宅候補の記者会見では、当選後に少子高齢化、年金、学校教育、復興についての問題解決に取り組みたいとおっしゃっているようですが、テーマの羅列にとどまり、具体性は全くありません。

したがってあくまでこれは選挙の仕組みを利用した社会運動ということになるのでしょう。こうした選挙を利用した情宣活動を法的に排除することが望ましいと私は思いませんが、これまでのN国党の活動を見る限り、本来国政全体を対象とする参議院選挙の、私的利用だという批判は十分にあり得るでしょう。

そして、宮城県の有権者が候補者個人としての三宅氏(陣営)にアクセスする手段が、ツイッターと、そこに記載されている携帯電話以外にはないようです。選挙公報には経歴も連絡先も記載がありませんでした。宮城県の有権者と対話する気が、候補者にはあるのでしょうか。インターネットを利用した選挙活動を目指すと言いながら、候補者本人の肉声・言論がほとんど伝わってきません。

各指標については、プライオリティ以外ではほとんど評価不能です。プライオリティのみが評価対象になりそうですが、優先度の根拠が説明されていませんので評価を留保します。

【愛知治郎候補】「what(何を)」はあるが、「how(いかに)」がない――「ぼんやりーぬ公約」は保守の王道?

2001(平成13)年の当選以来3期連続、18年選手の愛知治郎候補。財務副大臣をはじめ院内・党務でそれぞれ要職も務めています。ビラには歴任の役職がズラリ。また財政・金融畑のプロフェッショナルにして、田中角栄内閣で大蔵大臣を務めた祖父・愛知揆一、環境庁長官を務めた父・愛知和男と三代続く政治家家系のサラブレッド。

……とくればさぞかし豊富な経験と知識を活かした政策を期待できますが、あれっ? と肩透かしを食う内容になっています。ビラ・選挙公報ともに、「宮城の復興その先へ! 災害から国民を守りぬく!」「子育て支援や教育改革により、子供の未来を切り開く!」……。

ごもっともな文言ですが「で、どうやって?」という具体策やアイディアに乏しいのです。スポーツ新聞の見出しかというほどの「!」の多用。くわえて「強化」「推進」「活性化」……「何を」はあるが「いかに」がない、これどこかで既視感があるぞ……そう、2017年の仙台市長選の菅原候補と同じなのです。そこで、あえて表題を菅原候補と同じにさせていただきました。(→2017年仙台市長選の公約批評

そういう意味で、保守の王道と言えばそうなのでしょう。伝わってくるメッセージは「状況に柔軟に対応するので、あとは任せてください」。政治超然的保守主義と言えるかもしれません。政治はあくまで諸利害の調停調整に徹すべきであるという、政治消極主義(ミニマリズム)に立つリアリストならでは、というようにも受け取れます。むしろ多くを知るからこそ語れない、語りにくいことが多いと受け止めることもできなくはありません。

政見放送では、安定や責任という語彙が非常に目立ちました。政権党としての自信に満ちあふれているのは結構なことですが、とはいえ、決してバラ色な将来を見通せない有権者としては、この国や宮城県をどういう方向に持っていきたいのかが見えにくいことは否定できないと思います。

現職3期目、これまでの実績も含めて論点を提示できてもいいはずです。党の参議院政策会長、また財政畑で経験を積んでこられたはずですから、ある程度数字を上げながら将来の見通し、野党の主張への反論を述べたり、具体的な立法にどれだけ関わってきたのかについても、紙幅の限界はあるにせよ、もう少し訴えていただきたかったなと思います。役職で調整役が多かったぶん、ものが言いにくい立場が長すぎてしまったのかもしれませんが。

さて、各評価指標について見ていきましょう。整合性はあるのかないのか見えません。というのも、個別の論点を結びつける愛知さんの理念が明確に見えないのです。どういう社会を目指したいのか。愛知さん、政見放送のコメントでは、憲法9条の問題をクリアしたいように受け取れましたが、前提としての愛知さんの国家観や自由主義観は明確に提示されているようには見えません。

その中での政策のプライオリティも見えません。大味かつ総花的と言えます。具体性もありません。

専門性は経歴から伺えるのですが、それを裏付ける政策に関する言及がほとんどないので評価しづらいところがあります(参議院の議事録も覗いてみたのですが、大まかな方向性の確認や政府の姿勢の確認が多く、独自の視点や分析で切り込んでいく観点が薄いように感じました。私は立場を全くは同じくしませんが、同じ参議院自民党の西田昌司さん[京都府選挙区]のような経済政策への切り込み方、問題提起のしかたもあるでしょう)。

現状認識・分析性もほとんどみられません。震災復興など、発災から8年経過しフェーズが変化しているのですから、どういう復興への支援が望ましいのか、分析しつつアイディアを提示していただきたかったと思います(「みなし仮設の実績」だけでは時間が経ち過ぎています)。先に触れた消費増税の妥当性も数値だけでなく、実体経済についての言及も欲しいところです。

宮城県の地域課題については宮城県の企業についての支援について言及されています。世界的なブランドにという気合いはいいのですが、気合いを入れるだけでなく、企業がチャレンジ精神を発揮し、ブランド力をつける背景の掘り下げや、具体的支援策が必要なのではないでしょうか。批評分析はできているのですから。

一部の演説では、野党の訴える最低賃金の引き上げが、韓国の例を上げつつ中小企業に打撃を与えると指摘されていました。日本と韓国では経済構造が異なりますし、むしろ最低賃金を上げることが企業の生産性を上げるために必要だという指摘もあります。宮城県の中小企業に気合いが足りないと発破をかけつつ、最低賃金を低く留めることで甘やかすという一見矛盾した見解に見え、むしろ「中小企業の技術革新や設備投資への応援策なくして最低賃金引き上げはあり得ない」と言ったほうがより積極的な反論だったのではないでしょうか。

こうしてみてくると、ほんとうは色々お考えのようですが、それを有権者に語り伝える意志と技術に乏しいのではないかと思わせる節があり、もったいないなと思います。要職にいた分、現場で有権者と触れ合う機会が少なかったのかもしれません。

かつて愛知氏の尊敬する祖父揆一氏を重用した田中角栄は(その中身に賛成するにせよしないにせよ)、有権者にダイレクトに信念・政策・構想を語る言葉を持ち得ていたと思います。その実績が、汚職の咎を課されても、病に倒れてもなお、彼を支持する有権者の熱量としてある程度持続し続けたことは間違いないでしょう。

この「語れる実績」があると有権者に評価されるか否かが、愛知さんには問われる選挙になるのではないでしょうか。

【石垣のりこ候補】問題提起とチャレンジ精神は旺盛! その足元は大丈夫?

最後に、今回立憲民主党に所属し、共産党社民党の支援、国民民主党の支持を受けて「野党統一候補」として立候補した、石垣のりこ候補。立候補表明からそう間がなく、準備期間 は多くはなかったはずですが、ビラを見る限りではさまざまな観点から問題提起をしている様子が見て取れます。さて、その掘り下げ、提起のしかたは、どれだけ有権者に届きうるものになっているでしょうか。

選挙公報もビラもトップの見出しは「あげるべきは賃金であって消費税ではない!」。プライオリティは明確であると言えます。ただ立憲民主党やほかの野党の主張と異なり「消費税ゼロを目指して」います。石垣さんと政策協定を結んだ形跡は見られないのですが、れいわ新選組にむしろ近い訴えだということもできます。ただしれいわ新選組のように明確に「反緊縮」を訴えているわけではないので、賃上げ減税は目指しても、最低賃金の国家補償というような、財政出動までは求めないのでしょうか。

政党の主張のさらに先を訴えるという意味では非常に個性的ですし、立憲の中でも多様な議論があり得るのでしょう。大いに党内議論をしていただきたいのですが、ただし、ちょっと議論が粗いのではないかと思わせる節もあります。ひとつひとつ検討していきましょう。

まず、愛知さんと異なるのは主張の中にグラフや数字を用いているところ。これは特筆される優れた点なのですが、立場の説明、正当化のためのものではあっても、今後の見通しを示すものには必ずしもなってはいません。

まず、消費税の逆進性ということについてはそれほど異論は多くないでしょう。(例えば、井堀:2009。https://www.apir.or.jp/ja/research/files/2013/03/197.pdf  など。ちなみに石垣さんは、「逆進性」ではなく「逆累進性」という言葉を繰り返し使用されていますが、この言葉は専門の論文などにはまず見られない表現で、インターネットで著名なさる経済評論家だけが頻用しています。もしかすると、石垣さんはその方の主張に賛同されているのかもしれません)。

また賃金上昇率についても日本がほとんど上昇していないというのは、あまり異論がないでしょう。気になったのは、ビラにOECDのデータを利用したG7各国と日本の比較があるのですが、物価上昇率を織り込んだ実質上昇率か、名目上昇率のいずれかが書かれていません。グラフを用いるならなんらかの注が本来ここで必要だと思います。

さて、やや問題含みになってくるのはこの後です。「財源は法人税と所得税含め、いくらでもある!」この主張が十分に説明されているのかどうか。税収推移の倍のグラフだけで、これを説明するのはちょっと無理があります。むしろ、税収の絶対額の変化を所得・法人税率の変化などもおさえながら図示したほうがよほどわかりやすかったと思います。「穴埋め」が結果として高所得者への所得移転につながっていると本当に提示できるのでしょうか。

何よりも「企業と東京の富裕者から徴税をすれば財源はいくらでもある」(強気ですね!)「景気の良かった昭和の税制に戻す」などの主張について、妥当性を表すデータが上がっていません(共産党の方がまだ具体的試算を示しています)。

この言いっぷりを見て、かつての民主党政権が「無駄を見直して財源を」と言いつつ、思ったほど財源が見出せなかった過去と重なる有権者は決して少なくないはずです。また応能負担を強調するなら、株式配当収入の分離課税による所得捕捉率の低さや、不動産資産を多く持つ場合の相続税制などを、問題として取り上げるのも良かった思います。

今は、外需に支えられ経済成長に恵まれた昭和時代とは経済構造が違うはずです。単純に昭和と同じに戻せばよいのでしょうか。そして、税の議論の先にある年金制度の話になると急に理念や、政権の隠蔽体質の指摘のみにとどまってしまっています。

問題提起の心意気やよし。しかしアピールすることに性急すぎて政策としての立体感や見通しが示せていません。税の応能負担、所得再分配機能を強調しつつ、格差の是正を目標とするなら、社会保障、財政、経済政策を一体のものとしてどう捉えるのかという観点です。

政策理念についても一応述べられていて「多様性」を打ち出しています。ここに人権意識の問題も含まれていると思われます。課題意識だけではなく、もう少し差別払拭のための具体的な政策について言及があると良かったのですが。

宮城県の地域課題との関連性でいえば、「アグリファーストの実現」と述べられています。例えば世界農業遺産となった大崎耕土の事例なども入れて、ここにも具体的政策をうかがわせる情報が欲しい。震災後地元経済活性化(例えば、第1次産業の6次化、ブランド化、医学農理工学との連携による食産業化など)との有機的繋がり、構想が見えるようになっているといいのですが。アナウンサー時代には震災復興や農業体験企画などに取り組んでこられたようなので、その辺ももう少し伺いたかったと思います。

 こうしてみてくると、プライオリティはハッキリしすぎるほどはっきりしていて、現状認識はそこそこ、しかし分析にやや甘さが残り、一部に限って具体性は強いが、整合性がとれていないように見えます。専門性、地域課題との関連性はそこそこあるようですが、関連するテーマに具体性が乏しい。

 石垣さんにとっては、新人としてのフレッシュさ、争点課題設定の勢いとともに、当選後どれだけの政策の提言力、説明力、そして時には政権党だけではなく自党に対しても十分に根拠づけられた批判力を伴うかを有権者から判断される選挙になることでしょう。

総評――噛み合わない論点、像を結ばない未来。それでも脱出口を目指して。

今回の参議院選挙区候補者についての公約批評は、率直に言ってやり辛いものでした。 いずれの候補者にしても、これからどうなるのかという未来像を十分に提示しているとは言えません。そしてそのような未来像を示すキャッチフレーズもあまり見られませんでした。未来像よりも現状の肯定か拒否かに目が向いた選挙だったとも言えます。なので、時間的見通しについてはほとんど語られませんでした。

国政において、一強多弱の体制の基調はしばらく変わらないことと思われます。しかし、政策や理念の対立軸は55年体制のときとは違って、それほど分かりやすくなっておらず、同じ政党内でも入り組んだものになっています。安定や責任の強調だけでは、これから人口減少と超少子高齢社会のなかでどういう舵取りを行うのか分かりませんし、また政権批判側も、一部の争点を取り上げるのではなく、そのメイン争点がどのような広がりを持って新たな社会像を構成するのか、だからこそそれが「一丁目一番地」でなければならない理由についてもう少し説明が必要です。

そのためには一定の現状認識とその分析が示されるべきです。それが薄い。かたや曖昧模糊、かたや特定の争点の特定の側面だけを取り上げて、対極に立つ側も思わず唸るような論点提示が出来ていない。つまるところ、内輪の賛同者に向けて語る言葉になっていて、立場を越えた人々に語りかけるようにはなっていないのではないか、という点が非常に気になりました。閉塞感を感じる有権者にとって曖昧さは拒否対象になるでしょうし、安定感を求める有権者にとって特定の争点への固執は混迷と動揺を感じさせることにしかならないでしょう。

より具体性のある政策を掲げることで、お互いがお互いの陣営に配慮を見せるといった余地が生まれると思うのです。例えば、消費税の論点を扱いながら中小企業対策を結びつけたり、社会保障の論点を結びつけたりしながら、社会全体の豊かさをどうもたらすことになるのか。政党が必ずしもうまくその点を説明しきれていないのですから、候補者がある程度語ってもいいはずですが、それが十分に伝わってこない公約内容だったように思います。

有権者としては選択肢となる候補者の思考タイプが限定されていて選びにくい選挙ですが、改めて「時間的視野」を除く評価をまとめます。

あくまで評者からみた、それぞれの要素での説得力の強さですので、点数化はできません。またもちろん各候補者の「人格の素晴らしさ(ダメさ)」とはまったく関係ありません。基本理念の是非も価値判断の問題ですから、比べられません。  前回と同じく、大事なことは、候補者を問うことで自らが国政や宮城県のあり方についてどう考えているのか、を自問することです。投票の判断はその先にあります。  これを読んで「そうだ」と思ったひとも、「いいや違う」と思ったひとも、その感想がなぜ、どんな理由から生まれたのかを考えてみることで、最終判断の一助になれば幸いです。 (池)

「自己がすべてである。他はとるに足りない」これが独裁政治・貴族政治と、その支持者の考え方である。「自己は他者である。他者は自己である」これが民衆とその支持者の政治である。これから先は各自が決定せよ。 ――シャンフォール 『格言と反省』

*池亨(いけ・とおる) 1977年、岩手県一関市生まれ。埼玉県で育つ。宇都宮大学教育学部社会専修(法学・政治学分野)、東北大学大学院情報科学研究科博士前期課程(政治情報学)を経て、東北大学大学院法学研究科博士後期課程満期退学(政治学史・現代英国政治思想専攻)。修士(情報科学)。現在、㈱日本微生物研究所勤務。これまでに、宮城県市町村研修所講師(非常勤)、東北工業大学特別講師ほか。著書に『新幹線で知る日本』(天夢人刊)。

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