いよいよ明日7月10日(日)に投開票日を迎える、2022年の参院選。TOHOKU360ではNPO法人メディアージの協力を得て、5人が立候補する参院選宮城選挙区の各候補の情報をお伝えしてきました。
今回は宮城選挙区の各候補の掲げている「公約」について、東北大学法学研究科博士課程出身で、東北工業大学講師などを務めた政治学が専門の池亨さんが、その整合性や具体性などを一人ひとり客観的に分析します。

池亨(NPO法人メディアージ)】文責および著作権は、筆者(池亨)に属します。また書かれた内容は評者の所属団体・勤務先などに一切関係しません。この批評は、特定の候補者への支持投票や不支持落選を呼びかけるものではありません。

この批評は、公職選挙法に基づき各候補者の頒布するビラをベースに、宮城県選挙管理委員会選挙公報、各候補者のウェブサイト、新聞報道、政見放送、各政党・政治団体による公選法パンフレットなど、それぞれに依拠しています。またメディアージほか各メディアで録画配信、文字起こしされているインタビューや街頭演説も適宜参照しています。

この批評を公開するにあたって、情報の取捨選択に関し、筆者の価値観や利害関心というバイアスは否定しません。しかし、できる限りの客観性の確保を目指しております。

なお、今回から批評対象を明示し読者の参照できるように、各候補の公職選挙法による選挙運動用ビラ画像をウェブ上で一部引用します。これらのビラ画像は公職選挙法上の「選挙運動のための文書図画」にあたります。これらのプリントアウトと配布は公職選挙法に触れますので、絶対にしないでください。

批評のコンセプト

公約を読むにあたり、政策の内容だけを批評するのではなく、主張の仕方や見せ方といった面にも着目し、どうしたら有権者に対して説得的に理念、政治信条、構想や政策が伝わるかという側面からも批評をしています。

評価指標

  • 【整合性】各政策が各候補者の理念に即して十分に論理的に結び付けられているか。
  • 【具体性】抽象的な理念やテーマだけでなく、具体的な政策や施策が記述されているか。
  • 【プライオリティ】なにから優先して手を付けるかがはっきりしているか。
  • 【専門性】候補者が自らの経歴や得意分野を生かし、どのような政策分野を手掛けようとしているか。
  • 【現状認識・分析性】争点となる社会問題や政策課題に対して分析をくわえて政策を提示できているか。
  • 【時間的視野】短期・中期・長期の中でどのような視野を持って臨んでいるか。
  • 【地域課題との関連性】宮城県選出議員として地域課題をどのようにとらえ、政策の重点をどこに置こうとしているか。

概観:「一強多弱」のなかの混沌(カオス)―宮城は「ポストモダン」選挙の最先端?

前回2019年の参議院議員通常選挙は反対党(野党)立憲民主党所属の石垣のりこ候補の勝利に終わり、政権党(与党)である自民党は、参議院で宮城県選挙区から一切の議席を失いました。今年の参院選は自民党からすれば、議席を挽回する「捲土重来」の選挙です。しかしそこに定数1議席での「一強与党(自公)vs 乱立野党」という一見シンプルな構図を撹乱する、宮城の複雑な事情が絡まってしまいました。

2016年の選挙で「野党共闘」候補として当選した桜井充候補が、民進党の後継政党である国民民主党を離党して、自民党に鞍替えするという事態に至っています。またその後自民党内の公認候補をめぐる動きでも、県議会議長経験のある石川光次郎県議(宮城野選挙区選出)を推す県連と、桜井氏を推す自民党本部との間で世論調査を経た調整の結果、桜井氏が自民党公認を得たという経緯がありました。

一方、立憲民主党はじめ野党は、これを桜井氏の「裏切り」とみて、新たな対抗候補として、県議会泉選挙区でトップ当選を果たした県議1期にして在職3年弱の小畑きみ子候補を擁立しました。そこへ、前回(2021年)衆議院議員総選挙において東北地方では初めて比例区(復活当選)で議席を得た日本維新の会は、参議院選挙区東北地方で唯一の候補として元仙台市議の平井みどり候補を擁立。三つ巴の構図がまず出来上がりました。

興味深いことは、この3名がすべて旧民主党から続く政党の系譜でキャリアを積んできており、自民党や日本維新の会の「生え抜き候補」がひとりもいないという点です。現在は政党を異にしていながら、源流が同じとなると、その違いをどう見出すかが焦点になるでしょう。

「政党の所属を変える」ことは、候補者が抱いている信念や構想、あるいは実現すべき政策をキャリアの途中で変えることを示唆するようにも見えます。さて、実際候補者当人たちがその変化(変わらなさ)をどう自覚し提示しているか、あるいは受け入れた政党側との距離感はどれくらいあるのか、またそこから候補者のみならず、政党の変化の兆しを読み取ることができるかも気になる点です。

ここに加えて、シングル・イシューパーティー(単一争点政党)だったNHK党の中江ともや候補、今回の参院選でこれまでに例をみない運動から出てきた参政党のローレンス綾子候補も既存の枠にとらわれない主張を展開しています。

新型コロナウイルス感染症によるパンデミックは、クリティカルな局面は脱したものの、収束したと呼べる状況にはなく、世界的なサプライチェーンが回復しきれないまま、だれもが予測していなかったロシアによるウクライナ侵攻が始まりました。これを背景に食料・エネルギー供給や円安・物価上昇を始めとした経済の急速な悪化が予想されています。目先の争点を巡って政権選択が問われる衆院選と異なり、参院選は社会の中長期的な方向性を問う選挙ですが、今回の選挙ではその方向性を指し示す「大きな物語」を見出すことができません。こうした環境下で、政党は異なってもどこも類似の政策を目玉として掲げるなど、対立する構図や軸がはっきりと見えにくい選挙になっており、何を手がかりに投票の判断をすべきか悩んでいる有権者も多いのではないでしょうか。

このもつれた糸を解きほぐすことは容易ではありませんが、錯綜した状況を少しでも見えやすくし、各候補者の立ち位置を改めて確認することで、この批評が有権者の判断の一助となることを願わずにはいられません。

参政党公認:ローレンス綾子候補

「光の舞踏、エデンの極東」―模索する草の根DIY保守のゆくえ

最初に参政党から立候補したローレンス綾子候補。経歴には〈キリスト教牧師、通訳・翻訳者〉とあります。アメリカで学び、NGO・NPOで熱心に途上国援助や東日本大震災支援に取り組まれた経歴を持ちます。

キリスト教プロテスタントの「福音派(エヴァンジェリスト)」の牧師としてラジオなどを通じ布教活動を行っていらっしゃいます。信仰心の下、使命感(キリスト教の語彙では「召命」でしょうか)にしたがってボランタリー社会事業へ自らを投企する人物像が浮かび上がってきます。

「聖書的保守主義者」と自ら形容するように(メディアージのインタビューを参照)、「福音派の思想」とくくるのはちょっと乱暴ですが、前トランプ大統領やアメリカ共和党を支えるような思潮の片鱗がうかがわれます。この点が既存の日本の伝統的な「右翼」や保守の思潮とは大きく異なる点でしょう。

掲げる3つの重点政策

選挙公報では「あなたの気づきが日本を救う!」を見出しに掲げ、選挙公報では3つの重点政策を訴えます。選挙運動ビラ(画像参照)では、さらに詳しく展開されています。

「1 子供の教育」では、探究型のフリースクールを地方自治体が作れるようにする法改正、「自ら仕事をつくり、収入を他者に依存せず、管理されない人生が設計できる公教育の実現」「国や地域、伝統を大切に思える自尊史観の教育」とあります。

第一に教育政策が掲げられているのは二人のお子さんをホームスクーリングで育てた経験とその自負からであると窺えますが、それだけに留まりません。

ここに見て取れるのは、私的・個人的領域の独立性を重んじるアメリカのリベラリズム右派に強く見られる価値観です。公教育は、どうしても「国民」としての一定を充足するよう機能しますし、そこに政府による官僚的な「規格化」が色濃く出てしまう。そこで国家による介入を避け、家族を中心とした私的な領域での、〈主体性〉を育てる教育の自由と独立を(自治体の力を借りて)確保したいという願望です。また仮に公教育制度を是認するとしてもそれは競争社会のなかで「自分の人生を自力で選び掴み取るための条件さえ与えてくれれば良い」という考え方になります。

しかしこの方向性だけでは、国家の共同性、つながりを維持する上での共通のアイデンティティーがない限り、社会は分裂しかねません。そこで「自尊感情を補う(「自虐的」な歴史教育ではなく)ための歴史教育が必要だ」。こういうロジックです(もっとも「歴史」を、「過去に対する認識」ではなく「自尊感情を満たすための手段」と見るということ自体が異論を呼びかねない話ではありますが)。

「2 食と健康、環境保全」で注目されるのは、「有機的な農業・漁業」の推進と日本版SDGs(持続可能な開発)。ここでは従来の「保守」とはカラーが変わり、一定のナチュラルなものへの志向が見てとれます。いわば「緑の保守主義Green Conservatism」で、決して欧米では珍しくありませんが、日本ではこれまで押し出されてこなかった点です。いわば童謡「ふるさと」に歌われるような美しき国土への憧憬と国土保全の愛国主義的な政策主張の結びつきと言うことができるかもしれません。ロマン的自然志向とも言えます(こういうナチュラル志向という側面では、立憲民主の小畑さんもやや共通した観点を持っています)。いきおい原発への対応が焦点化しますが、アンケートにはお答えがありませんでした。

そして「3 国のまもり」で強調されるのは、外国資本と外国人労働者を抑制し、外国人(地方?)参政権を認めないという方向性。

評価指標に当てはめると?

さてこれらの政策軸から読み取れることもふくめて、各評価指標を当てはめていきましょう。まず【整合性】は一定度あるとはいえます。ただし大変に抽象的かつ理念的なので、具体的な政策に落とし込んだときそれがどう位置づけられるのか。「日本の国益をまもり、世界の大調和を守る」と風呂敷は大きいのですが、その風呂敷に包まれている施策の中身も、それらの個々の結びつきもわかりません。10の柱も、味噌やお酒の広告ではあるまいに「〇〇づくり」が続いています。問題は「何を」「いかに」の部分なのですが、これがない。若干空虚ささえ感じます。「仕組み」として語られていることは、ローレンスさんの経験に根ざしたホームスクール構想だけ、ここにかすかに窺えるといえばいえるでしょうか。情緒的な訴えはあるが政策的な【プライオリティ】ははっきりしません。【時間的視野】【地域課題との関連性】も記述からは認められません。

この30年で「衰退した日本社会」において(不安で不安定な自分、「私たちは何かを奪われている」という感覚を補うため)、確実かつ斉一的なわれわれ「日本人」アイデンティティーを求める心理が、こういう考え方の根っこにあります。そのアイデンティティー充足として政治への参加=「参政党」の草の根運動はあるわけです。既存政党が出来もしない政策を端から掲げて票を募るよりも、まずは「覚醒せよ」との呼びかけに「目覚めた」フォロワーが「おはよう。」を合言葉に集い、お互いを仲間と確認しあう会衆としての「参政党」。そう、オリンピックと同じ。「参加すること(そのもの)に意義がある。あとのことはみんなで話し合えば答えはみつかるだろう。日本人だもの」。

「ポピュリズム」としての参政党

これは、いわゆる「ポピュリズム」運動として位置づけられるでしょう。日本では「ポピュリズム」というとしばしば「大衆迎合」という否定的な位置づけ、レッテル貼りの文脈で使われがちですが、元はアメリカで起こった政治運動の「ひとつのスタイル」です。

ここでは現・東京大学大学院の板橋拓己教授(国際政治史)のご論考「ポピュリズムを考える」(『アジア太平洋研究』成蹊大学アジア太平洋研究センター紀要46号、2021年所収)を参照しながら、その思考スタイルを軽くスケッチしてみましょう。

ポピュリズムの考え方について様々な論者が指摘するのはこういう構図です。参政党の言説傾向に合わせ、若干わかりやすく筆者なりに言い換えつつまとめてみると、

  1. 「単一かつ同質的で真正な人びと」なるものが存在するという前提。
  2. その単一の「人びと」を代表するのがポピュリスト。
  3. ポピュリストは、人びとの共通の本当の「望み」や「利益」を認識でき、それを政策として実行できると主張する。

また、彼らは政治的なライバルを「人びとの敵」と呼び、その排除を求める。つまり「自分たちが、それも自分たち『だけ』が、人びとを代表している」という主張こそが、ポピュリズムの核心です。

参政党にとって、ここでの「人びと」は「日本人」という国民(民族)意識にそのままあてはまります(先に上げた「3 国のまもり」の論点はまさしくこれです)。排除すべきは「外国人」となるわけですね。でも、この仙台の街のコンビニで買い物をしてみれば、あるいは三陸沿岸の漁業基地へいってみればわかることですが、現在の日本社会は外国人よって多く支えられているという現実を私たちはしばしば忘れがちです。

またポピュリズムは、純粋で道徳的に多数派であるはずの<純粋無垢でまじめな人びと>と、<腐敗し堕落した政治家や官僚や、既存メディアの組織ジャーナリストや大企業経営者や学者たちなどのエリート>を対決構図に置きます。そういう腐ったエリートが裏で不正を働いたり、「嘘」を広めたりする。普通の選挙で選ばれてくるエリートは本当の人びとの認識や意志を反映していない、と。こういう思考スタイルがいわゆる「陰謀論」と結びつきやすくなるわけです。

ただ、例えばNHK党やれいわ新選組と違って、ポピュリズムは必ずしもひとりの突出した立花孝志や山本太郎のような「カリスマ的なリーダー」を必要としません。人びと=「普通のまじめな日本人」と直接つながっているという感覚をもつために、同じ感覚を持つそれぞれのリーダーと支援者が直接に繋がり合うことで、意見の異なる人たちの意見は排除されがちになり、お互いの感覚にフィットすることを言い合うなかで、仲間内での「共鳴・共感」が亢進してゆく、いわゆる「エコーチェンバー現象」が起きやすくなるといわれます。

くわえていうと、「偉そうな知ったかぶりのエリート」が嫌い(この公約批評自体がまさにそうかもしれませんね)、あとは、「善いか悪いか」「(自分の価値観に)合うか合わないか」という二元論で話をしがちになり、いろいろな生き方、いろいろな価値観や認識があるという考えからは遠ざかりがちになります(ローレンスさんへのインタビューではこういう発想が端々にチラついていました)。

ただ、ものすごく一つの考え方の体系にこだわるわけでもないので、あらゆる思想やイデオロギー、価値観にくっつきやすくなる、というゆるい特徴も持っています。筆者なりにい言いかえれば、嫌なもの、否定したいものは一緒だけど、あるべきことについては至極「ゆるい」。

どうなる?参政党のゆくえ

ここまで、ポピュリズム(ポピュリスト)の思考特性をざっとまとめてみました。ここからみるに、ローレンスさんを始めとする参政党のゆくえはどうなるでしょうか。

おそらく、参政党は、この選挙で多少の躍進はありうるでしょう。しかし、あいまいな敵を名指しながら仲間でうなずきあって固まるためのゆるい感情的つながりが、ある局面でのっぴきならない具体的な政策的選択を迫られたとき、お互いのなかで見解が分かれ「敵」を見出して相争い意見が対立する危うさをも同時にはらんでいます。やわらかな風呂敷につつまれた〈素朴でまじめな日本人の集まり〉参政党が、あるときある瞬間「パンドラの箱」にならないとはいいきれません。そうした発想や思考の限界をどこまで自覚しつつ、具体的な政策体系をDIYで打ち出すことができるか、あるいはそうできない本質的な限界を露呈してしまうのか、それが問われているといえます。

自由民主党公認:桜井充候補

「孤独な『転向者』の夢想」―微かに残る〈民主党〉ポリシー・メイカーのゲノム、その可能性と限界

お次は、参議院議員を4期24年も経た、押しも押されぬ大ベテラン、桜井充氏です。今回の野党から与党への政党移籍――いわばこの「転向」体験は、彼の主張にどのような陰影をあたえているでしょうか。

お次は、参議院議員を4期24年も経た、押しも押されぬ大ベテラン、桜井充氏です。今回の野党から与党への政党移籍――いわばこの「転向」体験は、彼の主張にどのような陰影をあたえているでしょうか。

まず、ビラと選挙公報で確認してみましょう。冒頭の惹句は「立ち上がろう、夢をあきらめないで」。いったい、この呼びかけは誰にむけてのもの、誰の「夢」なんでしょうか。桜井さんを「ひとりの政治家」としてずっと押し続けてきた支援者か、新たな自民党の支援者か、あるいはかつて自分が所属していた民主党・民進党の系譜を引きつつ四分五裂していった野党(あるいは「民主党政権」に幻滅していた)支持者なのか。前回民進党から立候補したときの選挙公報にも同じ惹句が掲げてあるだけに気になります。

桜井充候補・選挙公報・ビラ

桜井さんはインタビューでお答えのように、ご自分のことを「現実主義者(リアリスト)」と規定します。つまり、ビラの表現によって、

  1. 医師(=政治家)として、「患者(=国民の皆さん)から症状(=問題点)を教えていただき」
  2. 病理病態を分析・診断をくだし、処方(=政策)を患者(=国民)に提示しつつ(インフォームド・コンセント!)練り上げ
  3. それを治療(=解決)するという営み

……桜井政治哲学の根幹にはこうした「治療」政治観があります。ピースミールの社会工学(カール・ポパー)的な発想に近いとも言えます。この観点で、桜井さんの公約をとらえてみると、自らの実績と公約とをめぐる表現は見事に整合しているといえます。

これまで、自民党(保守系)の候補者の公約スタイルというのは、前回2019年参院選で宮城県選挙区から出馬した愛知次郎さんのように(2019年参院選公約批評を参照)政権党の実績と責任を強調しつつ、総花的かつ抽象的な訴えに終始しているパターンが多いのです。はっきり言えば政策も具体性を欠き、プライオリティも明瞭ではない。「〇〇力」とか、「やり抜く!」「守り抜く!」という動詞言い切り形の「やる気」ポエム。ざっくりいえば、「票や議席さえいただければ、悪いようにはしませんよ」というスタイルです。これは旧来の自民党が従来持っていた政治的恩顧主義(クライエンティリズム)――利害配分のため汗をかいた政治家への見返りに投票という形で、その忠誠心を支持者が投票によって示す――NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ではありませんが、つまり「御恩と奉公」の関係というわけです。今回自民党に移った桜井さんは、こうした他の自民党候補者の傾向とは明らかに異質です。

くわえて、「市民」という表象を自民党議員が使うことは、まずないことです。「市民」という積極的政治参加主体のニュアンスをもつ言葉を使った政策フォーラム「市民政策調査会みやぎ」の200回を超える活動についても触れられていますが、こうした取り組みは自民党における後援会での「センセイの御高説拝聴」、地方の首長の集まりや業界団体での「お歴々・業界の皆様の意見を承る」というスタンスと比べると、かなり珍しいといえるでしょう。

あえてなのか惰性なのかは判然としませんが、実はそういう「民主党カラー」を維持している。ビラや選挙カーなどの色調が、どちらかといえば自民党が強調する「赤」ではなく、一見すると立憲民主党かと見紛うような「濃いめの青」を用いているところも非常に象徴的に思われます。

24年間の実績と政策の5本柱

個別の実績・政策を見ていくことにしましょう。実績に関しては、24年のキャリアですから当たり前ですが、民主党政権期に行った震災復興にともなう中小企業支援(グループ化補助金、金融円滑化法)をはじめ、ずらりと並んでいます。詳細は公報やビラをどうぞ。

ただ注意せねばならないのは、あくまで自民党所属議員としての実績ではない、ということです。むしろこれまでの宮城県選挙区における参院選連敗に鑑みて、これまでの自民党議員の戦力不足・育成不足を印象づけることにならなければいいのですが。

ともかく公約のほうを見ていきます。愛知さんには欠けていたあるべき国家観が打ち出されています。すなわち「自立できる国をつくる」。有り体にいえば、このウクライナ情勢・円安の環境を転換の好機と捉え、外国の生産に依存しない経済づくりを目指すといったところでしょうか。ここには一定の【現状認識・分析性】が働いていると言えるでしょう。

この国家像のもとに食料、エネルギー、経済、災害対策、医療・福祉、教育の5本柱を立てます。ただ、対応が「米粉」の消費拡大とか、メタンハイドレートなどの海洋資源の活用など、アイディアとしては悪くなくとも、細かすぎたり、実現可能性としてどれだけ有望かがよくわからない施策がうち出されています。医薬品の生産拠点を国内に取り戻すという論点については、専門家だけあって、街頭演説でかなり詳しく述べているのを個人的に耳にしています。

後段の災害対策、教育、医療・福祉については具体的な方向性がみえません。「教育や子育てに対して手厚く」という方向性は今回自民・立憲・維新でほとんど差はありません。ここが有権者の最も関心があり、望むものというのが主要政党の受け止めなのでしょう。

評価指標に当てはめると?

評価指標に照らし合わせてみましょう。理念と政策との【整合性】はそこそこ。【具体性】はあり。【プライオリティ】もごくゆるい形ではあれ一応ありそうです。【専門性】もややあり、【現状認識・分析性】についてはご自身が得意というだけあって高い。【時間的視野】は見いだせませんが、【地域課題との関連性】(コメ)は、とくに農業面でかなり意識されているのでしょう。

実績を強調することが優先で、今後の方向性を示す表現にスペースや時間が割けなかった、ということかもしれません。桜井さんや自民党は(党籍が直前に変わって実績を生み出した基盤が変化しているにも関わらず)実績を評価される選挙だとみていることになります。せっかく他の自民党議員と違い、「ポリシーメーカー」としての自負とアイディアをお持ちなのですから、もう少し政策についても語っていただきたかったと思います。

さて、これらの一連の公約をみて、自民党議員なら普通は言及しそうな政策について桜井さんは言及していません。これが実は彼のウィークポイント、限界を示すことにもなっています。憲法や外交防衛、マクロ経済政策(当然現下の状況ではアベノミクス評価と岸田政権の「新しい資本主義」像が問われることになるでしょう)についてのことがビラや公報、政見放送などでは一切語られていないのです。これはおそらくこの度の「転向」を巡って、その「立場取り」の変化についての「矛盾」を詮索されることを避けたい、立場が変わったことを思い出されたくないという心理があるとみるのは、穿ち過ぎでしょうか。

立場の変更、整合性は?

メディアージのインタビューでは憲法をめぐる論点にも言及していただきました。そのうえで彼の「治療政治観」の限界も垣間見えました。簡単に触れておきます。自民党候補としての改憲方針に従う(自衛隊の規定を盛り込む)桜井さんの主張を要約すれば「現状の憲法9条体制下における自衛隊員は、他国の捕虜となった際にジュネーヴ諸条約は適用にならない、ゆえに自衛隊を明記する改憲が必要なのだ」ということでした。

……桜井さん、これ本当でしょうか? 浅学な筆者の誤解であれば良いのですが、すくなくともジュネーヴ諸条約が従来の政府見解は、一般に「憲法上、自衛隊は軍隊(戦力)に当たらないが、国際法(ジュネーヴ諸条約)上の軍隊の要件を満たしており、したがって国際法上は、自衛隊員は捕虜として扱われる要件を満たしている」ということでした。この政府見解は変わっていないはずです。

実は平成14年にこの論点で桜井さんは政府に質問主意書を提出しており、当時の小泉内閣の答弁書もこの見解に沿っており、当然そのことは主意書を提出した桜井さんは覚えていらっしゃると思います。この答弁書の趣旨は、一般にジュネーヴ諸条約の適用を認めつつ、憲法を含む国内法の枠組みで処理しようとしたため、つまりPKO(国連平和維持活動)や、その後の「米軍後方支援」のような自衛隊の「海外派遣」は国内法上あくまで合憲合法で、これらは海外での自衛隊の行動は国内法上で禁じられている『武力行使』にはあたらないのだから、ジュネーヴ諸条約が「適用される〈事態は想定していない〉」という政府の「建前」でした。

けれども、国際法としてのジュネーヴ諸条約は、国内法で自衛隊の行動がどのような名目で位置づけられているかに関係なく、紛争の実態において適用要件を満たせば適用されるというのが国際法上の通説です。要は憲法に自衛隊を明記しようがようがしまいが、あくまで国際法解釈としては、ある要件を満たせば「自衛隊員は相手国に捕虜として取り扱われる」というのが実態で、それは外国派遣においても国内防衛においても変わらないと解されます。

桜井さんの問題意識の背景には、国際法の実際の適用可能性よりも、国内法がその建前を守ろうとするあまり、実態から離れた細かい法的技術論とシビアな実態を直視しない仮定に終始していることへのいらだちがあったかもしれません。しかし、国内法と国際法の各々の枠組みや用語法は全く違うということを受け止めず、それらを混同して、国際法の適用条件が憲法によって左右されるかのような言い方は端的に誤解を招きかねません。国際法の解釈の面だけではなく、実際に詳しいある軍事アナリストは、どんな建前であっても、ジュネーヴ条約の適用が相手紛争当事国次第(今般のロシアのように、国際法の無視すらありえるのだ)という現実を直視すべきだという指摘もあります。たとえ憲法に自衛隊を明記してみたところで、自衛隊をそのようなリスクに晒すかどうかというリアルな選択や判断を回避できるわけではありません。

いずれにしても、今後、政府を支える政権党の一員として、桜井さんはこれまでの政府見解を踏襲するのか、それとも政府の「前提」が誤っているので撤回を迫ったうえで、有力な他の解釈を提出するのか、それとも別の論点から自衛隊明記の憲法改正を訴えるのか、いったいどれでしょうか。もう少し筋道の通った議論をしていただければと思いました。

一般的には立場が変わることはあってもよいし、考えが変わることがあってもよい。しかし、過去のご自身の発言に鑑みて、立場を変更するなら何らかの洞察を含んだ整合性を取り、正当化するためのもっと丁寧な説明が必要ではないでしょうか。

問われる「ポリシーメイカー」の矜持

ここに桜井さんの政治観の限界を見ます。医師であれば「健康である」ことについてその善さへの疑いを持つことはまずないでしょう。診断技術によって患者の問題=疾病(disorder)さえ除去できればよい。しかし、本来政治において、とくに将来ががどうあるべきかは「健康」ほど自明ではありません。そこに立場の選択であり価値へのコミットメントが必要になります(なお、桜井さんボートマッチアンケートで、夫婦別姓や同性婚の法制化といった保守層の嫌いそうな個々の価値観に関わる政策の問題には無回答でした。こういう問題は技術的には「治療不能」でしょう。自民党支持者への遠慮もあるのでしょうが)。

ここには、医師−患者間の垂直的な技術的権威としての関係ではなく、認識に基づいて価値を選び取り、それに従って政策の方向性をいかに定めるか、何が「善きものか」について、有権者と政治家の間には、対等な、問い問われる関係があくまであるのみです。その際、「なぜ認識や立場を変えるに至ったのか」という有権者からの問いに関して、政治家は自らの履歴を省察しつつ十分語れなければいけない。そういうリアルな認識なく、立場が変われば言うことが変わって当然というのでは、もはや現実主義ではなく、功利的な実用主義を通り越して単なる「ご都合主義」のポジショントークに堕してしまいます。

くわえてそのような目先の技術主義的発想で、官僚機構と衝突を繰り返した結果デッドロックに乗り上げた民主党政権時代の苦い反省もあって、官僚との付き合いが増え、「仕事のできる」政権党に移られたということもあるのでしょうが、その基底にあるご自身の発想の昔からのスタイルそのものに死角はないか。

民主党−民進党時代からつづくご自身の「おまかせ民主主義ではいけない」という信念、ポリシーメイカーの矜持が、自民党に入ることによってさらに磨かれ自民党や日本政治の構造を変える「大治療」に至るのか、それとも治療者の権威主義的語りで従来のクライエンティリズムの枠にとらわれつつ、その場その場の処方で過ぎていく「ただ偉そうな街のお医者さん」でありつづけるのか、そのことが問われる選挙になるでしょう。

立憲民主党公認:小畑きみ子候補

「半径10メートル」の世界―家族の向こう、約束の場所はどこに?

つづいて、3年足らず県議会議員を務め、国政初挑戦となる小畑きみ子候補。立憲民主党の公認を経て、「野党共闘を進める市民連合」を介して、共産党の推薦も受け手の立候補です。看護師の経歴をお持ちです。

キャラクターの「濃さ」としてはこれ以上の方はそうそう出てこないかもしれません。4男4女の大家族。マスメディアでは「ビッグ・マミー」という呼び方もされていましたが、このキャラクターが大家族を支えながら、自らのような子育て世代のために、政治に挑戦するという「物語」を構成しつつ、子育て世代の共感を得て支持を拡大したいというねらいは十分伝わってきます。

政見放送は、まさしくこの家族に囲まれた小畑候補への密着ドキュメンタリータッチでした。桜井さんの経歴である「医師」と小畑さんの「看護師」という経歴の対照。熟年男性と子育て世代の中堅ママという対照でもあります。さて、そうしたキャラ付けや、物語性への共感や興味はそれとして、どのような理念の主張、政策の提示を行っているか、まずはビラと公報に基づいて見ていくことにしましょう。

小畑きみ子候補・選挙公報・ビラ

「ビック・マミー」の惹句は、これも「子育て世代が政治を変える」。「政治の役割は命を暮らしを守ること」。シンプルではありますが、やや平板な気がします。当たり前といえば当たり前だからです。小沢一郎さんの「国民の生活が第一。」と同じで、おなじみではあるのですが、政策の方向性イメージをもう少しつかみやすい言葉でもよかったのではないでしょうか(前回2019年の石垣のりこ議員の「上げるべきは賃金であって消費税ではない!」くらいハッキリとしたメッセージでも良かったと思いますが)。あるいは暗に「今の自公政権では命も暮らしも守れない」ということを示しているのかもしれませんが、立憲が「命や暮らしを自公政権よりももっとよく守るアイディアを持っていますよ」ということをうまく比較として提示できるかが問われます。

掲げる政策の4本柱

さて、問題は政治をどう変える、のか。4つの柱を掲げています。まず、「1 コロナ対策、安心医療に」。ほとんど具体的な中身がなく、平時の医療体制の拡充とか、地域間格差の解消といった大きなお題目や「現場経験」のみの強調にとどまっています。

実際、立憲民主党のマニフェスト(公約集・公選法届出第1号パンプレット)には、例えば「コロナかかりつけ医」制度の創設や「日本版家庭医制度」という新しい制度提案があるのですが、ビラでは全く触れられていない。立憲民主党の選挙公約が参院選の直前につくりあげられたという面があって、その党内政策サイクル、政策の周知が選挙の始まる時点で個々の候補者まで十分に降りてきていないということなのかもしれません。欧州各国の政党のように、本来なら選挙の1年前ぐらいからマニフェストを練りつつ、時事的な課題についても取り入れるというような流れがあってしかるべきで、これは新人の小畑さんの個人や陣営よりも、組織運営としての立憲民主党のあり方が問われるでしょう。

「2 雇用と生活を守る政策に転換」。こちらは喫緊の物価高に対しての対策、給付、家賃補助の実施など。くわえて、消費税の5%への時限減税、最賃の段階的引き上げなど。年金対策も含まれています。
桜井さんよりは対策に数字が挙げられていてわかりやすいのですが、物価対策については自公もそんなに差異があるわけではなく、焦点となるのは消費税減税でしょう。むしろ同じ宮城県選出の石垣さんからバトンを受けて消費税減税の論点をもっと大きく打ち出してもいいはずなのですが。子育て世代だけではなく、負担感の大きい低中所得者層に訴えるという意味で最初に着目しても良かったのかもしれません。せめてこの消費税5%の部分を見出しや太字でアピールすることもできたでしょう(中盤以降、街頭演説では訴えの焦点が移ってきたようです。7/4河北新報テキストマイニング分析記事 参照)

「3 子どもたちがもっと生き生きとチャレンジできる社会に」。ここが小畑さんの主張の重点が置かれているところです。序盤では県議時代からの関心である、食育の重要性、給食費の無償化が強調されていました。筆者が少し気になったところは、給食費そのものは全国で地域によってそう大きな差はありませんが、供食体制も自治体や学校で異なりますし、その質もかなりバラけるでしょう。無償化でその質の維持と平準化を経て、さらなる向上は図れるのかという率直な疑問もあります。むしろ国から補助は出しつつ自治体の創意工夫や独自性に委ねる部分も大きくなると思われます。またいわゆる「子ども食堂」も含めて考えてもよかったのかなという気がします。

ほかにも高等教育から大学授業料の無償化、児童手当の所得制限撤廃と給付のオンパレード。直接恩恵を被ることない層の人がみれば「バラマキ」にみえるかもしれません。説得のためには大きな目的を提示した上での説明が必要でしょう。

「4 食糧政策を抜本的に見直そう」は端的にいえば自民党政権で廃止された農家に対する個別所得保証制度の復活です。これを通して「食材王国みやぎが日本の食料基地の先頭に」となっています。小畑さん個人としては有機農業の推進という論点もふくめておられましたが、輸入が逼迫し農産物の増産が求められるタイミングで有機農業の推進は足かせにならないか、要検討でしょう(インタビューではマクロビオティクスに関連する用語「身土不二」が出てきます、こういうところにローレンスさんと近いナチュラル志向を感じます)。

こうしてみてきましたが、小畑さんの全体の主張としては「子育て世代」の負担削減一本槍。なので、プライオリティは大変明確といえば明確なのですが……。選挙戦略上、子育て世代の支持と共感を得たい気持ちはわかりますが、家庭的な実感に訴える世界から、一歩外に出てもっと広い層に訴えるための語彙を欠いているような気がします。

評価指標に当てはめると?

各評価指標に照らし合わせてみましょう。【具体性】は分野によって偏りが大きいものの、まずまずあると言えます。数値が出ているところはかなりわかりやすいといえます。【整合性】はあるのですが物価の実感に合わせた「給付」これまた一本槍、かなり一面的になってしまっています。石垣さんとおなじで、政策の奥行きや見通しがわかりにくいのです。

立憲のマニフェストも反映させながらどういう社会を目指すのか、子育て支援がその「一丁目一番地」である理由を示しつつ、社会的な格差の是正、再分配を強化することで、厚い中間層を取り戻し、社会全体を豊かにする道筋を具体的に示すほうが良いのではないかと思います。

ただでさえ金融緩和による円安。緊急とはいえ給付による財政出動を拡大するだけでは、インフレの懸念は遠ざかりません。死んでいるお金、あるいは再生産に結びついていないお金をどこから吸い上げ、生きるお金をどこへ配るか。どのように活かすのか。伝える相手を選びつつも、経済情勢や財政なども念頭においた語りを心がけつつ、当面どういう社会の方向性を目指すのかを、もうすこしわかりやすく提示したほうがいいでしょう。国政では新人候補ですから説明不足はやむを得ないでしょうが、ともあれ周りのスタッフのサポートも必要です。【現状認識・分析性】という意味では甘く、グラフを用いて税収を論じた前回2019年の石垣さんの選挙からは主張の見せ方としてはやや後退してしまいました。

【専門性】も、まだ見えないところがあります。むしろ医療政策という点で桜井さんとの個性の違いが見出しづらい。【時間的視野】もありません。【地域課題との関連性】については農業政策を巡って、戸別所得補償制度を立憲として再び打ち出したことで、差異化が図れました。

「ケア」の視野、広げられるか

小畑さんは、いま44歳。母親として、また働き手世代の中堅として、日々忙殺されている実感を糧にすることは十分理解できます。ただ、小畑さんと同じロスジェネ世代のなかには、非正規労働に従事せざるをえず、キャリア形成がうまくゆかずに結婚や出産自体を諦めている層もいます。小泉・竹中路線の新自由主義改革がもたらした社会の「傷」はまだ癒えていません。

小畑さんのビラにはありませんでしたが、立憲のマニフェスト表紙には「生活安全保障」の言葉が並びます。この言葉、以前は「軍事・防衛」の領域をもっぱら指していましたが、いまは「人間の安全保障」(国連開発計画UNDP)を皮切りにあらゆるところで使われ始めました(なお、ライバル桜井候補も「○○安全保障」という言葉を多用)。

安全保障は英語ではsecurityですが、この元となるラテン語はse cure〈憂い(心配)cure〉が〈ないse〉という意味です。安全保障という語彙がここまで乱舞するのは、裏返せばそれだけ「憂い、心配事」が広がっている社会ということです。このcureから、気にかける、注意する、面倒をみる「ケアcare」という言葉が生まれてきます。

そのなかで、まさしくケアを職業とする小畑さんが、家族の姿、身近な家庭の窓の向こうに社会を見はるかすとき、そのケアすべき視野を、どこまで議員として、政党のバックアップを受けつつ広げられるか、その可能性が問われる選挙となるでしょう。

日本維新の会:平井みどり候補

「『改革』とイメージで描く三極目」―維新へのゆるふわ期待と現実のはざまで

こんどは、日本維新の会から立候補している平井みどり候補。仙台市議会時代は民主党公認、任期途中で民主系会派からは離れ、ひとり会派「みどりの会」に所属し、1期務められました。

その平井さん、「万年与党でもなく、万年野党でもいけない」、公報とビラに掲げる踊る見出しは「停滞か、維新か。」有権者に、日本の政治はこのままで良いのかという問いを突きつけています。その意気込みの背景は、どれだけ平井さんご自身によって掘り下げられているでしょうか。私のような40代半ばを過ぎた中年男性からみると、「ああ、こういう語り口――停滞か、改革か――って、懐かしいな」という気がしてしまいます。いまの10代終わりから30代未満の若い世代にはピンとこないかもしれません。

2000年代のはじめ、田中角栄に象徴されるそれまでの自民党政権がつくりあげてきた、肥大化し硬直化した政府部門・公的セクターの腐敗や非効率性を改革するため「聖域なき構造改革」、いわゆる「小泉構造改革」と呼ばれる新自由主義的な改革がありました(この改革も当時「新世紀『維新』」と当事者たちに呼ばれていたのですね)。

「官から民へ」(いわゆる民営化:例として道路公団、郵政民営化)、「国から地方へ」(地方分権改革)がその目玉です。これは政権を担っていた自民党内の一部から相当な反発を呼び、当時の自民党小泉首相は2001年の参院選で「古い自民党をぶっ壊す」と言い、2005年衆院選(いわゆる「郵政解散」)では党内守旧派に、刺客と呼ばれる別の公認候補の対抗馬を立てて潰す党内闘争を仕掛け、圧勝するという「小泉旋風」が吹き荒れました。それが一段落したあと、自民党の勢いは衰え、これに変わって民主党が「官僚主導から政治主導へ」「コンクリートから人へ」という、脱官僚の「改革」を訴えて、戦後政治で初めての本格的な政権交代が行われました。

これら2度の「改革の波」がその後の日本政治にどういう影響や課題を残したかについてはこの記事では触れません。ただし、このふたつの改革は少なくとも、目的・対象がかなり明確であったということはできるでしょう。「二度あることなら三度ある」なのか「三度目の正直」なのかはわかりませんが、いまもし「改革」が必要なのだとしたら、その改革すべき対象は何なのか。どうも平井さんからはこの点が明瞭にみえてこないのです。

そもそも日本維新の会が、地方分権改革後の大阪という地方自治体から出てきたことともこれは関連しています。中心をなす大阪維新の会にとって、大阪市・大阪府の行政組織が改革の対象だということは、その中身の適否は措くとしても明確です。しかしながら、それが現状の国レベルになると、小泉改革から20年後のいま、平井さん擁する維新に一体何が改革対象として残されているのか。改革の対象となるものについて「AかBか」「AからBへ」という構図がなければならないのです。

この対象なき「改革」にまとわりつくイメージは、いわば何かやってくれそうな、「ふわっとしたとりとめのない(discursiveな)期待」と結びついているともいえます。その期待の矛先には、「国会議員の特権」をやり玉にあげ、歳費カットや定数削減を売り物にするような維新の政策例(政策提言 維新八策2022)が挙げられるでしょう。ここには少しポピュリズムの匂いがします。

選挙公報に9つの政策

さて、それでは平井さんは何の改革を目指しているのか、改めて分析してみましょう。ビラには政策と呼べる具体的な政策はなく、「停滞」側と「改革」側の漠然とした性格づけのみ。

平井みどり候補・選挙公報・ビラ


公報では、先ほどの見出しの下に、9つの政策。具体性のあるもので目につくのは、「政策05 消費税・中小企業減税、社会保障費減免」「政策07 幼児教育費・高校授業料、給食費の無償化」、このあたりは立憲民主党などと同じですが、何%に減税するかは明確でありません。立憲もそうですが、税制見直しによる所得の再配分などの政策はここでは見られず。維新は給付のユニバーサリズム(普遍主義)を国レベルでも推し進めていると見えます(維新の政策集には、税制への言及があります)。「政策08 出産費用の完全無償化」もその一環。

さて、この9つのなかで何にプライオリティがあるのか? 公報やビラからはつかめません。メディアージのインタビューで平井さん自身は「消費税・中小企業減税」とおっしゃっていますが。

もうひとつ注目すべき点としては、公報「政策09 戦争は絶対に起こさない平和主義の堅持」が謳われています。しかし、メディアージのボートマッチアンケートQ2-5では政府の「敵基地拠点への攻撃を可能にすべき」と回答。また憲法改正については、維新は憲法9条への自衛隊明記を重点政策に掲げていますが、同アンケートには「(改憲より先に)自衛権の行使の範囲について議論すべき」と回答しています。必ずしも、維新の方向性とは合致していないようです。

政治家生活の出発点に、元社会党出身の故・岡崎トミ子さんの薫陶を受けた経緯もおありのようですから、そこは「戦後革新政党の平和主義的なためらい」を残しているということでしょうか。しかしこのゆらぎについての説明は求められるかもしれません。

なお、インタビューのなかで文化・芸術政策についても問われていました。「維新は決して文化・芸術政策に決して冷淡ではない」と強調されていましたが、音楽ホールのような箱モノ整備や補助金は見直すというのが維新の方向性です(「政策提言 維新八策2022」項目番号388)。維新創設者、橋下徹氏による大阪市政下では、文楽や大阪フィルへの補助金廃止、90年の歴史を持つ大阪市音楽団の市直営を廃止、また大阪府政下では貴重書を収集し評価の高かった大阪府立国際児童文学館の廃止統合など、かなりドラスティックなことを断行しました。同じくインタビューのなかで、18〜25歳までの若者が無料または定額で文化芸術にアクセス(消費できる)カルチャーパス配布についても述べられていましたが、これも「市場化の流れ」に棹をさすもので、文化芸術の多様性維持や蓄積・継承という公共的観点とは若干ずれています。

地方財政がタイトな中ではたしかに文化芸術行政も見直しを避けられませんが、こうしたケースについて国レベルで文化芸術制作の公共性をいかに考えるのか。この分野を国地方問わず今後も専門になさるおつもりなら、より丁寧な説明が求められます。

評価指標に当てはめると?

さて、各評価指標について見ていきます。日本維新の会という政党の重点的・体系的な訴えとは異なり、平井さんの公約はごく一部の給付についてのものを除くと非常に抽象的・情緒的です。ご自身の政治理念もよくみえません。したがって公約に【整合性】があるのかどうかもよくわからない。維新の方向性は新自由主義的な民間・市場重視の方向性ですが、平井さんもこれに沿っているようで、アンケート結果を見るとゆらぎがあるようにも見えます。維新の重点政策ともズレがあります。【具体性】にとぼしく、【現状認識・分析性】は皆無といっていいでしょう。【プライオリティ】も演説やインタビューにアクセスして初めて分かるという具合。【専門性】も質問すればでてきますが、文面だけからは窺い知れず。

おそらく小畑さんと同じく、政党の政策サイクルと候補の選挙準備がうまく噛み合っていないこともあるのでしょう。候補者個人だけの問題ではないのでしょうが、現在法学部で学んでおられるようですから、なんらかの制度的な展望をどこかの場面で表現していただきたかったと思います。そして、【時間的視野】【地域課題との関連性】も一切なし。

ゆるふわ「改革」の訴求力は

桃山学院大学の吉弘憲介教授はimidasの今年1月28日付の記事の中で、大阪維新の政治について、「既存の政治的資源配分システムへの攻撃と破壊」であり、「大阪市の新興住民や浮動票という『組織されていない人々』に対して、従来の政治的利益配分の『不平等』性を強調することで、大阪維新の会は強固な政治的支持を取り付けた」と特徴づけています。

では、その現実の「不平等」性を国政レベルにおいて維新はどう有権者にアピールしようとしているのか、大阪維新ほどにはハッキリイメージされていないうえに、平井さんご自身がまったく、そうした観点からは考えていないようにも見受けられます。既存政党を批判しつつも、ゆるふわ「改革」イメージをひたすら伝えることで、どこまで有権者の支持をえられるか、平井さんには問われる選挙になるでしょう。

NHK党公認:中江ともや候補

「とめてくれるな、おっかさん。背中の『内部告発』が泣いている」―NHK党どこへゆく?

最後に、NHK党の中江ともや候補。30歳は全国の候補者のなかでも最年少タイです。ここだけをみれば、若い人が意欲的に立候補したという点で大変喜ばしい限りなのですが……。

中江さんは事実上「試合放棄」という状況で、宮城に選挙事務所もなければ、選挙運動用のビラもありません。選挙カーも回っていないし、演説も第一声のみ。手がかりになるのは、選挙公報と当メディアージのインタビュー、ウェブサイトやSNSぐらいしか残っていません。ポスターにも公報にも「私は当選できません」と書いてしまっている……。

何よりも、公報に載っているのは、NHK受信料不払い運動への「救援(?)」方法と、一票投じたことが、政党助成金としてNHK党の受信料拒否支援活動の原資になるので票を投じてくださいね、というメッセージです。したがって、公職を得ようとするためではなく「受信料拒否運動」のための集金・宣伝媒体としての公職選挙の「私的」利用であって、これは公約批評の対象になりえません。

したがって「評価不能」ということで終わり……でも良いのですが、中江さんのスタンドポイントとNHK党の現状について、若干筆者なりの批評をくわえておきましょう。

見えないNHK党のゴール

端的にいうとNHK党の目的やゴールが「まったくわからない」ということです。唯一、公約らしきことを言っているのは

  1. 「生活保護受給者が受信料を免除されているのに、年金受給者に支払い義務があることへの疑問を呈していること。
  2. 「年金受給者の受信料は無料にします」

という点だけ。

中江ともや候補・選挙公報・ビラ


前回2019年の参議院宮城選挙区で立候補した三宅候補のときと変わらず「NHK放送のスクランブル化」も訴えています。その後、結局、NHKをどうもって行きたいのでしょうか(この辺りは、2019年の三宅候補の公約批評で具体的に指摘しているので参照してください)。

ともあれ、現在のNHKの受信料制度を変えるには、NHKとの契約を義務化している放送法(受信契約を義務化した行政法律)を根本的に変えるか、年金受給者の受信料引き下げレベルならば、総務大臣から指導によってNHKの受信契約規約(いわば民法上の「定形約款」)を変えさせるしかありません。

公営の公職選挙にいやしくも出ようとするなら、せめて公約に従いつつ「法律・制度を変えようとする」フリぐらいはしたほうがいいのではないでしょうか。中江さんは選挙費用は党が負担しているとおっしゃっていますが、選挙には公費(税金)もかけられています。選挙区住民の目から見ればおちょくられているようにしか見えません。

中江さん始めNHK党に決定的に欠けているのは、仮に政治家にはなれなくとも、民主政治の核心となる「制度をつくる精神」(宮田光雄)なのではないかと思います。

政党助成金を「票で稼ぐ」先には

政党助成金を「票で稼ぐ」というのも、自分たちの勢力を大きくして立法府に議席を得ることで、政策目標を達成しようという意図があるなら、まあわからなくはありません。しかし、NHK受信料不払いで訴えられた人の債務を、政党助成金を原資に肩代わりするというのは、単純に政党助成の目的に反するでしょう。たとえば労働組合がストライキを打った際に、支払われない賃金を補填する原資は日常の組合費の積立からです。そこまでのことはなくともNHKに対する「闘争」の本気度がこうしたやり方はからは見えません。むしろ政党助成金が受信料の原資となってNHKに還流されるだけの結果になりはしないでしょうか。

政党助成金は「議会制民主政治における政党の機能の重要性」にかんがみ(政党助成法第1条「目的」)各政党に支給されています。この「政党の機能の重要性」とは「国民の多様な意見を集約しつつ、国民の利益にかなうように法律や制度をつくり変えること」、そのための媒介となる政党の役目と言ってもよいかと思います。これがあるからこそ、政党助成法は運用面でわざわざこう断っているのです。

“第四条 国は、政党の政治活動の自由を尊重し、政党交付金の交付に当たっては、条件を付し、又はその使途について制限してはならない。
2 政党は、政党交付金が国民から徴収された税金その他の貴重な財源で賄われるものであることに特に留意し、その責任を自覚し、その組織及び運営については民主的かつ公正なものとするとともに、国民の信頼にもとることのないように、政党交付金を適切に使用しなければならない。”

政党助成法 https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=406AC0000000005

この1項にあるように、お金の使いみちを限定してしまえば、自由で多様な意見の集約や人材の発掘・育成はしづらくなります。

NHK党が公職選挙をこのような形で利用、いや濫用することを続けていると、そのうち非難が巻き起こり、議会で多数を占める政党によって政党助成金の使途が規制されるおそれもなしとはいえません。結果的にNHK党をふくむ「政党活動の自由」がつよく制限され、日本の政党政治全体にとっても結局はダメージを与えるかもしれないことを危惧します(まさか「そうなったって構わないや」というニヒリズムに陥っていなければいいのですが)。そうなったときNHK党は、政党助成を拒否している日本共産党のように、自立して活動を続けてゆくことができるでしょうか。

「私怨」を「公憤」に昇華できるか

中江さんは、メディアージによるインタビューで党の方針とは別に「公益通報者保護制度の周知」という点を強調されてらっしゃいました。「内部告発者を守る党」副党首でもあります。その志の片鱗が窺えました。

NHK党は、前回2021年の衆院選では様々な主張を持つ政治団体を自陣営に取り入れて、個性豊かな主張を持つ候補を各選挙区に立てました。いじめや虐待の問題に取り組んでいたNPO理事出身の林マリアゆき氏(宮城2区)を覚えている方がいるかもしれません。今回もNHK党は、その「この指とまれ」プラットフォーム路線を継続するかと思いきや、そのカラーは選挙期間中に出しませんでした。実はNHK受信料以外の政策の柱も(掘り下げは足らないにせよ)選挙前には提示していたのですが、なりをひそめてしまいました。どうもカリスマ立花党首のもと、運営方針が迷走しているようにも見えます。

ともかく、その「公益通報者保護制度の周知」がなぜ重要なのか。内部告発者を守る党のウェブサイトには、「結党」の「個人的」経緯に軽く触れられているのですが、ご自身の「内部告発」案件の具体的な中身がわからず、公益通報者保護法との関連は見えませんでした。ひとくちに「内部告発」といっても、公益通報の対象となるケースにはかなり法的な限定(刑事罰や過料が課されるような要件)があります。内部告発には、パワハラやセクハラのような刑事罰までには至らない民事上の個別の労働紛争のケースも含まれえます。ましてや「ガーシー」氏のようなスキャンダル暴露は、「告発」対象者への道徳的非難、社会的な名声を失わせる理由、マスメディアの好餌にはなりえても、ただちに「公益」にかかわるとは言いにくいでしょう。

中江さんは、組織のなかでおそらく理不尽な圧力を受けてきたことが窺えます。その「不正義」に対する怒りを内包しているのかもしれません。しかし、そうであればこそ、事象を的確に法的に位置づけながら問題解決を目指すアプローチ、有り体にいえば〈リーガル・マインド〉をもっと見せることが必要です。

NHK党のメンバーには、非常にクレバーなところがあって、法律や制度をハックすることには非常に長けていますが、その法的制度的な知識をトリックスター的撹乱ではなく「創造」に用いてほしい。傍からは「私怨」に見えるものをぜひ「公憤」に昇華していただきたいと思います。

素描と総括:各候補者の政治信条・政策傾向のラフなマッピングと今回の「隠れた争点」

さて、これまでの各候補への批評と、NPO法人メディアージが実施したボートマッチ候補者アンケート、この記事の分析を踏まえ、簡単に各候補者の思想的位置取りのマッピングをしておきましょう。
計量的な分析ではないので厳密さに欠けることはご了承ください。また、必ずしも各候補者が十全に自らの信条や政策を体系的に展開しているわけではないので、あくまで筆者が現状読み取れる範囲での大まかな目安として受け取ってください。

政治的な左(進歩的)右(保守的)だけでなく、相互に重なり合う、

  1. 「習慣」「経験」「情念」「伝統」に依拠する保守主義
  2. 「個人」やプライベートの独立自立と合理性を重んじる自由主義
  3. 経済的平等を追求する社会(民主)主義

の3つのグループをもとに、上下で個人(権利・市場主義的解決)重視―共同体(再配分・集産主義的解決)重視という軸を構成しています。図の真ん中に寄れば寄るほど「中庸・穏健」、外側へ向かえば向かうほど遠心力が働き急進(反動)的になると見てください。

おおまかに述べると、信条はともかく、今回の桜井・小畑・平井の3候補の「政策」距離はそう遠くありません。当面の経済悪化に対し、財政出動や子育て給付について積極的です。3候補あまり差がなく、似たりよったり。やはりこの点を訴えることが多くの有権者の歓心を買うということは自覚しているのでしょう。

自民党公認とはいえ、他の自民候補よりもイデオロギー的な主張や争点を避けるフシのある旧民主系の桜井さん。中道左派本道、生活課題一本やりで脇目も振らぬ小畑さん。そして野党第一党立憲を意識し強面新自由主義路線から、給付を厚くして多様性を重んじるリベラルな価値を打ち出しつつ、野党支持者や無党派層に向けて改革をアピールする、維新から出てきた、これまた旧民主系の平井さん。お互いにお互いの争点を隠しつつ潰し合う形になり、同じような主張で、政策よりも、実績・キャラ・イメージで競う構図になってしまいました。

全5候補のうち、見解が分かれる観点は、憲法9条改正(自衛隊明記)をめぐる論点、消費税減税か維持か、原発再稼働農業政策、などあるべき社会観・価値が絡むテーマです。他にも、急速な円安、電力逼迫や、食料価格高騰、外交方針などの社会情勢を踏まえた喫緊のテーマについて、事前の国会で活発な論戦を経て争点化されていれば、各候補者の主張に差異が生まれた可能性はあります。しかし法案通過率100%、全く今回の国会で何が争点だったのかが国民には伝わっていません。

価値観が絡む問題は、支持党派が違えば変わり、党派支持内でそれほど大きく態度変更があるわけではないので、固定的支持層を固めることはあっても、新たな支持を獲得する要因にはなりにくいのは確かです。候補者も自らの方針を維持しつつ異なる価値を持っている人を説得しようとするには、よほどの準備がいります。しかし、現実の環境が大きく変化している以上、その変化を踏まえた課題のイメージをどう有権者に的確に伝え説得するか、候補者のその「気概」が今ひとつ弱かった気がします。

おそらく本当に争点化すべきだったのは消費税だったかもしれません。ただこの論点はマクロ経済、財政・金融、社会保障といった経済政策の見通しを踏まえないといけない問題で、たしかに一般有権者には伝わりにくいところがあります。それでも前回の参院選宮城県選挙区で「消費税」が切り口として争点設定されたことをもってみれば、今回そういうやり方もあったのではないかとも思います。

社会の方向性の具体的な目標や青写真を必ずしも見出しているとは言い難い(いわゆる)インディーズ候補と、既存政党のなかで、支持者獲得を巡って目先の政策や重点分野だけは結局似通ってしまう既存政党の従来型候補を選択するという、宮城県の有権者にとってはそれぞれの違いと展望を見出し難い選挙です。なによりも信条に基づく政策の凝集性を通じて有権者に社会像を示すはずの政党の役割が、候補者育成との関連を断ち切られ、大きく弱っているような気がします。

前回参院選に比べても、政策体系や社会のあり方・枠組みについて問う視角が候補者からますます薄れていますし、漠然としたイメージを巡って争うだけのようにもなっています。とくに現状認識・分析性や時間的視野といった、「どこに立ってどこへ向かうか」の足場を確認するアプローチ、状況を語る力が、実感語りや内輪の支持者向けのサービスにとどまり、一般有権者に届いていない。参議院選挙であるにもかかわらずです。

あらためて各候補者には、国政の全分野を念頭におきつつ、自らの訴えようとする個々の政策の結びつきから、どういう社会像が構成されるのかに意識的になっていただきたいと思います。そういう意味で今回は本当に選びにくく、悩ましい選挙でした。

評価指標マトリクス

各評価指標についても改めてまとめましょう。ただし全候補が欠いていた「時間的視野」を除きます。

あくまで評者からみた、それぞれの要素での説得力の強さですので、点数化はできません。もちろん各候補者の「人格の素晴らしさ(ダメさ)」とはまったく関係ありません。基本理念の是非も価値判断の問題ですから、比べられません。

前回と同じく、大事なことは、候補者を問うことで自らが国政や宮城県のあり方についてどう考えているのかを自問することです。投票の判断はその先にあります。

これを読んで「そうだ」と思ったひとも、「いいや違う」と思ったひとも、その感想がなぜ、どんな理由から生まれたのかを考えてみることで、最終判断の一助になれば幸いです。 (池)

「自己がすべてである。他はとるに足りない」これが独裁政治・貴族政治と、その支持者の考え方である。「自己は他者である。他者は自己である」これが民衆とその支持者の政治である。これから先は各自が決定せよ。

シャンフォール 『格言と反省』

*池亨(いけ・とおる) 1977年、岩手県一関市生まれ。埼玉県で育つ。宇都宮大学教育学部社会専修(法学・政治学分野)、東北大学大学院情報科学研究科博士前期課程(政治情報学)を経て、東北大学大学院法学研究科博士後期課程満期退学(政治学史・現代英国政治思想専攻)。修士(情報科学)。現在、㈱日本微生物研究所勤務。これまでに、宮城県市町村研修所講師(非常勤)、東北工業大学特別講師ほか。著書に『新幹線で知る日本』(天夢人刊)。

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