昭和三陸大津波の教訓を伝えながら、忘れられた石碑の前で語る長沼さん=2022年10月22日、名取市閖上

被災地とつながる若き伝承者よ、育て 尚絅学院大・実践講座の試み

寺島英弥(ローカルジャーナリスト、尚絅学院大客員教授】もうすぐ東日本大震災から十三回忌となる3月11日が来る。津波被災地の一つ、名取市の閖上は、住民754人が犠牲になり(同市調べ)、あの日のがれきの風景からいま、全く新しい町並みに生まれ変わった。かつての古里の名残も消えるほど変容した土地で、住民は何を思っているのか。被災地の「復興」の現実はどう映り、その課題は何なのか? 地元の当事者とつながり、証言に耳を傾けることで閖上の今を記録し伝えよう―と、尚絅学院大の学生たちが取材と記事づくりに取り組んできた。プロのスキルも学ぶ「新しい世代の伝承者」誕生までの試みを紹介する。 

閖上の現在を訪ねることから 

往時の閖上は名取川河口と広浦、貞山堀、そして太平洋に囲まれた豊かな水郷、漁港の街で、独特の「閖」の字を初代仙台藩主・伊達政宗から授かった歴史がある。内陸に広がった住宅地を含め、震災直前の2011年2月末に2551世帯、7103人が住んだ。昭和の風情が濃い町並み、漁港らしい活気と人情あふれる生活があった。 

昨年10月22日、尚絅学院大生15人がJR名取駅からバスで、東に約6キロの閖上地区を訪ねた。新たな災害時には避難場所にもなる仙台東道路を過ぎると、そこは震災時の被災地だ。風景は荒涼とした平地になり、建物はまばらに。やがてバスは別世界のような真新しい町並みに入り、貞山堀の橋を越えるとまた風景は一変。事業所などが点在する真っ平らな土地に、もっこりと小山が現れる。昔、出漁前に海の模様を眺めたという日和山(海抜5.3㍍)だ。学生たちはここでバスを降りた。 

日和山から望む、現在の閖上。遠景が新しい街=2022年10月22日

当事者・長沼俊幸さんを取材 

待っていたのは、閖上中央町内会長の長沼俊幸さん(60)=水道工事業=。閖上生まれで、震災当日は妻美雪さん(60)と自宅2階に避難したまま家ごと津波に流され、九死に一生を得た。 

長沼さんは、日和山の下に立つ1933(昭和8)年の昭和三陸大津波の教訓の石碑(『地震があったら津波の用心』と刻む)を学生たちに説明。この碑がその後、住民から忘れられた存在となり、「閖上に津波は来ない」と誰も疑わぬ固定観念も根付き、東日本大震災での悲劇を生んだと長沼さんは学生たちに語った。 

昭和三陸大津波の教訓を伝えながら、忘れられた石碑の前で語る長沼さん=2022年10月22日、名取市閖上

仮設住宅で6年暮らし、世話役を担った長沼さんは2019年3月、被災地にかさ上げ、再建された新しい街に帰り、町内会長に選ばれた。同年5月に「まちびらき」が行われ、新しいコミュニティーづくりが長沼さんの役目になったが、課題の難しさと苦心は今も続く。遡れば、被災後の住民の7割余が津波の不安のない内陸に街の移転を望んだが、市は閖上の消滅と住民離散を避けようと「現地再建」を強く推し、多くの住民が地区外へ移った。新旧住民の交流、融合は現在も難題だという。 

「昔の住民仲間がどこでも一緒に暮らせれば、それが復興と思っていた。が、4年ほどして俺の『復興』はなくなった。いま感じるのは寂しさ。それもまた震災なのだろう」。学生たちに「復興とは何か?」というの終わらぬ問いを投げ掛けた。 

2011年3月11日の津波で被災した閖上の街

受講生各自の視点の記事づくり 

「当事者とつながる学びとスキル」。21年度後期に始まった15回の実践講座で、閖上取材は2年目の実戦講座の一環だった。講座の副題は「3月11日に向けて記事を書こう」。受講生は、河北新報記者だった筆者の被災地体験や、「取材」という行為の意味と方法などを授業で学んだ後に現地取材。その後も長沼さんを教室に3度招いて、閖上住民の十余年の体験と歩みを多角的なインタビュー実践で聴き取り、当時と現在の心情、時とともに変容し続ける問題、課題を掘り下げた。 

長沼さんを教室に招いての、受講生の共同インタビュー=2022年11月15日、尚絅学院大

震災当時、受講生たちは小学生。歳月と共に被災の伝承の危機が報じられる中、受講生自身の心に眠った震災体験の呼び起こしにも授業の1回を充て、震災を遠い過去でなく、いまでも現在進行形の「わが事」として再認識してもらえた。 

尚絅学院大では震災後、名取市内の被災者支援に多くの教職員、学生が参加。2年目には学生ボランティアチーム「TASKI」が旗揚げし、仮設住宅から新しい閖上の町内会の支援まで活動を続け、住民と交流を続ける。授業でも「TASKI」のOGらに現地取材前の授業でインタビューし、身近な歴史を受講生たちに共有してもらえた。 

当事者の取材とインタビュー実践を重ねた後、受講生は今年3月11日に向けた記事執筆に挑んだ。取材の蓄積から「私は何を書きたいか」を見詰め、各自の問題意識と視点に向き合い、1本の見出しに抽出し、執筆の羅針盤となるリード文書き、記事の設計図であるコンテづくり―と、筆者が経験したプロのスキルを学んでもらった。その間の授業では毎回、受講生の相互インタビューを通じた議論を重ねた。 

新世代の「伝承者」として発信 

受講生たちの記事は昨年度17本、今回は11本が提出され、いずれも力作だった。 

私はこの取材を通して『閖上』という街から、一度失ってしまった物をもう一度元に戻すことの難しさ、それでもなおそこで生きていこうとする人の強さを知った

現状は、被災した当事者たちが自身の体験を伝えているが、時間が経ち、世代が変われば、「伝承」し続けることが難しくなる。個々の力では限界があり、行政の協働が必要だ

(3月11日は)震災を経験した世代だけの追悼行事ではなく、次の世代に共有されていくことが大切である。震災経験のない若い世代に防災意識を受け継いでもらうため、新たな当事者の意識を持って参加してもらうべきだ

(1947年施行の)災害救助法は今の生活常識に合わず、限界を迎えている。それは、これからも災害と向き合わねばならない私たちの『生きる権利』にも関わる。長沼さんの訴える教訓を生かすために、私たちは災害救助法を知り、変えていかなければならない

新しい閖上の街づくりとは、自治会長である長沼さんにとって、(昔ながらの閖上の住民、新しい閖上に移住してきた若い家族らをつなぎ、一度は失われたコミュニティの温かさを紡ぎ出すこと。それが、長沼さんにとって唯一の『復興』なのかもしれない

いかがだろう、受講生たちが取材、インタビューから執筆まで取り組んだ記事の提言のほんの一部である。記事は3月に尚絅学院大のHPで紹介され、「TOHOKU360」でも編集長選定の佳作を連載していただく予定だ。 

現場と教室、社会への発信をつなぐ実践講座は、筆者が以前、米国で地方紙調査から学んだジャーナリスト教育の手法だ。若い世代の感性と吸収力、可能性を毎年実感する。被災地から学び発信する新たな「伝承者」たちが各地で育ってほしい。 

 ☆TOHOKU360に昨年3月に掲載された前年度受講生たちの作品 

 【大学生が取材した3.11】「帰ってきて」 思い出の場所で息子を想う、語り部の新しい家|TOHOKU360 
【大学生が取材した3.11】一変した人生 息子の死をきっかけに「被災地巡礼」|TOHOKU360 
【大学生が取材した3.11】停まった時間を動かす心療科医 「語れない」原発事故被災者を支えるには|TOHOKU360 

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