【連載】新聞記者から社労士へ。定年ドタバタ10年記
「貴君の大学採用の件、極めて困難な状況になりました」。新聞社を60歳で定年退職したら、当てにしていた再就職が白紙に。猛勉強の末に社会保険労務士資格を取得して開業してからの10年間で見えた社会の風景や苦悩を、元河北新報論説委員長の佐々木恒美さんが綴ります。(毎週水曜日更新)
あくまで中立
事業所と従業員個人の労働紛争に、裁判官である労働審判官と、労働者側代表(労働組合役員)、使用者側代表(企業経営者・人事担当者)それぞれの労働審判員の計 3人で労働審判委員会を構成し、審理に当たる労働審判。退職後、推薦を受け、労働紛争解決研修(日本労使関係研究協会主催)を受講し、労働審判員を令和2年3月までの5期10年務めさせていただきました。
労働訴訟は、証拠調べなどに多大な時間を要し、2~3年掛かる場合もあり、感情的対立なども加わって、労使ともに疲弊します。労働審判は、民間の力を活用し、和解を軸にスピーディーな解決を図ることなどが目的です。
労働者側代表、使用者側代表の労働審判員と言っても、裁判における原告である申立て側、被告である相手方側のどちらか一方の側に立つというのではなく、推薦された際には「あくまで中立の立場」と言い渡されました。
労働者側の審判員が「労働者が義務を果たしていない」、経営者側の審判員が「経営者が労働法を遵守していない」などと見解を示すことも多く、研修を兼ねて傍聴した司法修習生に尋ねると、労働側、経営側の審判員を見間違える答えが返って来ることもしばしばです。
申立てがあると、裁判所から、日程が可能か、申立て側、相手方側との利害関係がないかどうかを確認され、支障がなければ、担当することになります。後日、申立て書、答弁書、証拠類が送付され、審判日まで何度か読み、双方にぶつける疑問点、自分なりにまとめた争点、大まかな和解への道筋などをイメージし、審判開始前だいたい30分前に行われる事前評議に臨むことになります。
働く現場でさまざまなトラブル
労働審判員には守秘義務が課せられ、審判が終わると一切の資料は返還が義務付けられており、私の場合は、万が一にも情報が漏洩しないよう、何時、何の事案を担当したかなどのメモも敢えて取りませんでした。担当は、年間6、7件。審判は原則3回(ケースによっては、1、2、4回)で終了することになっていますから、この10年間で累計では60~70件、150日前後、裁判所に出向いた計算になります。
審判は口頭主義とは言いながら、弁護士さんによっては、分厚い申立て書、答弁書を提出します。数時間かけて読み、不明な点はいろいろと調べなければならず、大変な面もありましたが、現実に起きている労働問題を直に見ることができ、回数を重ねるごとに関心が深まっていきました。
解雇や雇止め、賃金の未払い、労災、パワハラ、セクハラなど。労働現場ではさまざまなトラブルが起きておりました。
早く仕事を覚え、1人前になりたいと思い、ただひたすら上司の指示に従っていた会社員。怒られたとしても、それは、自らにミスが多いからだと。厳しくても耐え、上司を信じついて行きました。マインドコントロールにかかっていたのかも知れません。段々、罵られたり、手を上げられたり。
もう限界だったのでしょう。心身が病み、クリニックへの通院を余儀なくされます。うつ病の発症。「もう以前のようには戻らない」。泣きながら、辛い会社勤務の日々を訴えは、耳に残っています。
未払い賃金の支払い請求は、退職後になされることもが多いようです。パソコンのオン・オフの時間や、セキュリティー会社のカギの開け閉めの記録から示される労働時間の実態。
「現役のときは、不利な扱いをされるのを慮ってなかなか言い出せなかった」と言う会社員。審判の際、相争う申立て人、相手方は目を合わせないこともあります。
大事な職場のコミュニケーション
審判に臨み、心掛けていたのは、「どうにかして和解させたい」ということです。労働審判は話し合いであり、双方が審判の場に出てくるのは、妥協の余地があるからだろう、と考えておりました。申立て書、答弁書を読むにつけ、いずれの主張も完璧ではなく、ウイークポイントを有しています。
それに、私見になりますが、相手を徹底的に負かすのではなく、少しは許すことも必要でしょう。審判の進行状況に即して、合意に達するぎりぎりの線を探り、決裂しそうになったときは、もう一度席に戻っていただき、話を聞くよう努めておりました。
裁判や労働審判を起こすのは国民の権利であり、正当な要求を主張するのは至極当然ですが、半面、争い事は労使ともにエネルギーを費消します。それが伝染し、職場の士気が阻喪することにもなりかねません。争いを防ぐには、事業主や上司の力量が問われます。目配りし、一声掛けるだけで社員のケアにつながることもあり、職場の雰囲気もだいぶ違って参ります。そして何より長い目で働く人を見る姿勢が大切と言えます。
人間、一生の間の働きはそう差がないと考えており、若い頃はいろいろと欠点があったとしても、中盤から能力を発揮する遅咲きの人もいます。逆に、事業主や上司は、確かな眼力をもって人材を育成する指導能力が必要です。
自身の会社勤めの時代を振り返り、短気を起こし年下の人に大きい声を出したりしたことを思い出すと赤面の至りなのですが、労働審判はそんなことを考える場ともなりました。
【連載】新聞記者から社労士へ。定年ドタバタ10年記
第1章 生活者との出会いの中で
1. 再就職が駄目になり、悄然としました
2. DVD頼りに、40年ぶり2回目の自宅浪人をしました
3. 見事に皮算用は外れ、顧客開拓に苦戦しました
4. 世間の風は冷たいと感じました
5. 現場の処遇、改善したいですね
6. お金の交渉は最も苦手な分野でした
7. 和解してもらうとほっとしました
8. 悩み、苦しむ人が大勢いることを改めて知りました
*TOHOKU360で東北のニュースをフォローしよう
X(twitter)/instagram/facebook