「愛したふるさと」歌い励まし続けた被災地のシンガーソングライターが急逝・石巻市北上町

寺島英弥(ローカルジャーナリスト)】渋谷修治さんをご存じだろうか。石巻市北上町のシンガーソングライター。ふるさとの人と自然を愛する歌の数々を聴いたことはあるだろうか。東日本大震災の被災地となった苦難の日々にギターを鳴らして町の仲間を励まし、遠来のボランティアと声を合わせた。建築設計士としても地元の復興のために働きながら、今年1月24日に突然、64歳で逝った。「それでも明日に夢を託して、きみはたくましく生きるんだ」という歌声のエールを残して。

木造りの追分温泉を設計

石巻市北上町の北上川を、夕日に輝く広大なヨシ原を眺めながら下り、新北上川大橋の手前で左手の山に向かう。登米市津山に続く峠道をしばらく分け入ると、夕闇の森に、灯りがともる木造りの宿が現れた。幻想的なほどレトロな風情が漂う「峠の湯 追分温泉」だ。

宿主の横山宗一さん(65)に案内された館内は、廊下や階段、窓枠、浴場まで艶やかな木肌と白壁が美しく、懐かしさや癒しを心に感じさせる。「渋谷さんが設計を手掛けてくれたんです。昔の『分校』をイメージしたそうです。仕事も音楽も、自然体の芸術家でした」

渋谷修治さんが「分校」のイメージで改築の設計をし、ライブ活動の場にもなった追分温泉=石巻市北上町
渋谷修治さんが「分校」のイメージで改築の設計をし、ライブ活動の場にもなった追分温泉=石巻市北上町

横山さんは、1948(昭和23)年創業の追分温泉の3代目。半世紀を経て大きな改築を志した際、地元の後輩で、木を生かした喫茶店などを設計していた渋谷さんに依頼した。「昔の佇まいを守っていきたいね、と意気投合し、東北各地の建築を2人で見て歩き、その道中、お互いに高校時代から熱中した音楽の話でも盛り上がった。ギターでオリジナル曲を歌っていたという渋谷さんの歌を、実際に聴いて感動し、多くの人に聴いてほしいと思った」。それが出会いの縁となり、追分温泉は渋谷さんの仕事場であり、音楽活動の場になった。

ふるさとの懐深く心癒す歌

Youtubeに「渋谷修治さん最後のライブ」という昨年9月末の動画がある。追分温泉で、コロナ禍もあり1年半ぶりにギターを手にした渋谷さんが自作曲『森のまりあ』を歌う。

本当に笑うことも、早すぎる時の流れに取り残され夢も描けない時、沢山の人や町との出会いにも答えを見つけられない時、森を歩き始めた。子どもの声に誘われて、そして―。

巡り会えたんだ、森のまりあ
今日から目を開けて君は生きてゆくんだ 木枯らしの冷たさも恐くはないさ
目の前に黒い海が現れたって 小船さえあればいい 君は進むんだ

追分温泉のライブで歌う渋谷さん。カホンの横山さん、ギターの藤原哲さん㊨とグループを組んだ
追分温泉のライブで歌う渋谷さん。カホンの横山さん、ギターの藤原哲さん㊨とグループを組んだ

そして、<今もまりあの微笑みが 今もまりあがこの森に>という象徴的な詩、安らぎに満ちたメロディー。渋谷さんは別の動画で、北上町の十三浜が昔、隠れキリシタンの里だった歴史も語り、ふるさとの懐深く抱かれる世界で聴き手を癒す。これが渋谷さんの歌だ。

「渋谷さんのライブをやろうと、追分温泉では毎月の満月の夜、『満月ライブ』を催すようになった。私もカホン(跨って叩く打楽器)を買い、宿の仕事を終えると演奏に加わって。地元の人たちも浴衣のお客さんも一緒に歌って楽しむ場をつくれた。河原や神社の境内でもやったが、渋谷さんの真価は、東日本大震災で北上町が被災地になってからでした」

震災下の卒業式で子どもらと歌う

2011年3月11日午後2時46分を、渋谷さんは、北上町に隣接する石巻市鹿又に借りた自宅で迎えた。妻とみ子さん(42)が回想する。「おとうは2階で仕事をしていた。北上町の様子が心配で翌日車を出したら、おとうの実家がある(北上町橋浦地区)大須は見渡す限り水没し、海に近い私の出身地の(十三浜地区)追波はがれきの山。被災を免れた橋浦小学校と北上中学校の避難所で幸いに身内と会えた。私の寝たきりのおじは亡くなりましたが」

借家の自宅は余震で傾き、渋谷夫婦と娘さんの家族は地元の橋浦小の避難所で暮らした。町内のどこもがれきで埋まって仕事もないそのころ、橋浦小の保護者から「卒業式で歌ってほしい」と頼まれた。渋谷さんの母校である。そこで歌ったのが『大須の歌』だった。大須は、旧十三浜村と1955(昭和30)年に合併した旧橋浦村の町場で、日本一のヨシ原が広がる北上川と、四季の彩りが美しい水田地帯に囲まれ、大きな自然の懐で渋谷さんは育った。

北上川とヨシ原。渋谷さんが愛したふるさとの風景だ=石巻市北上町大須
北上川とヨシ原。渋谷さんが愛したふるさとの風景だ=石巻市北上町大須

『大須の歌』は、秋の月夜にギターを弾き、春の小川のほとりで緑の木の絵を描き、夏は自転車を漕いで行った砂浜で遠くの島と対話し、冬にはかまくらを作りろうそくを灯した、そんな少年時代を振り返り、〈何もかもがここで生まれる 僕が育った大須〉と歌う。

誰もが傷つき、明日も描けぬ震災下のつらい卒業式で、渋谷さんはふるさとへの愛を万感込めて歌った。子どもたちが声を合わせ、参列した親たち、先生たちは泣いたという。

自然体で交流するライブ

渋谷さんはその後、町内の高台で約500人が避難生活を送った「にっこりサンパーク仮設住宅」で家族と暮らした。復興に関わる建築の仕事を請け負いながら、町内の仮設住宅や、避難所にもなった追分温泉で住民たちを励まし、遠来のボランティアたちとの交流を手助けするような、人柄そのままの自然体のライブ活動に歌とギターで飛び込むようになった。

建築設計士として、地元の復興に関わる仕事にも忙しかった渋谷さん

大震災の翌4月末、曹洞宗の若い僧侶たちが関東から来町し、北上中学校前で炊き出しを行った。渋谷さんが飄々とした風情で現れ、歌のお返しをした動画がYoutubeにある。その時、こんな体験トークをしながら披露したのが、『君が愛したふるさと』という曲だ。

「チェルノブイリ原発事故(1986年)の翌年、『被ばく覚悟』を条件に現地に医療品を送り届けるボランティアに応募して、僻地の診療所まで行ったんだ。この歌を作った次の年に原発事故があり、『チェルノブイリのための歌だったか』と思ったけれど、最近は『この日のための歌だったか』と…」。それほどに予言的な歌を、渋谷さんは切々と歌い出した。

君が愛したふるさとは いまじゃ思い出なくなった
鳥のさえずり聞こえたあの山も いまじゃ姿 変わり果て

君が遊んだあの野原 いまじゃ子どもの声 聞こえない
潮騒の歌に海原に 何度夢を託したか
(中略)

それでも人びと この町で 明日に夢を託してる
そして君はこの町で たくましく生きるんだ
泣くのはおやめ 君 もう泣かないでほしい
このふるさとに戻ったなら 一緒に歌を歌おう

遠来のボランティアとつながる

追分温泉は、こうして全国各地から来町するボランティアたちの宿泊拠点となり、大勢の老若男女を受け入れた。昼間はさまざまな支援活動をし、夜は自慢の湯に浸かって食事を楽しみ、その後の呼び物になったのが渋谷さんのライブだった。「みんな、体を使った作業でクタクタなのに、思わぬライブに『被災地で、こんな歌を聴かせてくれる人がいたんだ』とびっくりし、すごいノリで応えてくれた」と、自らもカホンを演奏した横山さんは言う。

北上川河口、追波湾に面した十三浜はワカメ、コンブの名産地。津波ですべての浜が集落を流され、多くの住民が亡くなった。地元漁協運営委員長だった佐藤清吾さんを中心に、漁業者と家族は避難所、仮設住宅から毎日通って養殖と浜の暮らしを復活させた。人手のいる作業のボランティアに、震災の年から学校挙げて取り組んだのが「自由学園」(東京)。

高等部の男子生徒たちは公民館に連泊し浜の仕事を手伝った。夜は追分温泉の湯で疲れを癒し、最後の晩の打ち上げでは、大広間での渋谷さんらのライブで盛り上がった。毎回、大合唱になったのが『土偶』という歌。北上町の縄文時代の貝塚で土偶が発掘された折、渋谷さんは遠い先祖から脈々とふるさとに受け継がれるものに思いを馳せ、作ったそうだ。

彼らは狩をし貝を集め 自然の掟を守りながら そこで造った彼らの人形 それは
土偶 豊かな明日への願い 土偶 我らに宇宙 教える 土偶 人間の心のふるさと

震災以来、十三浜の支援活動に訪れる自由学園の生徒たちと声を合わせる渋谷さん=2016年3月、追分温泉

高等部の男子生徒は、追分温泉のライブを祭りのように代々語り継ぎ、渋谷さんの自主制作CD『しゅうじのうた』(2010年)を往路のバスで聴いて覚えた。収録曲の『土偶』を渋谷さんが歌い始めると、縄文以来海と生きる人々に共鳴したように、全員が立ち上がり、肩を組み円舞し「土偶、土偶」と叫ぶ。渋谷さんは世代を超えて熱く心をつなぐ人だった。

仲間たちに見守られながら

今年1月24日の夜、渋谷さんは追分温泉のフロントで横山さんらと立ち話をしていた時、突然その場に倒れた。病院に運ばれて、心臓の太い血管が裂けて大出血する「大動脈解離」と診断され、妻とみ子さんが駆けつけた時には人工的に心臓を動かしている状態だった。

「仕事を終えると、大好きな追分温泉の湯で汗を流さないと一日が終わらず、それから帰宅するのが、おとうの日課。それまで病気の前兆などなかったのに」と、とみ子さん。「最後は病室で、横山さんをはじめ7、8人の大切な仲間たちに見守られながら逝きました」

渋谷さんを惜しんで語り合う、(右から)横山さん、妻とみ子さん、佐藤さん=2022年3月30日、追分温泉
渋谷さんを惜しんで語り合う、(右から)横山さん、妻とみ子さん、佐藤さん=2022年3月30日、追分温泉

渋谷さん夫婦と親しく交わった、十三浜の漁業者一家の佐藤のり子さん(58)はしみじみとこう語る。「修治さんは幸せだったのかもしれない。横山さんら友人がお別れの演奏をし、お葬式でもCDを流した。震災があったけれど、全国の人と歌でつながり、北上町にシンガーソングライターあり、と知ってもらえた。最後の日々に人生の花を咲かせたね」

不思議な話を、とみ子さんらから聴いた。渋谷さんは絵心に富み、日本大学芸術学部に入ったが中退。石巻の司法書士事務所で働き、そこで「建築士になりなさい」と勧められたという。東京のアパートにいた時、都会暮らしの孤独からか気を病み、自死を思い立ってドアを開けた。そうしたら偶然、同郷の親友(後にライブ活動の仲間にもなる佐藤博文さん)が来ていて「なんだ、田舎に帰るのか」と聞かれ、ふるさとから呼ばれたように、その足で帰郷したそうだ。ふるさとが渋谷さんの心を救い、ふるさとを心から歌い上げる人になった。

渋谷さんのさまざまな歌のライブが、Youtubeで「渋谷修治」を検索すると聴ける。                                  

渋谷さんのCD『しゅうじのうた(2010BEST)』は追分温泉で販売している。電話0225(67)3209。紹介サイト峠の湯 追分温泉 – 旅館 / 石巻市 – みやラボ! (miyalabo.jp)

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