【写真企画「東北異景」】第2回 宮城の戦争遺跡(上)防空壕(仙台市青葉区)

 高層ビルの明かりがきらめく仙台市の中心市街地。かつて、この街が一夜にして焦土と化したことを記憶する世代は少なくなった。【文・写真/佐瀬雅行】

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光に満ちあふれた仙台の夜景。71年前の夏、空襲がこの街を焼き尽くした。炎が夜空を真っ赤に染め、遠く山形市からも見えたという(佐瀬雅行撮影)

 第二次世界大戦末期の1945(昭和20)年7月10日午前0時すぎ、米軍のB29爆撃機123機が来襲し、2時間にわたって爆撃を繰り返した。投下された焼夷弾は912㌧、1万2961発。約500㌶が焼失、死者は1399人に上った。東京より北の都市では最大規模の空襲だった。

 当時、母は高等女学校3年の14歳。宮城県庁の北側、現在の青葉区上杉1丁目で両親と暮らしていた。突然の空襲で一旦は自宅の防空壕(ごう)に入ったが、このままでは危ないと判断した親に一人で避難するように言われる。焼夷弾の雨が降る中、母は布団をかぶって北に向かい、幾つもの防空壕に逃げ込みながら台原(だいのはら)までたどり着いた。夜明けを待って家に戻ると、自宅は奇跡的に残っていて両親も無事だった。しかし、道路一本隔てた隣家まで一面の焼け野原になっていた。

次ページ:仙台の街に今も残る防空壕




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