主の病で閉店した相馬のカフェ、ふた月ごとの「はっぴい寄席」で復活。年配者らで満席、笑いあふれる 

寺島英弥(ローカルジャーナリスト)】相馬市にある旧・中村珈琲店。ビートルズ・マニアの建設会社社長が「コーヒーと生演奏で街に憩いを」と5年前に開いた名物店だった。遠来のファンも増えたが、主(あるじ)の社長は急病に倒れて一昨年9月に惜しまれつつ閉店した。「相馬はっぴい寄席」は、大震災後も地元で相次いだ水害、地震の中で被災者を社長が助けた縁から、妻の桜井一枝さん(67)と仙台の落語家、六花亭遊花さんらが語らって昨年4月から、ふた月に一度、珈琲店を開けて催している。寄席は毎回、年配者らで札止め満席の盛況で、「お腹の底から笑ってもらい、店も喜んでいます」と一枝さんは語った。       

東北弁の落語と漫才をたっぷり          

先月24日の午前10時、JR相馬駅に近い旧・中村珈琲店の前に「第6回 相馬はっぴい寄席」の看板が出され、年配客らが三々五々集まってきた。定員34人は予約で札止め満席。一枝さんは来場者の名前を確かめ、中のカウンターに沿って3列並べた椅子席に案内した。友人同士、夫婦、親子、それぞれに連れ立ったお客は、入り口で勧められたサービスのコーヒーや紅茶のカップを手に楽し気に語らっている。 

10時半の開演とともに、仮設の舞台に仙台を中心に活躍する芸人さんが登場。女性の漫才コンビ「まつトミ」は、まつさんが最近行ったという運転免許更新での体験を、相方・トミさんとの東北弁のとぼけた味わいのドタバタ劇に広げ、客席を大笑いさせた。続いて落語家の六花亭遊花さんが和服姿で登壇。田舎の懐かしい人情濃い滑稽話で、のんびりと、ぐいぐいと、東北弁の笑いにお客を誘い込んだ。 

「相馬はっぴい寄席」に出演している六花亭遊花さん(中央)と、「まつトミ」のまつさん(左)とトミさん=2024年4月24日、相馬市の旧・中村珈琲店(筆者撮影)

休憩を挟んだ後半の舞台でまた客席が沸いた後、最後の挨拶に一枝さんも立ち、「おかげさまで、きょうで1周年を飾ることができました。『はっぴい寄席』は6月からまた新しい出発、お待ちしています」と呼び掛けた。大半の客が帰りに受付で次回来場の予約を済ませ、早くも満員札止めの状態。「これから聴きたいという人のために何とか席を増やそうか」と、一同が悩むほどの人気と定着ぶりだ。 

ビートルズ・マニアのカフェ 

中村珈琲店は、一枝さんの夫で、現在相馬を離れ病気療養中の元建設会社社長、茂紀さん(68)が建てた。古い祖母の家の敷地にあったトラック駐車場を大改造。新しい基礎を打ち柱を補強し、資材を吟味して2019年4月に開店させた。何よりも、小学生でバンドを始めた「ビートルズ・マニア」の夢を実らせた店だった。 

内装は、エレキギターなどに用いられるローズウッドのシックな色と、鮮やかな赤。リッケンバッカー325やエピフォン・カジノのギター、ヘフナーのバイオリン型ベースなど、ビートルズのメンバー愛用と同型の楽器類、名盤アルバムの数々、彼らの故郷、英国リバプールなどで茂紀さんが集めたお宝グッズが飾られている。 

自身は東京の大学で建築を学び、中堅住宅メーカーのトップセールスマンとなった後、2002年に一枝さんと帰郷し建設会社を開業。13年前の東日本大震災の後は、被災した家の修復や耐震工事を採算抜きで30軒余り手掛け、近隣の原発事故被災地から避難した人々の住まい確保も支援した。また音楽活動再開のため自宅に造ったスタジオを、震災で練習場所をなくした小中高校生のバンドにも開放。やがて「ライブ演奏ができる店、音楽を楽しみに人が集える店を相馬につくりたい」という夢につながった。 

夫婦の思いが詰まった旧・中村珈琲店の前に立つ桜井一枝さん(筆者撮影)

相馬に人を集わせたい夢 

東京や横浜で修業をさせたスタッフのコーヒーや紅茶、味自慢のランチ、夜のスコッチやバーボンが男女問わず常連を増やし、伝統行事「相馬野馬追」の祭日には外国人も含む観光客が涼を求めて訪れた。呼び物のライブは毎月、茂紀さん、一枝さんが仙台など各地で聴いたミュージシャンや、ギターからキーボード、ボーカルまでこなした茂紀さんと地元の仲間のステージが企画され、いつも満席だった。 

相馬の秋の音楽ライブイベント「SOMA音フェス」でも中心的存在だった茂紀さんは、構想をさらに膨らませていた。見事に美しい藤棚がある古い祖母の家の庭も生かし、リバプールの名所「ストロベリーフィールズ」(ジョン・レノンの名曲で歌われた孤児院跡)のような「世界から相馬に人が集う、憩いの場所に整備したい」―。そんな夢の途中にあった2021年の暮れ、仕事と音楽に精力的だった茂紀さんは突然の脳出血で倒れた。 

「それから私は夫の療養と残された仕事に追われる日々で、常連さんが惜しんでくれた中村珈琲店もやむなく22年9月に閉めました」と一枝さんは振り返る。「でも震災以来、被災した街の人たちのために、夫が営業もなげうって復旧作業に尽くしたことの縁が、思いもしなかった『相馬はっぴい寄席』につながったのです」 

災害の中で生まれた人の縁 

2019年10月、東北南部は記録的豪雨災害に見舞われた。相馬市でも川が氾濫し、浸水被害は3000戸余りに上った。中村珈琲店は建物も井戸水も無事で、茂紀さんは「SOS」の電話を受けた現場で、家々を襲った分厚い泥の除去に重機で奮闘。一枝さんは店で温かい弁当を作って長靴で配達した。「みんな、同級生や夫のバンド仲間ら、縁のある人たち。こんな時だもの、困っていればお互い様。できることで助け合わなきゃ」と一枝さんはこの時語った。珈琲店には、家で食事もできず疲れ切った被災者たちが訪れ、パスタやコーヒー、音楽と語らいで生気を取り戻した。(記事参照 台風19号上陸から一週間、福島県相馬市で続く泥との苦闘|TOHOKU360) 

地震や水害で被災した住民の「住み続けたい」という思いを聴き、支援の工事を続けた(左から)桜井茂紀さんと一枝さん=2019年3月19日、相馬市内

それから3年半後の昨年4月。豪雨災害当時は見ず知らずながら救援した、ある高齢者宅の家族から一枝さんに「感謝のパーティー」の誘いがあり、そこに家族の仕事のつながりで呼ばれたゲストが六花亭遊花さんだった。「仙台の花座などで活躍する遊花さんから、『相馬でぜひ寄席をやりましょう』という真摯なお話を聞いた」と一枝さん。相馬市内は水害の後、震度6強の2度の大地震も相次いだ。被災した昔ながらの町並みの解体撤去が続き、市民の心は消沈していたさなかだ。 

店がよみがえり、喜んでいる

 「一緒に、東北弁の笑いで楽しい場をつくりましょう、という彼女の申し出に心を動かされた。コロナ禍も明けて、人がまたつながりを求めている時でした。とりわけ年配者たちは家にこもって、腹の底から笑うことがなかったから」 

不思議な縁がつながったことを一枝さんは喜んだ。寄席の会場は旧・中村珈琲店しかなかった。茂紀さんが人生の夢を懸けた店、夫婦の思いが詰まった店。誰から頼まれても貸すことをせず、すべてそのまま守ってきた。そこに再び灯がともる。 

昨年6月、第一回「相馬はっぴい寄席」が催されると、会場は楽しみを求める人々で埋まった。以前から「おなごすたぁず」というジョイントを組み、東北の笑いを追求してきた遊花さん、まつトミの息はぴったりで、たちまちに相馬の客の心をつかんだ。遊花さんらは、お湯のポットとコーヒー、紅茶のスティック、飴などのお茶セットも毎回持参し、寄席らしい和んだ雰囲気づくりにも心を配る。 

ふた月に一度の寄席を楽しみに集い、拍手する常連客たち=2024年4月24旧、旧・中村珈琲店(筆者撮影)

2年目に入る次の「相馬はっぴい寄席」は6月20日の予定。「ふた月に一度だけれど、またここで人が集い、語らい、にぎわう。店がよみがえり、喜んでいる」と一枝さんは語る。中村珈琲店の開店以来の常連客で、茂紀さんとは音楽の街づくりの仲間でもあった相馬商工会議所会頭、草野清貴さん(77)も「相馬はっぴい寄席」に妻ケイさん(76)と楽しみに足を運ぶ。「私もビートルズ世代で、この店は今も大切な場所。寄席を盛り立てたいし、新しい企画ができれば応援したい」  

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