【加茂青砂の設計図 #6】蝦夷浜の伝説

連載:加茂青砂の設計図~海に陽が沈むハマから 秋田県男鹿半島】秋田県男鹿半島の加茂青砂のハマは現在、99人が暮らしている。人口減少と高齢化という時代の流れを、そのまま受け入れてきた。けれど、たまには下り坂で踏ん張ってみる。見慣れた風景でひと息つこう。気づかなかった宝物が見えてくるかもしれない――。
加茂青砂集落に引っ越して二十数年のもの書き・土井敏秀さんが知ったハマでの生活や、ここならではの歴史・文化を描いていく取材記事とエッセイの連載です。

土井敏秀】哲学者内山節さんは、著書「新しい共同体の思想とは」の中で、大和朝廷時代を次のように説明する。

「600年代ぐらいになってくると、中国の真似をしたとも言えるけど、律令制の日本ができていって、そこでは日本の土地とか人民は国王のものであるということになって、国王のものである土地を人民に一代限りで貸し付ける」

「律令制時代の日本はそんなに広い範囲の日本ではなくて、じつは畿内地域から瀬戸内海を通って北九州ぐらいまでの地域でしかない(うん。確か覚えさせられた「五畿七道」。中学校?ん?高校かな)」

「日本の場合は、中央権力ができる前に、人々がつくった自律的な共同体が各地に展開していた。その自律的な共同体をおさえて自分の支配下に入れていこうとする歴史が大和朝廷の歴史なのですけれど、それが必ずしもうまくいかない」

「蝦夷浜の伝説」に登場する楽園も、「自律的な共同体の一つ」だったのに違いない。朝廷に抵抗してまで、守ろうとしたのだから。具体的にどんなありようだったのだろう。

人はいつの時代も、水平線の彼方に夢を託し、旅立った
人はいつの時代も、水平線の彼方に夢を託し、旅立った

小説家村山由佳さんは、伝記小説「風よあらしよ」で、1900年前後の明治、大正時代を28歳で駆け抜けた婦人解放運動家伊藤野枝に、生まれ故郷の村を理想の共同体として、こう語らせている。

「規約もなければ役員もいない。あるのはただ、遠いご先祖さまの時代から続く『困ったときは助け合う』っていう精神だけ」

「持ちあがる問題もたいていは目に見えるものだから、みんなの知恵や意見が出されれば結論はひとりでにまとまっていくし、どうかして意見がまちまちになったとしたら、みんな幾日でも幾晩でも熱心に集まってとことん話し合うんです」

「どれも全部、押し付けられて不承不承にしているわけじゃないのよ。自分のするべきことを怠ったら、ほかの人たちに申し訳ないっていう良心に従って動くだけ。だから上からの命令も監督も必要ないの」

鬼王丸率いる蝦夷たちの楽園も、かなり強引だけど、「希望」も込めて、こんな感じだったのに違いない。

伊藤野枝は、その暮らしが「監視されているみたいで、窮屈で、息苦しくて」飛び出すのだが、伊藤は小説の中で「都会の利己的な生活が冷たく思えて耐えられないのよ。たとえ貧乏でも活気がなくても、お互いに助け合って、生きるための心配をせずに暮らしていける村のほうが、はるかに温かくて住み心地がいいって思うからなのね」と振り返っている。

蝦夷たちの楽園は、軍事力の差で守り切れなかった。「大和朝廷の命」に従っていれば、楽園はどうなっていたのか。血を流さずに条件の話し合いで、契約を交わすことができたのだろうか。「うちに入れば、ほかの国の侵略から守ってあげます。税金というお支払いをお願いしますけれど」と、営業トークがあったとしたら……あり得ないな。

蝦夷浜の伝説は蝦夷の最期を、こうつづっている。「他の若者たちも、遠く去る丸木舟の妻子に手を振りながら身を投げました。そうして男鹿の蝦夷は、ここで姿を消したのです。今でも残るこの磯浜を蝦夷浜と呼び、男鹿蝦夷終焉の地と伝えられております」

(つづく)

エッセイ:死後の審判

10年も前になるか、加茂青砂ふるさと学習施設(旧加茂青砂小学校)で、イベントを開いていた時、カメラマンが訪ねてきた。何のカメラマンかというと、全国の十王堂を被写体に、取材しているそう。十王堂?あぁ、地元の家々の位牌を置いているとこね―ぐらいしか認識していなかったので、取材する理由が分からず、不思議な気がした。

「なぜ十王堂という名前なのか、知ってますか」「考えたこともありません」

「中にあるのは?」「入ったことがないので、分かりません」

聞けば「あぁ、こんなことも知らなかったんだ」と赤面した。

人は死ぬと、閻魔大王をはじめとする10人の王の裁きを受ける。生きていた時の行いが、その対象である。裁きの前に、閻魔大王の妻「奪衣婆(だつえば)」に、死装束をはぎ取られる。裁きの結果で行き先が、極楽か、地獄か、が決まる。それだけ重要な場所なのである。

興味をひかれ、初めて十王堂に入った。両脇の2段のたなに、位牌がずらり。それぞれに造花、ろうそく、線香立てなどもあって、にぎやかな雰囲気を醸し出している。

加茂青砂十王堂にある閻魔大王㊧と奪衣婆

真正面に向かって右側奥に、閻魔大王と、奪衣婆、真ん中に如意輪観音像、左側には地蔵菩薩が安置されている。手を合わせ「初めまして」のあいさつ。地区によっては、10人の王全員がそろっているという。カメラマンはすでに、男鹿市内10カ所ぐらいの閻魔大王らの写真を載せた、パンフレットを作っていた。地区ごとに違う表情を見て、ますます興味をひかれた。

ほかの地区のも「ナマ」で見せてもらったり、公民館の文化祭で、「奪衣婆とはだれか」をテーマにした、展示企画を開いたりした。展示したことで気持ちが晴れたのか、単純だなあ、「ミーハー気分」は消えた。

きょう9月20日は、秋の彼岸入り。久しぶりにお参りしないとな。

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