連載:加茂青砂の設計図~海に陽が沈むハマから 秋田県男鹿半島】秋田県男鹿半島の加茂青砂のハマは現在、100人に満たない人々が暮らしている。人口減少と高齢化という時代の流れを、そのまま受け入れてきた。けれど、たまには下り坂で踏ん張ってみる。見慣れた風景でひと息つこう。気づかなかった宝物が見えてくるかもしれない――。
加茂青砂集落に引っ越して二十数年のもの書き・土井敏秀さんが知ったハマでの生活や、ここならではの歴史・文化を描いていく取材記事とエッセイの連載です。

土井敏秀】蜂起から約半年後の878年(元慶2年)8月、住民側は降伏した。朝廷が正式に、乱の終息を公にしたのは、さらに10か月後の翌元慶3年6月だった。

「終息」に向け中心となって動いたのは、乱勃発時の出羽国司ではなく、新たに任命された出羽権守(ごんのかみ)藤原保則である。朝廷の討伐せよ―の命令を受けながらも、住民の声にも耳を傾けることができた、実質的な国司であった。

戦いは住民側優勢で進み、これに対し朝廷側は「妖気を撲掃すべし」「我兵威を奮い、一挙に誅滅せよ」などの強い命令を送り続けた。これに対し、保則は「住民を討つべきではないし、また、討つことが不可能であることを政府官人に理解してもらおう」(「元慶の乱」・私記)と、一つ一つ理由を挙げて具体的に説明している。

元慶の乱当時の兵士像(秋田城跡歴史資料館)

例えば「賊徒愁状十余条を進じ、怨叛の由を陳ぶ。詞旨深切にして、甚だ理致有り。即ち法禁を弛め、その冤枉を慰む」。住民側の要求を「論理が明確で、非常に丁重である」とほめる。初めて見た「冤枉(えんおう)」と言う言葉を調べると、「無実の罪」「冤罪」の意味とあった。「乱」を起こしたのに「冤罪だ」としたのだ。ともに「乱」にかかわった陸奥鎮守将軍小野春風の協力も、支えとなった。

その上で、蜂起を指導しただろう首謀者を特定することはなかった。それだけでなく、参加した住民の誰一人も、罰しなかった。さらに藤原保則は、出羽国府側と蜂起した住民たちとの「合同懇親会」まで開いている。もちろん、役所内、朝廷での反対意見もあったが、理詰めで押し通した。「保則の真意は、住民軍を討つべきではないし、また討とうにも不可能であることを政府官人に理解してもらおうとするところにある。それを露骨に表現せず、複雑に文章をかみ合わせながら、己が命令者に対する懸の『教喩』にあてている」(「元慶の乱・私記」)

小説「水壁」は、最後の戦いに臨む主人公らを次のように描写している。

どどどど、どどどどど。

大地を揺るがす幾百もの馬の足音が背中から響いている。天日子(そらひこ)は振り返った。(略)何度となく盃を交わしながら蝦夷の先々を語り合った多くの仲間たち。そのほとんどが、たった半年前に知り合ったものばかりだ。(略)それがこうしておなじ敵を目指して駆けている。(略)こんな瞬間が自分を待っていたなど思いもよらないことである。結果などどうでもいい気持にさえなっていた。馬と自分と仲間が一つになって空を翔けている。それ以上他になにを望む必要があろう

高橋克彦著「水壁 アテルイを継ぐ男」

結果は出た。「秋田河以北を己が地と為さん」という、住民側の要求は通った。秋田河がどの川を指すかは諸説あるが、秋田以北は蝦夷の自治が認められたのである。「これは朝廷支配からの脱却を掲げた史上初の戦いであると言ってよい。(中略)この後、半世紀の間に秋田を含めた北東北の様相が大きく変貌していき、遂には北東北の朝廷支配を崩壊させるからである」(「元慶の乱と蝦夷の復興」)(つづく)

エッセイ:幸福の王子

写真を見れば、一目瞭然である。鼻の先っぽが、欠けている。

鼻の先っぽが欠けた二宮金次郎像(男鹿市・加茂青砂ふるさと学習施設)

この「二宮金次郎像」は、男鹿市の「加茂青砂ふるさと学習施設」(旧加茂青砂小学校)の敷地内に立つ。施設は、国の登録有形文化財に指定されており、男鹿市が維持管理している。

初めて見たとき「大変だ、かわいそう。市に連絡し修復を」と、気が急いた。

連絡には写真が一緒の方が、すぐに伝わる。カメラ持参の散歩中である。ちょうどいい。レンズを向け、できるだけアップを、と近づいた。表情と向き合い続けた。なんて晴れ晴れとしてるんだろう。鼻のことなど、全く気にかけていなそう。弾む気持ちがあふれている。その明るさに引き込まれた。

加茂青砂小学校は明治9年(1876年)開校だが、現存する校舎は昭和3年(1928年)に完成した。像がいつ設置されたかは不明だが、校舎完成と一緒だと仮定しよう。すると「きんじろうさん」は以来、閉校した平成13年(2001年)まで70数年もの間、通学してきた子供たちと、あいさつを交わしていたことになる。長じて二宮尊徳となり江戸時代末期、農村復興に尽力した人が、である。

子供たちのあいさつにいつも、尊敬の念が込められていても不思議はない。みんなの思いが表情の明るさを育んだ―かもね。だから、鼻が欠けたぐらいなんなのさ、と突っ走ろう。

その先に、オスカー・ワイルドの短編小説「幸福の王子」が現れた。全身を金箔で覆われ、宝石を身に着けていた王子の立像は、南国への「移住」を断念したツバメの協力で、暮らしに困っている人たちのため、身をはぐ。それは、みすぼらしくなっていくのとは逆に、胸を張れる行為だった。

加茂青砂の二宮金次郎像は、「風化」という時の流れの協力で、身を削っていく。自然の摂理に存在をゆだねる。その姿の移ろいは、修復してもらうより、数多くのことを、教えてくれるに違いない。痛みを伴いながらでも。石の立像は、それをも抱きかかえて、いつも明るい。

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