- 2022年1月14日
【加茂青砂の設計図】二番目の船「真漁丸」佐藤真成さんの物語①ラブレター
佐藤真成さんは、学校を卒業して以降の「漁師人生」を時代順に振り返った後、気になる言葉を口にした。「生きていく、それだけで精いっぱいだった。よく生きてこられたと思う。辛い思いさせたしな」。話が途切れた。サザエ網を同じリズムで繕う手を、休めようとはしない […]
佐藤真成さんは、学校を卒業して以降の「漁師人生」を時代順に振り返った後、気になる言葉を口にした。「生きていく、それだけで精いっぱいだった。よく生きてこられたと思う。辛い思いさせたしな」。話が途切れた。サザエ網を同じリズムで繕う手を、休めようとはしない […]
【土井敏秀】北洋での仕事はいずれも、半年ぐらいの操業だった。それ以外は地元に戻り、早春のサスラマス釣り、冬のハタハタ漁、ヤリイカ釣りなどで稼いだ。24歳で結婚、子供2人には教育費がかかる、父親が購入した土地に家を建てなければならない。休む暇はなかった […]
「いつも眠かった。時間なんか関係ねえんだ、夜中の1時、2時にたたき起こされ、暗い中、母船から川崎船に乗り移る。10人分の飯が入った箱型のおひつ、みそ汁が入った鍋、それにたくわん1本も、10人でたった1本な、を渡されてな。漁場につくまで、立ったままで飯 […]
一番目の船「幸勝丸」大友幸雄さんの物語①(昭和11年3月6日生まれ) 【土井敏秀】秋田県・男鹿半島に引っ越して来て、最初に「ど真ん中の剛速球」で、声がけしてくれたのが「幸雄さん」である。1998年(平成10年)4月、加茂青砂集落の春の例大祭の懇親会の […]
【土井敏秀】秋田県・男鹿半島西海岸にある加茂青砂集落にも、雪の季節がやってきた。日本海は遠くに望む水平線さえ時化で、デコボコにうねっている。そのうねりは、繰り返し波を起こしては、白色をぶちまける。雪が覆い重なるように叩きつける。この「白い海」はほんの […]
【土井敏秀】公文書であれ、その公文書を解読した本であれ、それを基盤にした小説であっても、先人たちが著した「歴史もの」に触れていると、確信めいたものが流れ込んできた。 「書く者同士には、時空を超えた信頼関係って、ありなのかもしれない」 ちょっと大げさか […]
【土井敏秀】元慶の乱を伝える「日本三代実録」は、日本の古代史を著した6つの公文書「六国史(りっこくし)」の6番目の書である。858年(天安2年)から887年(仁和3年)までの清和、陽成、光孝の3人の天皇の時代を記録している。 いやあ参ったなあ、だって […]
【土井敏秀】「元慶の乱・私記」も終盤に差し掛かった。 寛平三年(八九一)九月十一日。二つの太政官符が出される。元慶の乱の十二年後のことである。『外国の百姓みだりに京戸に入るを禁制すべき事(前略)年来外国の百姓或いは小吏に賄(まいな)いて京畿の貫し(注 […]
【土井敏秀】蜂起から約半年後の878年(元慶2年)8月、住民側は降伏した。朝廷が正式に、乱の終息を公にしたのは、さらに10か月後の翌元慶3年6月だった。 「終息」に向け中心となって動いたのは、乱勃発時の出羽国司ではなく、新たに任命された出羽権守(ごん […]
「元慶二年(878)三月廿九日。出羽国守正五位下藤原朝臣興世、駅を飛して上奏す。夷俘叛乱して、今月十五日秋田城幷郡院の屋舎と城辺の民家を焼損す。仍て且つは鎮兵を以て防守し、且つは諸郡の軍を徴発す」 これは「元慶の乱」勃発(878年)を記した古代の公文 […]