かろうじて軽トラックが通行できる隘路(あいろ)の先に、岩山を削っただけの狭いトンネルが現れた。足元に注意しながら真っ暗なトンネルを抜け、さらに歩き続けると真夏の日差しを浴びて小さな入り江が広がっていた。東松島市宮戸大鮫(おおざめ)。陸繋島の宮戸島は松島を一望できる大高森や日本最大級の里浜貝塚で知られ、大鮫は北東に位置する。さざ波が静かに打ち寄せるこの浜は、かつて旧日本海軍の特攻兵器「震洋」の基地だった。【文・写真/佐瀬雅行】
旧日本海軍の特攻兵器「震洋」の基地
第2次世界大戦末期、連合国の圧倒的な戦力によって追いつめられた日本軍は、起死回生の策として特別攻撃隊(特攻隊)を組織する。それは爆弾を装備した航空機などで自爆攻撃を行う「十死零生」の悲惨な作戦だった。特攻の代名詞となっている神風特攻隊は零戦で米軍艦艇に体当たりしたが、人間魚雷「回天」や人間爆弾「桜花」などの特攻兵器も開発された。
震洋はベニヤ板製の小型モーターボート(全長5・1㍍、全幅1・67㍍)で、艇首に爆薬250㌕を搭載し、最高速度23ノット(時速約42㌔)で敵艦に突入する水上特攻艇。6000隻以上が製造され、フィリピン、台湾、沖縄、日本本土の太平洋岸などに配備された。学徒兵や海軍飛行予科練習生(予科練)の若者が隊員となった。
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