「仙台を拠点に、誰かに寄り添えるシンガーに」29日に新曲をリリースする畠山有希さん

福地裕明】仙台を拠点にモデル、タレント活動をしている畠山有希さん。昨年11月にLINE RECORDSから1stシングル「恋文」をリリースしたシンガーソングライターでもあるんです。

今年7月には新曲「BFF」を発表するとともに、8月には自身初となるソロライブ「My Way」も開催。今月29日には新曲「for you」もリリース予定です。ファン目線で、これまでの軌跡や音楽にかける思いを聞きました。

初めてのソロライブを終えて

―まずは、初のソロライブお疲れさまでした。私も一ファンとしてあの場にいたのですが、まずは率直な感想をいかがですか。

初めてのソロライブということで、不安でいっぱいでしたが、ありがたいことに満席になったことと、やりきったという達成感がありました。

畠山有希さん(福地裕明撮影)

―ライブではご自身で作詞・作曲した曲も歌われましたね。

新曲の「BFF」や、これからリリース予定の2曲を披露しました。「BFF」は”Best Friend Forever”の略で、デビュー曲の「恋文」とは真逆のアップテンポな曲です。「離れていても繋がってるよ」という、今のご時世にフィットしたポップな友だちソングに仕上げました。

―作詞作曲はいつごろから? 

20歳の頃かな、アコースティックギターを弾き始めたあたりだと思います。今も、時間があるときはピアノやギター触っていますが、そうしていると、詩やメロディーが浮かんできます。

―作詞作曲するときって、詩先(詩が先)ですか、それとも曲先?

曲に寄りけりですね。『BFF』のときは、サビの歌詞とメロディーが一緒に浮かんできたんですよ!『これすごい!盛り上がりそう!』と思いましたね。

小さなころから音楽に触れて育った

―有希さんが歌や音楽に興味を持ったり、「歌手になりたい」と思ったのはいつ頃からでしょう?

2~3歳のころですかね。「ドレミファソラファミレド♪」の音楽教室で「おうたや童謡」を歌っていました。幼稚園ではエレクトーン、小学校ではピアノを習いました。そんな流れで、小さなころから歌手とか、キラキラした芸能界の仕事への憧れはありました。

―小さいころから音楽に触れて育ってきたんですね。

そうですね。こればかりは、両親に感謝しています。中学では吹奏楽部に入ってホルンを吹いてました。

―高校ではそのまま吹奏楽を?

中学の頃から、ずっとバンドやりたいと思っていたんですよ。軽音部がある中学ってなかなかないので、「高校入ったら、絶対に軽音部入る!」って思ってました。で、高校では同級生4人でバンド組みました。入部と同時にエレキギターを買って。ボーカルも担当しました。

―ちょうど時期的にはアニメ「けいおん」が流行っていた頃ですね

まさに世代です。「ふわふわ時間』」や「Don’t say “lazy”」歌ってました。

―ライブハウスでも演奏したんですか?

はい。ライブハウスでも高校生のバンド向けの企画をやっていたので、高校2、3年の頃に何回か演奏しましたね。

―大学に進学してもバンド活動されたんですか?

軽音サークルに入ったのですが、弾き語りにも興味があって途中でやめました。エレキで弾き語る人ってあまりいないじゃないですか。「弾き語りならアコギだろう」と、独学で。

―それまで、「歌手になる」という夢を持ち続けていたわけですか?

小さいころから憧れはあったけど、芸能活動の中心って東京じゃないですか。だから、半ばぶっちゃけあきらめていました。「普通に就職しよう」と大学に進学したんですが、アコギを手にしたころから「本当にこれでいいのか?」「自分の夢をあきらめて就職する道でいいのか?」と自問自答するようになったんです。

モデル事務所に所属しながら歌手への夢を追いかける

で、もう一度夢を追いかけてみようと思いたったころ、大学のカフェテリアで今所属しているモデル事務所のリーフレットを見かけたんです。「あっ、仙台でも、芸能活動できるところがあるんだ」と思って、思い切って事務所の社長さんにツイッターで連絡したんです。

―「歌手になりたいんです!」と言ったんですね?

「一度お会いできませんか?」と連絡して社長さんに会ったんですが、チキン(小心者)なので「モデルやりたい」って言えなかったんです。自分に自信なかったし、できっこないとも思っていたので。案内には広告制作やイベントの仕事があるとも書いてあったので、とっさに、「大学でデザイン学んでいるんで、デザインの仕事があればやらせてください」と言ってしまったんですね。

―制作の仕事からモデルに転向されたんですか?

制作は一切やらなかったです(笑)。制作スタッフとして事務所に入りましたが、社長さんがスタッフ全員にオーディション募集をシェアしてくれました。その中に、仙台駅東口のアミューズメント施設のCMオーディションがあったんです。

すごくやってみたかったんですが、事務所に入りたてで宣材写真もなくてどうしようと思いました。でも、勇気を出して「やりたいです!」と社長に連絡したら、社長が「私が撮るから」と錦町公園に呼び出されて…。まさに『撮り急ぎ』っていう感じで撮影して送ったら、なんと、受かったんです。びっくりしましたが、社長も「しょっぱなからCMに出る子って、なかなかいないよ」と驚いていました。

―実際、CMに出てみてどうでした?

「私で、いいんだ」と自信がつきました。このタイミングでようやく、「実は、モデルやりたいです」と社長に思いを伝えることができました。

ウェディング撮影などモデルとして活躍中(写真提供:畠山有希さん)

―現在、仙台放送「あらあらかしこ」でレポーターをされていますが、これもオーディションですか?

「あらかし」は応募型オーディションではなく、先方から事務所に「番組リポーターのオーディションを受けませんか?」という感じで連絡があったそうです。

―先方から打診があったんですね。運命が変わりましたね

「あらかし」のリポーターは2018年5月からで、現在3年目になります。当時は大学4年で就活中だったんですが、先方からは「2~3年は続けてほしい」と言われて。悩みましたが、滅多にできることじゃないからと引き受け、就活するのをやめました。

「あらかし」に出たことで、イベントの司会やCMなど、色んなところから(仕事の)お声がけいただくようになりました。露出の機会が増え、「あらかし」のブランドってすごいと思いました。畠山有希という名前は知らなくても、「あの子、あらかしの…」と見てもらえるようになりました。

仙台放送「あらあらかしこ」の「あらかしガールズ」としても活躍中(写真提供:畠山有希さん)

―活動の幅は広がったわけですが、歌手になるための活動は続けていたんですか?

モデル活動は、歌手になるためのステップで、自分に自信をつけるために始めました。なので、ボイストレーニングのレッスンやライブハウスでの「対バン」は続けていました。モデルやレポーターとして活動したことで、私を知って下さる方が増え、ライブにも来ていただけるようになったのは、本当に嬉しかったです。ひとりで音楽活動していただけでは、知名度を上げることは難しかったと思っています。

対バンしていた頃のスナップ(写真提供:畠山有希さん)

―この間もオーディションを受けていたのですか?

多い時には一ヶ月に5~6本オーディション受けてました。オーディションって、調べるとたくさんあるんです。「まずは、(書類を)送れ!」と挑戦しまくったんですが、でも、なかなか受からない。中には年齢制限があるものあったりして、悩みと焦りが募ってましたね。

オーディションでグランプリ受賞、シンガーデビュー

―2019年8月、LINEの音楽レーベル「LINE RECORDS」が協力パートナーとなっているオーディション「NEXT STAR COLLECTION」でグランプリを獲得しました。有希さん自身、どのようなところを評価してもらったと思っていますか?

このオーディションは「歌で気持ちを伝えたい」「歌が好きでたまらない」といった熱い想いが重視されていました。私の歌声だけでなく、夢をかなえるために他のジャンル(モデルやレポーターなど)もやっていると伝えたこともプラスになったのかなと思っています。

―審査員の一人であるタレントのみちょぱさんも「(情報番組の仕事をしてるから)カメラ慣れしていて、堂々としている感じが伝わった」とコメントしていましたね。

最終審査ではファイナリスト8名がそれぞれカメラの前で歌うんですが、それが配信されるんですね。やはり、カメラの前で歌い慣れていない方は緊張してたみたいです。

NEXT STAR COLLECTIONでグランプリ受賞。デビューへの道が開けた(写真提供:畠山有希さん)

―デビュー曲の「恋文」は昨年11月27日にリリース(配信)されました。グランプリ受賞から一年以上かかりましたが、なにか理由があるのでしょうか?

一番影響したのはコロナ禍です。受賞から半年ぐらいは準備期間として、ボイトレとダンスレッスンに通いながら、「恋文」の制作を進めていました。本来であれば、もう少し早くリリースできたかもしれないのですが、まさにコロナウイルス感染拡大の時期に重なり、準備もスムーズに進まず…という状況でした。

―デビュー曲をリリースするまでの間は長く感じたのではないですか?

正直、モヤモヤした状態が続いていました。「オーディションに合格した結果、形になったもの」を早く、応援した皆さんにお見せしたいと思ってました。

―感染が収束しないまま、11月のデビューとなりました

待ちに待ったリリースとなりましたが、イベントができなかったのは辛かったですね。PVもスタッフさんが「有希ちゃんが地元・仙台を大事にしてるから、仙台で撮影しよう」と言ってくださったのですが、「撮影スタッフが東京から来るならば許可できない」というところが多かったんですね。そうした中、ベニーランドさんで撮影させていただけたのはありがたかったです。

―歌手としてデビューして、自分自身変わったことってありますか?

一番の変化は、かなり自信がついたことです。自分の曲が世に出ているという嬉しさ、感動がありました。ライブハウスで歌ってるだけじゃない、一人のシンガーソングライターとしての自覚が芽生えましたね。いい意味での緊張感があります。

―その一方で歌手デビューしたにもかかわらず、人前で歌う機会がないのは辛かったのではないですか。

正直、辛かったです。あまりのタイミングの悪さに「ついていないな」と思いましたし、活動が制限されてしまうのがとても悔しかったです。でも、しょうがないことなので、「できることを精一杯やろう」と気持ちを切り替えました。いつか披露できる日に向けて歌い込んだり、日々SNSに動画を載せたりしていました。

―最初に戻りますが、ようやく8月に初めてのソロライブを行うことができました。

こんな状況だったからこそ、「やっと聴いてもらえる」ことがとても嬉しかったです。ライブでは、自分の作詞作曲した曲を含めて8曲歌いましたが、楽しみながら落ち着いて歌えました。半面、トークは緊張しまくりで、たどたどしかったと思います。こうした緩い部分も「素のわたし」ですので、それも含めて愛してもらえたらうれしいです。

―ご自身で作詞作曲された「My Way」という曲を披露したとき、感極まって歌えなくなってしまいました。

これは、大学生のころに作った曲です。この曲には、大学進学など自由にやらせてもらってきたけど両親は本当はどう思ってるんだろうとか、オーディションにはなかなか受からなくて、就活続けたほうがいいんじゃないかとか悩んだり…。そんな当時の苦労や葛藤を歌詞に込めました。夢をあきらめそうになった自分を励まそうと作った曲だったのですが、歌の途中で当時のことを思い出してしまって、言葉が出なくなってしまいました。

「My Way」の歌詞の一部。このフレーズで有希さんは感極まった

―この曲もいずれリリースされるんですか?

ライブで最後に歌った「for you」という曲を先に今月29日にリリースします。「My Way」もいずれリリースしたいと思っています。

仙台を拠点に、誰かに寄り添えるシンガーになりたい

―これからのことをお聞きしますが、どんなシンガーを目指していきますか?

振り返ると、小さなことが積もりつもって、ようやく蕾が開いてきたという感じがしています。これからも少しずつ積み重ね、大輪の花を咲かせたいですね。

以前から言っていますが、「誰かのHeroになりたい」と思っています。嬉しいとき、悲しいとき、日常いろんなことがあるけど、そういった気持ちに寄り添えるシンガーになりたいです。

―具体的に憧れや、目標としている方はいますか?

私のマイ・ヒーローは安室奈美恵さんです。中学生の頃にハマりました。様々なジャンルの曲を何でもこなすし、愛らしくて、音楽という一つのジャンルだけじゃない魅力があって、すごく憧れました。少しでも、安室ちゃんのように人の心に寄り添える音楽を届けたいです。

―安室さんが好きだから「ヒロイン」じゃなくて、「Hero」なんですね。

そうです。大好きな曲なので。オーディションの最終審査でも安室ちゃんの「Hope」を歌いました。どちらも私に勇気をくれる曲です。

―いずれは活動の拠点を東京に…とは考えていますか?

仙台に生まれ、育ってきて、仙台から離れたことないんですよ。地元を出たいと思ったこともないです。全国に羽ばたきたいという思いはありますが、私は、ここ仙台・宮城から発信したいと思っています。これは絶対に外せないです。

「あらかし」レポーターをやらせてもらったことで、より地元の良さ(地域や人)や愛情が深まりました。アーティスト活動をすることでより地元を盛り上げたいですし、「在仙のアーティストといえば、有希ちゃん」という存在になりたいです。

―どのように知名度アップをはかっていますか?

インスタなどSNSで弾き語り動画を配信しています。定期的に火曜と木曜、好きな曲やオリジナルを気まぐれに配信しています。最近はTiktokにも力を入れてます。30秒や1分動画で人々の心に刺さる動画をつくりたいですね。

地元つながりになりますが、「仙台あるあるソング」をつくろうと思っています。Youtubeなどでは、替え歌などバズっているものがありますが、オリジナルはないみたいです。そこを狙っていこうと考えています。

―ターゲットは若者層ですか?そういえば、先日のライブでも有希さんよりも年上の来場者が多かったような気がします。

ファンの方々は、モデル撮影会に来ていただいた方や、「あらかし」レポーターを応援して下さる方が多いです。同世代や私より下の世代に知ってもらうきっかけ作りとして、ネット配信、動画に力を入れています。

―ほかにはどんなことを考えていますか?

仙台のイベントに出てみたいですね。七夕やジャズフェスティバルなど、市民広場で行われるようなイベントに呼ばれる存在になりたいですね。あとはそうですね…ショッピングセンターをまわって歌ってみたいです。

―最後に、TOHOKU360の読者にメッセージをお願いします。

運命って、些細なことでも変わるときはガラッと変わるんだなと実感しました。私の場合、ほんのちょっと勇気を出したことで人生が変わった、夢を実現できたと思っているので、何らかの「夢」や「志」を持っている人は諦めてほしくないです。自分に自信がないとか、年齢のこととか、あれこれ「できない理由」を探して諦めるのはもったいないです。きっと後悔します。思い立ったら、即、アクションです!

―ありがとうございました。一日も早く、市内のイベント会場で大観衆でのライブを見てみたいです。これからの活躍を期待しています。

ありがとうございます!これからも応援よろしくお願いします!

(福地裕明撮影)

▼畠山有希さんの楽曲

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