• 2024年3月16日

かつて仙台にあった国立のデザイン研究機関「国立工芸指導所」を探った

【阿部岳史(東北ニューススクールin宮城野)】仙台に「国立工芸指導所(以下指導所)」という国立のデザイン研究機関があったことを知る人はそれほど多くないのではないだろうか。かくいう筆者も仙台にそのような場所があったことは知らず、「近代デザイン発祥の地」 […]

  • 2024年3月14日

【大学生が記録する3.11】できるのは、忘れないこと。私の記憶に存在し続けるふるさと 石巻・長面

穏やかな風景と暮らしと人々 【吉野葵(尚絅学院大学健康栄養学類1年)】「ふるさと」を失った経験があるだろうか。ふるさとを離れると、ふと恋しくなり、帰りたくなる瞬間がある。しかし、なくなってしまえば、それが叶うことはない。2011年3月11日の東日本大 […]

  • 2024年3月13日

【続・仙台ジャズノート#106】震災後に誕生した「ジェムストーン」が解散。惜しまれつつなお大崎・岩出山と共に歩む

【佐藤和文】東日本大震災の翌年、2012年から宮城県大崎市岩出山地区で活動してきたグループ「ジェムストーン」が2024年3月10日、活動を締めくくるコンサートを岩出山文化会館(通称「スコーレハウス」)で開きました。バンド活動にはそれぞれの経緯と事情が […]

  • 2024年3月11日

明治、昭和三陸津波の壊滅から集落移転、13年前は犠牲を出さず。大船渡市の98歳の語り部、先人の「命の伝言」を次代へ 

【寺島英弥(ローカルジャーナリスト)】2011年3月11日の東日本大震災で、犠牲者を1人も出さなかった岩手県大船渡市綾里の白浜地区。明治、昭和の三陸津波で多くの命を奪われ、生き延びた住民たちが集落の高台移転を決断。「復興地」と名付けた場所に、13年前 […]

  • 2024年3月9日

【大学生が記録する3.11】震災と、ふるさと・東松島市野蒜の変化 当たり前を大切に生きる

津波があと少し、階段を上がっていたら 【鹿野愛心(尚絅学院大学健康栄養学類1年)】「津波が来たぞ―!!」 叫び声が聞こえ、一人の男性が必死に走る姿が家の窓から見えた。2011年3月11日に起きた東日本大震災。当時5歳の私は、ただ母の後ろについて2階に […]

  • 2024年3月7日

【大学生が記録する3.11】懐かしい仲間と再び暮らしたい。閖上の町内会長が投げ掛けた “復興”の意味を探して

【伊東彩花(尚絅学院大学人文社会学類3年)】2011年3月11日に発生した東日本大震災から、13年になる。当時は小学生であった私も、今は大学生活が残すところ、あと1年となった。長いようで一瞬で過ぎたような歳月に、「復興」という言葉を新聞やニュースで何 […]

  • 2024年3月6日

【続・仙台ジャズノート#105】バンド活動の効用について考える。

【佐藤和文】この連載の103回目「ジャズ音楽の謎」で、バンドに参加できていた点が重要だったと書きました。文字通り暗中模索が続いている、60代半ばからのサックス体験をあらためて振り返ると、「バンド活動の効用」とでも呼ぶべきポイントが確かにあるのを実感で […]

  • 2024年3月5日

【大学生が記録する3.11】海を見て思う13年前。忘れられない、忘れてはいけないあの光景

※この記事の途中には津波直後の相馬市沿岸部の写真があります。 あと1分、30秒遅かったら… 【今野未空(尚絅学院大学健康栄養学類1年)】あれから13年が経とうとしている。私は福島県相馬市に住んでいた(現在は進学した大学の近くに住む)。何が変わったのか […]

  • 2024年2月26日

【高校生記者がゆく】地域密着型のラジオ放送を届ける「東北放送」の番組づくりに迫った

【池田好花、遠藤来実(高校生記者)】みなさんも東北放送株式会社という会社を一度は耳にしたことがあるのではないだろうか。東北放送株式会社(tbc)は、テレビ放送とラジオ放送事業を兼営し、地域密着企画など宮城県に向けた地域特有の番組構成が特徴である。そん […]

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