【加茂青砂の設計図】4番目の船「喜代丸」④27年の沈黙を経て

連載:加茂青砂の設計図~海に陽が沈むハマから 秋田県男鹿半島】秋田県男鹿半島の加茂青砂のハマは現在、99人が暮らしている。人口減少と高齢化という時代の流れを、そのまま受け入れてきた。けれど、たまには下り坂で踏ん張ってみる。見慣れた風景でひと息つこう。気づかなかった宝物が見えてくるかもしれない――。
加茂青砂集落に引っ越して二十数年のもの書き・土井敏秀さんが知ったハマでの生活や、ここならではの歴史・文化を描いていく取材記事とエッセイの連載です。

「集落の人たちは、ほとんど総出のかたちでひしめきあい、ぶつかりあって、手あたりしだい堤防越しに放りはじめた。板切れや丸太棒がとぶ。コンクリート型枠と灯油の空缶がなげられる。縄投げのようにロープを放ってくれる人もいる。加茂青砂の人たちは、いまはもう自分の体を投げこむほど真剣になっていた」

合川南小学校地震津波遭難記録編纂委員会刊行「わだつみのうた」より

1983年(昭和58年)5月26日に起きた日本海中部地震。この日、男鹿半島に社会見学に来ていた秋田県合川町の小学4、5年生45人と先生ら4人の計49人が、加茂青砂の海岸で、昼食をとろうとした正午、ちょうどこの時間に発生した津波に飲み込まれた。そのうち13人の児童が亡くなった。

繁喜さんは漁師仲間と一緒に船で、さらわれた小学生の救助に当たった。以来、その体験に関しては口を閉ざしていた。2010年(平成22年)8月、閉校した加茂青砂小学校を会場に開かれたイベントで初めて、大勢の人に向かって、体験したことを口にした。人前で話すためには、27年という年数が必要だったのかもしれない。振り絞って話し始めると、抑え込んでいた思いが自然に噴き出た。声が震え、話す言葉を揺さぶった。涙が出ていたのに、気づかなかった。

流木など漂流物だらけの海に救助に向かうのは、自らも遭難する覚悟が必要だったこと。2人の小学生の父親であり、「父親のいない子供にしていいのか」という、複雑な思いで、ためらったこと。「ばかやろう。子供を助けないでどうする。さっさと乗れ」と、先輩漁師の怒号が飛んで奮い立ったこと。船に乗り組んでしまえば、迷いは消えたこと。荒海から顔を出し、必死に手を伸ばしてくる子供たちだけを見て、ただただ、引っ張り上げたこと……。

日本海中部地震の津波(1983年5月26日)で亡くなった13人の慰霊碑周辺は、いつ慰霊に訪れる人が来てもいいように、加茂青砂のお年寄りが掃除をしている

夏の暑い盛りの会場では、秋田県内外から訪れた約100人が耳を傾けた。話し終えた繁喜さんは「この体験を伝えるのは、私の使命だ」と確信した。

以来、この集落を野外活動の場に選んだ秋田県立大学の学生、繁喜さんの話を聞く「授業」でやってきた県南の中学生たちなどに講演した。被災の現場を案内し、当時の状況を説明した。話はどう伝わったのか。折り返し届いた感想文の厚さに、繁喜さんの話を聞いた人たちの気持ちが表れていた。13人の命を奪った海と、46人を助けた集落に、それぞれの思いがこめられていた。

繁喜さんは、日本海中部地震を調査している研究者と、対談する機会もあった。研究者は地震発生後に、生々しい現場を訪れている。写真を撮りメモを取り、記録の作成に力を注いでいた。その人は、当事者とは距離を置いた「目撃者」だった。対談後、繁喜さんから、我慢しきれなかった言葉が飛び出した。「あの人はあの時、見てるばっかりで、何一つ手伝わなかったんだぞ。おれはそんなの、嫌いだ」

私にも突き付けられた言葉として、心に刺さった。それは、今回のシリーズ1回目に載った、子供のころの苦労話をした後の問いかけに通じていた。「簡単なもんでねえや。分がるが?」。体が「分からない」と答えている。なのにそのまま、聞く姿勢を崩さない自分は、何者なのか。「私はこういう者です」と、すっくと胸を張ることはできないだろう。「行ったり来たり」する思いを、ずっと背負いながら、それでも「分かりたい」から書く。

苦しかった体験を、公の場で初めて話した1年後の2011年(平成23年)5月、繁喜さんを校長に、「男鹿西海岸の暮らしと文化を伝える海辺の体験教室『かもあおさ笑楽校』」が開かれた。5月から10月までの週末を中心に、19種類もの体験教室を開いた。地元の住民が講師を務めるアケビのツル編み細工、魚のさばき方、加茂青砂の魅力発見……、市外から講師を呼んでのアフリカの太鼓、笑いヨガ、ソーセージ作り、エコキャンドル……音楽会、学芸会も開き、秋田市から「かもあおさ笑楽校行き」の団体バスまでやってきた。人口が百人を切るムラに、千人を超す人が秋田県内各地から訪れた。

閉校した加茂青砂小学校を会場に開かれた、体験教室「かもあおさ笑楽校」を紹介する冊子「恋するOGA西海岸」。19の体験教室のにぎわいが、踊っている

繁喜さんはこのイベントで、暮らし続けてきたふるさとの魅力が、訪れた人たちに伝わっていくことを、肌で感じた。「おれも描いてみようかな」とウキウキする自分がいた。

「かもあおさ笑楽校」のイベントに、学校長としてかかわった繁喜さんは、時には、はちきれんばかりの笑顔を見せた

「どうだ。真ん中は、加茂青砂名産の天然車エビよ。そのヒゲの先にタイとヒラメや。『海老で鯛を釣る』って言うべ。そのタイトルの絵がこれや。みんなおれが捕るさかなよ」

繁喜さんは朝に水揚げした魚を、「道の駅おが・なまはげの里オガーレ」の物産館で、販売している。1匹1匹パック詰めにし、軽トラックで30分かけ、運んでいる。「おれが捕った魚を直接、買ってもらえるのがいい。毎日、どれぐらい売れたか、スマホに情報が入ってきて、励みになる」

繁喜さんの喜代丸が水揚げしたカレイ類は、「きよ丸」のステッカーを貼って、「道の駅おが」で販売している

加茂青砂の海は3、4月がヒラメやカレイ類の旬の季節。夏になれば、マダイ、車エビがやってくる。「北洋から帰ってきた」ユウジローは、毎日、「♪俺は待ってるぜ♪」の態勢で、水平線を望んでいる。

繁喜さんが描いた「海老で鯛を釣る」

「加茂青砂の設計図第2部」は、今回の「菅原繁喜さんの物語④」で終わります。第3部は近く掲載予定です。よろしくお願いします。

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