【連載】新聞記者から社労士へ。定年ドタバタ10年記
「貴君の大学採用の件、極めて困難な状況になりました」。新聞社を60歳で定年退職したら、当てにしていた再就職が白紙に。猛勉強の末に社会保険労務士資格を取得して開業してからの10年間で見えた社会の風景や苦悩を、元河北新報論説委員長の佐々木恒美さんが綴ります。(毎週水曜日更新)
荒涼とした風景
マグニチュード9・0のとてつもない破壊力。死者が15,899人、行方不明者が2,529人(警察庁調べ)に上り、1000年に1度の大災害とされる2011年3月11日の東日本大震災。定年退職し2年、前年の夏やっと社労士試験に合格、開業に向け準備を進めていたときです。あれから9年半が経ちました。
外塀が倒れた程度の軽微な被害で済んだ仙台市泉区南光台東にある我が家さえ、生活面では、都市ガスが約50日ストップ、停電も2、3日続き、底をついた食料の調達や給水を受けるため、近くの小学校などで列をつくらざるを得ませんでした。
50代前半の3年間勤務した石巻を訪ねることができたのは、震災から約1か月後。後輩に連絡しなかった詫びの電話を入れ、笹かまと果物を買ってリュックに詰め込み、高速バスに乗りました。
あの荒涼とした風景は目に焼き付いています。石巻市街に近づくにつれ、道の両側にうず高く積まれた瓦礫の山。バスはストップし、対向車が行くのを待ちます。窓から外を覗くと、そばの小道を、自転車に荷物をいっぱい乗せて、汚れたシャツ、ズボンの人が疲れた表情で歩いています。
普段なら1時間で着くはずなのに3時間。石巻駅から街を歩くと、メーン商店街のお店の前には、水に浸かった黒ずんだ布団類や調度品などが出されています。男性3、4人が炊き出し。静まり返り、通る人はほとんど見掛けません。脇に入るとあちこちにひっくりかえった車両も。空気が淀み、息苦しさを感じます。「ブーン、ブーン」。まだ春先だというのに、ハエがうなりを上げて飛んでいました。
「大事なものだけ車に積んで、とにかく逃げた」
「建てたばかりの、まだローンも残っている家が流された」
「親戚や近所の人の行方が分からない」
元同僚たちの話しを聞き、気が滅入りました。この街は果たして蘇ることができるのだろうか。暗澹たる気持ちで帰りのバスに乗ったことを思い出します。
震災のこと忘れまいと
同じ宮城県内と言っても、早々に街の賑わいを取り戻した仙台にいると、被災地の様子が全く見えませんでした。当方が現地を訪ねても、何かお手伝いできるわけでもないのですが、せめて震災のことを忘れまい、と出掛けておりました。
児童74人と教職員10人が犠牲になった石巻市の旧大川小学校、「高台に避難して」と防災無線で繰り返し呼び掛けながら女性職員らが殉職した南三陸町の鉄骨3階建て防災対策庁舎、人口が3割も減ってしまった女川町、津波で街がそっくり消えた名取市閖上地区、児童らが屋上に避難し九死に一生を得た山元町の旧中浜小学校や仙台市立荒浜小学校。
地震、津波に加え福島第1原発事故が起きた福島県。震災から約2年半。南相馬市の海寄りの小高区村上に入ると、1階部分がひしゃげ、2階がずり落ちた住家が残っていました。津波などで地区の70世帯のうち62人が死亡。重ねられた畳、集められたごみ。汚染され、持って行く場がなく、そのままにされているのでしょう。
帰還困難地域の福島県双葉町には友人の実家がありました。車に乗せられ、浪江町から双葉町へ。長兄が住んでいた大きく立派な家。たくさんの蔵書が収められた書棚にはさぞ愛着があったでしょう。震災後、いわき市や茨城県つくば市に転居を余儀なくされたといいます。友人の持参した線量計が高い数値を示しています。「5年半経ってもこういう状態。帰りますか。万一体に影響が出ても困るから」。悔しそうな友人。
9年半が経ち、被災地は変貌し、地域に明るい動きや戸惑いがあると存じますが、家族や知り合いを失った方の思いはいかばかりかとお察しいたします。
優先課題は命、暮らし
地震、大雨、台風、火山の噴火。災害列島とも称される日本。毎年のように繰り返し災害が起きています。そして今度はコロナウイルスの感染拡大。我々人間社会が試されている気すらします。
それにつけても、当たり前と考えていた平穏な日常が突如壊れたとき、改めて思うのは、普通の暮らしがいかに大切かということです。健康を維持しながら働くとともに、家族やコミュニテイーとの絆を大事にする。普段はなかなか気づかないことですが、平凡な日常の中に、小さな幸せが包み込まれているのでしょう。
先日の新聞に、東日本大震災で建てられた名取市のプレハブ仮設住宅から最後の入居者が退去し、宮城県内のプレハブ仮設は全て解消したことが報じられていました。震災から9年1月。いかにも遅すぎます。これが世界第3位の経済大国と言われるこの国の実態かと思うと悲しくなります。
被災地からは、オリンピックの誘致もあって、政府の被災地への関心が薄れてきたという声も聞かれます。国は何を基準に、優先順位を決め、政策を実行しているのか。現場の声がきちんと反映されず、生活感覚とズレている気がしてなりません。コロナの対策にしても、国、東京都が本格始動したのは、オリンピックの1年延期が決定した後からではないかと疑念を持たざるを得ません。
人々の命や暮らしに優先する課題はありません。当方は以前記者だった職業柄、政治について取材して参りましたが、政治の役割というものがもう一つ実感できないでいました。しかし、震災やコロナを前にして、困っている人を救うのが政治だと確信しています。今こそ信頼のある政治のリーダーシップが求められています。地域の実情に即してきめ細かく課題を整理し、スピード感を持って実行してもらうことを願ってやみません。
【連載】新聞記者から社労士へ。定年ドタバタ10年記
第1章 生活者との出会いの中で
1. 再就職が駄目になり、悄然としました
2. DVD頼りに、40年ぶり2回目の自宅浪人をしました
3. 見事に皮算用は外れ、顧客開拓に苦戦しました
4. 世間の風は冷たいと感じました
5. 現場の処遇、改善したいですね
6. お金の交渉は最も苦手な分野でした
7. 和解してもらうとほっとしました
8. 悩み、苦しむ人が大勢いることを改めて知りました
9. 手続きは簡明、簡素にしてほしいですね
10. 心身を壊してまでする仕事はありません
第2章 縛りがない日常の中で
1. 見たい 聞きたい 知りたい
2. 何とか暮らしていければ
3. 時を忘れて仲間と語らう
4. 時代に置かれていくのを感じつつ
5. 平凡な暮らし 大切に
第3章 避けられぬ加齢が進む中で
1. 健康だと過信することなく
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