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LIFE

  • 2021年10月18日

【加茂青砂の設計図 #10】外国の百姓ってだれ?

【土井敏秀】「元慶の乱・私記」も終盤に差し掛かった。 寛平三年(八九一)九月十一日。二つの太政官符が出される。元慶の乱の十二年後のことである。『外国の百姓みだりに京戸に入るを禁制すべき事(前略)年来外国の百姓或いは小吏に賄(まいな)いて京畿の貫し(注 […]

  • 2021年10月11日

【加茂青砂の設計図 #9】乱の後

【土井敏秀】蜂起から約半年後の878年(元慶2年)8月、住民側は降伏した。朝廷が正式に、乱の終息を公にしたのは、さらに10か月後の翌元慶3年6月だった。 「終息」に向け中心となって動いたのは、乱勃発時の出羽国司ではなく、新たに任命された出羽権守(ごん […]

  • 2021年10月4日

【加茂青砂の設計図 #8】蜂起

【土井敏秀】蜂起した878年(元慶2年)3月15日の前日、14日。 「炎立つ」など、蝦夷4部作を著した作家高橋克彦は、小説「水壁~アテルイを継ぐ男」の中で、主人公らに翌日の戦いに臨む心境を、こう語らせている。 「何十年とただ堪え忍んできた蝦夷が、よう […]

  • 2021年9月27日

【加茂青砂の設計図 #7】周到な準備

「元慶二年(878)三月廿九日。出羽国守正五位下藤原朝臣興世、駅を飛して上奏す。夷俘叛乱して、今月十五日秋田城幷郡院の屋舎と城辺の民家を焼損す。仍て且つは鎮兵を以て防守し、且つは諸郡の軍を徴発す」 これは「元慶の乱」勃発(878年)を記した古代の公文 […]

  • 2021年9月20日

【加茂青砂の設計図 #6】蝦夷浜の伝説

【土井敏秀】哲学者内山節さんは、著書「新しい共同体の思想とは」の中で、大和朝廷時代を次のように説明する。 「600年代ぐらいになってくると、中国の真似をしたとも言えるけど、律令制の日本ができていって、そこでは日本の土地とか人民は国王のものであるという […]

  • 2021年9月17日

【女川ぐらし】写真展から生まれる、町民たちの会話

【福地 裕明】女川町内での写真展「女川ぐらし」開催から約半年が経とうとしています。まずは、この間、雑事にかまけて執筆してこなかったことについて深くお詫びします。 今更ながら写真展のことを書くのも何ですが、これについて記録しておかないと先に進めないので […]

  • 2021年9月13日

【加茂青砂の設計図 #5】都びとに映る蝦夷

「元慶の乱(がんぎょうのらん)」に関する本は、「古代秋田の住民闘争」と副題のついた「元慶の乱・私記」(田牧久穂著、1992年)だけではなかった。2017年に出た研究書「元慶の乱と蝦夷の復興」(田中俊一郎著)があり、小説では「羽州ものがたり」(菅野雪虫 […]

  • 2021年9月6日

【加茂青砂の設計図 #4】理不尽さに抗う生き方

【土井敏秀】東北に生まれ育ち、「東京」にコンプレックスを持っていたからだろうか。「まつろわぬ」の言葉に、というか、その服従しない生き方に無条件に惹かれる。歴史を古代にまでさかのぼってみる。男鹿半島を含む東北には、先住民「蝦夷」(えみし)が暮らしていた […]

  • 2021年8月30日

【加茂青砂の設計図 #3】歌い継がれる盆踊り唄

【土井敏秀】かなり雑な言い方になってしまうが、村の状況はさほど変わっていない―を前提に、同じ江戸時代を、末期からさかのぼってみる。たった(?)42年。1810年(文化7年)には、旅に生き、紀行文を書き続けた菅江真澄が、加茂青砂に2泊3日滞在している。 […]

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