【佐藤和文(メディアプロジェクト仙台)】「おい、お前、来週火曜の夕方まで、一番町にあるアルサロ『ABC』に行け。そこのバンドに紹介しておいたから」
地元の大学の軽音楽部に属していたロックバンドのドラム見習いは突然、1年上の先輩ドラマーに言い渡された。「アルサロ」とは「アルバイトサロン」の略。要するにキャバレーのことだ。学生や主婦がアルバイトでホステスをやることからそのように呼ばれた。ものの本には昭和20年代に流行ったという記述があるが、ここでは昭和40年代後半、仙台市が隣接の旧泉市と合併し政令指定都市になる以前の話だ。
地下鉄がなく、まだ市電が走っていた仙台市ではバスや市電の最終は遅くても午後10時台だった。にもかかわらず「キャバレー」「ナイトクラブ」(あるいは単に「クラブ」)「アルサロ」など、さまざまな呼称の店が夜の街を派手派手しく飾っていた。キャバレーやクラブ群は生バンドを置くスタイルでショー的要素を華やかに演出した。バンドマンの引き抜きも目立ったが、やがて登場するカラオケに押され、生バンドスタイルのキャバレーはあっという間に消えてなくなる。昭和40年代後半のキャバレー群はその役割を終えようとする直前、昭和の夜最後の情景でもあった。
大学2年の夏休み明け。加山雄三やグループサウンズに影響されたドラム見習いはもともとロックやブルースにしか関心がなく、バンド内の立場で言えば、先輩バンドの楽器を運んだり、先輩たちがいつでも演奏を始められるようにセッティングしたりする「ボーヤ」にすぎなかった。バンド名を「ストレンジャーズ」といった。その4代目にあたるので「STⅣ」と勝手にアンプに書くのはもう少し後の話。もともと希望していたギターパートは競争相手が多く、断念。梅雨になっても志望者がなかったドラムの席を、半ば強制的に押し付けられた。大学入試のときにはまったラジオの深夜放送でサイモンとガーファンクルの大ヒット曲「サウンド・オブ・サイレンス」を聴いているうちに、単純な8ビートなら最初から叩けるようになっていた。
部室にドラムが常置された環境で毎日、個人練習していたとはいえ、キャバレーで演奏するだけの腕などあるはずもない。考えてもみなかったことだった。プロのみなさんも、見習い程度の学生を受け入れるほど、優しい人たちではないだろう。先輩の非礼を詫びて引き上げるつもり、というより、すぐに却下されるだろうと考えて指定の日時に顔を出した。
客席やダンスフロアのわきを通って薄暗い階段を二階へ。そこがバンドの控室だった。ギターのチューニングに余念のないミュージシャンが会釈を返してくれた。明らかに年下だったが、ただ者ではない感じ。圧倒された。なぜかバンマスを覚えていない。ちなみに業務命令を出して姿をくらました先輩ドラマーはと言えば、待遇のいい、あるいは演奏レベルの高い別のバンドで演奏することになったらしい。あいさつだけのつもりだったのに「後釜が必要。責任とれよな」みたいな雰囲気がありありで、あっという間、突然すぎて考える間もないうちに「なんちゃってバンドマン」としての第一歩を踏み出したのだった。怖いもの見たさも手伝って、百戦錬磨のバンドマンには到底見えない顔を無理やり強張らせて夜の世界に足を踏み入れたのだった。あれからン十年。ジャズ中心に音楽を聴くだけでなく、自分でも演奏することが暮らしの大きな柱になっている。「なんちゃってバンドマン」を何とか受け入れてくれたミュージシャン諸氏には感謝以外にない。あの先輩ドラマーの勇断にも。
【この連載が本になりました!】定禅寺ストリートジャズフェスティバルなど、独特のジャズ文化が花開いてきた杜の都・仙台。東京でもニューヨークでもない、「仙台のジャズ」って何?仙台の街の歴史や数多くのミュージシャンの証言を手がかりに、地域に根付く音楽文化を紐解く意欲作です!下記画像リンクから詳細をご覧下さい。
【連載】仙台ジャズノート
1.プロローグ
(1)身近なところで
(2)「なぜジャズ?」「なぜ今?」「なぜ仙台?」
(3)ジャズは難しい?
2.「現場を見る」
(1) 子どもたちがスイングする ブライト・キッズ
(2) 超難曲「SPAIN」に挑戦!仙台市立八木山小学校バンドサークル “夢色音楽隊”
(3)リジェンドフレーズに迫る 公開練習会から
(4)若い衆とビバップ 公開練習会より
(5)「古き良き時代」を追うビバップス
(6)「ジャズを身近に」
(7)小さなまちでベイシースタイル ニューポップス
(8)持続する志 あるドラマーの場合
(9)世界を旅するジャズ サックス奏者林宏樹さん
(10)クラシックからの転身 サックス奏者名雪祥代さんの場合
(11)「911」を経て仙台へ トランペット奏者沢野源裕さんに聞く①
(12)英語のリズムで トランペット奏者沢野源裕さんに聞く②
(13)コピーが大事。書き留めるな/トランペット奏者沢野源裕さんに聞く③
3.回想の中の「キャバレー」
(1)仕事場であり、修業の場でもあった
(2)南国ムードの「クラウン」小野寺純一さんの世界
(3)非礼を詫びるつもりが・・ なんちゃってバンドマン①
(4)プロはすごかった なんちゃってバンドマン②
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