【仙台ジャズノート】回想の中の「キャバレー」 (4)プロはすごかった なんちゃってバンドマン②

佐藤和文(メディアプロジェクト仙台)】在籍していた大学は、いわゆる70年安保の喧騒を何とか乗り越え、残り火のようなテーマが何やかや、ある時期だった。入学してすぐ、授業をできる状態にはないことが分かった。太平洋戦争後、駐留した米軍の馬小屋だったという、カマボコ型の教室棟が使えず、授業ができない時期が続いた。

休講続くキャンパスを歩いていると、政治活動や政治絡みの行動への参加を促す諸君にもよく出会った。話がかみ合わないと知るや「君は連帯という言葉を信じないのか」となじられた。面倒な説明は避けるが、キャンパスに機動隊が入った日の朝の光景は一生忘れない。そんなこんなで、一本芯の入らない学生の心の隙間を狙うかのように、バンドマンもどきの暮らしのリズムはチクタクと確実に刻まれたのだった。

報酬(ギャラ)をもらった初めてのバンド名は忘れた。ギターのカルテットだった。カラオケがブームになる直前のこと。その店は、はっきり言って非常にフランクな雰囲気で、客同士がテーブルをひっくり返しての立ち回りも珍しくはなかった。「長万部さん」というナンバーワンがいた。当然のことながらジャズというよりも、歌謡曲やポピュラー中心のレパートリーを片っ端から演奏する毎日だった。先輩が仕事を回してきた理由はすぐに分かったが、そうは言っても、人前で演奏する経験が少ない見習いにとっては大変な勉強になった。

何しろ、休日を除く毎日、一晩で4回のステージを踏むので、身体に入ってくる音楽的な経験値はぶ厚いものだった。普通の学生をやっていれば、軽音楽部所属のバンドのメンバーとして週1回の練習が設定されているだけだった。音楽的なレベルは推して知るべし、のはずなのに、当時は「ダンパ(ダンスパーティー)」が大はやり。演奏依頼を受けて場数だけは踏んでいた。謝礼を楽器やアンプ類を購入する際の借金返済に充てていた。そのせいもあり、何となく演奏できているような勘違いもあった。

その勘違いは、思い切り背伸びして出かけたアルサロの現場で木っ端みじんにされた。顔から火が出た瞬間が何度あったかしれない。火消しのための特効薬は何もなく、ただひたすら練習あるのみ。それでも、そうは簡単に運ばないのがプロの仕事なのだと思い知らされた。

(写真ACより※本文中に登場する場所とは関係ありません)

この最初のバンドで学んだ事柄は多い。なかでもバンマスから渡された曲集にはメロディーとコード(和音)の進行しか書いていなかった。その曲集を当時は「メモ」と呼んでいた。「はい、ミディアムなスイングね。ワン・ツー・ワン・ツー・スリー・フォー」とバンマスがリズムとテンポ指定するのに合わせてどんどん演奏は進むのだった。「メモ」以外の譜面も使った。当然のことながら初めてみる譜面なので他のメンバーの演奏についていくのがやっとだった。

「トラ(エキストラの略=代役)」を頼まれて出かけた別のキャバレーで「ボサノバね」と言われて始まってみたら、とんでもない高速テンポで、ついていけなかった。「ウワアッ」という感じで大汗をかいた。やっと曲が終わると、リーダーのギタリストがこちらの方を向いて「あ、ごめん」と一言。ドラムが「トラ」だったことに初めて気づいたらしかった。演奏技術がすぐに向上するわけはなかった。振り返ればただただ恥ずかしく、妙な度胸だけが分不相応についてゆくのだった。

アルサロ勤務が約3カ月。先輩からの指令第2号がやってきてバンドマン見習いは錦町にあったキャバレー「クラウン」に移った。思い返せば未熟な学生を何年も見習い修業させるだけ、当時の仙台の歓楽街は懐が深かったと言えるかもしれない。どのバンドでも20代、30代の若いミュージシャンが多かった。音楽を仕事にする覚悟に差がありすぎて友だちを作るまでにはいかなかったが、キャバレーは修業の場として活気に満ちていた。

この連載が本になりました!】定禅寺ストリートジャズフェスティバルなど、独特のジャズ文化が花開いてきた杜の都・仙台。東京でもニューヨークでもない、「仙台のジャズ」って何?仙台の街の歴史や数多くのミュージシャンの証言を手がかりに、地域に根付く音楽文化を紐解く意欲作です!下記画像リンクから詳細をご覧下さい。

【連載】仙台ジャズノート
1.プロローグ
(1)身近なところで
(2)「なぜジャズ?」「なぜ今?」「なぜ仙台?」
(3)ジャズは難しい?

2.「現場を見る」
(1) 子どもたちがスイングする ブライト・キッズ
(2) 超難曲「SPAIN」に挑戦!仙台市立八木山小学校バンドサークル “夢色音楽隊”
(3)リジェンドフレーズに迫る 公開練習会から
(4)若い衆とビバップ 公開練習会より
(5)「古き良き時代」を追うビバップス
(6)「ジャズを身近に」
(7)小さなまちでベイシースタイル ニューポップス
(8)持続する志 あるドラマーの場合
(9)世界を旅するジャズ サックス奏者林宏樹さん
(10)クラシックからの転身 サックス奏者名雪祥代さんの場合
(11)「911」を経て仙台へ トランペット奏者沢野源裕さんに聞く①
(12)英語のリズムで トランペット奏者沢野源裕さんに聞く②
(13)コピーが大事。書き留めるな/トランペット奏者沢野源裕さんに聞く③

3.回想の中の「キャバレー」
(1)仕事場であり、修業の場でもあった
(2)南国ムードの「クラウン」小野寺純一さんの世界
(3)非礼を詫びるつもりが・・ なんちゃってバンドマン①
(4)プロはすごかった なんちゃってバンドマン②
(5)ギャラは月額4万円 なんちゃってバンドマン③

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