- 2021年10月11日
【加茂青砂の設計図 #9】乱の後
【土井敏秀】蜂起から約半年後の878年(元慶2年)8月、住民側は降伏した。朝廷が正式に、乱の終息を公にしたのは、さらに10か月後の翌元慶3年6月だった。 「終息」に向け中心となって動いたのは、乱勃発時の出羽国司ではなく、新たに任命された出羽権守(ごん […]
【土井敏秀】蜂起から約半年後の878年(元慶2年)8月、住民側は降伏した。朝廷が正式に、乱の終息を公にしたのは、さらに10か月後の翌元慶3年6月だった。 「終息」に向け中心となって動いたのは、乱勃発時の出羽国司ではなく、新たに任命された出羽権守(ごん […]
【土井敏秀】蜂起した878年(元慶2年)3月15日の前日、14日。 「炎立つ」など、蝦夷4部作を著した作家高橋克彦は、小説「水壁~アテルイを継ぐ男」の中で、主人公らに翌日の戦いに臨む心境を、こう語らせている。 「何十年とただ堪え忍んできた蝦夷が、よう […]
「元慶二年(878)三月廿九日。出羽国守正五位下藤原朝臣興世、駅を飛して上奏す。夷俘叛乱して、今月十五日秋田城幷郡院の屋舎と城辺の民家を焼損す。仍て且つは鎮兵を以て防守し、且つは諸郡の軍を徴発す」 これは「元慶の乱」勃発(878年)を記した古代の公文 […]
【土井敏秀】哲学者内山節さんは、著書「新しい共同体の思想とは」の中で、大和朝廷時代を次のように説明する。 「600年代ぐらいになってくると、中国の真似をしたとも言えるけど、律令制の日本ができていって、そこでは日本の土地とか人民は国王のものであるという […]
「元慶の乱(がんぎょうのらん)」に関する本は、「古代秋田の住民闘争」と副題のついた「元慶の乱・私記」(田牧久穂著、1992年)だけではなかった。2017年に出た研究書「元慶の乱と蝦夷の復興」(田中俊一郎著)があり、小説では「羽州ものがたり」(菅野雪虫 […]
【土井敏秀】東北に生まれ育ち、「東京」にコンプレックスを持っていたからだろうか。「まつろわぬ」の言葉に、というか、その服従しない生き方に無条件に惹かれる。歴史を古代にまでさかのぼってみる。男鹿半島を含む東北には、先住民「蝦夷」(えみし)が暮らしていた […]
【土井敏秀】かなり雑な言い方になってしまうが、村の状況はさほど変わっていない―を前提に、同じ江戸時代を、末期からさかのぼってみる。たった(?)42年。1810年(文化7年)には、旅に生き、紀行文を書き続けた菅江真澄が、加茂青砂に2泊3日滞在している。 […]
【連載:加茂青砂の設計図~海に陽が沈むハマから 秋田県男鹿半島】秋田県男鹿半島の加茂青砂のハマは現在、99人が暮らしている。人口減少と高齢化という時代の流れを、そのまま受け入れてきた。けれど、たまには下り坂で踏ん張ってみる。見慣れた風景でひと息つこう […]
【連載:加茂青砂の設計図~海に陽が沈むハマから 秋田県男鹿半島】秋田県男鹿半島の加茂青砂のハマは現在、99人が暮らしている。人口減少と高齢化という時代の流れを、そのまま受け入れてきた。けれど、たまには下り坂で踏ん張ってみる。見慣れた風景でひと息つこう […]
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