【佐藤和文(メディアプロジェクト仙台)】昭和43年の12月8日に結成された社会人ビッグバンド「スウィンギング・ハード・オーケストラ」に参加。19歳だった。24歳で2代目のバンドマスターに就任。以来、47年にわたり、その席にある。アマチュアとは言え、主要なメンバーの中には、全国的に知られたバンドの経験者も多数いる。佐藤さん自身、ジャズの世界の手練れたちの指導を受け、ジャズを中心にアンサンブル(合奏)を重視するビッグバンドジャズの心を学んできたという。
1960年代、日本でも人気を博した米国のテナーサックス奏者サム・テイラーに影響され7万円でテナーサックスを買ったのがサックス奏者としてのスタートだった。ヤマハの音楽教室でレッスンを受けながら、仙台の老舗アマチュアビッグバンド「スウィンギング・ハード・オーケストラ」に参加。仙台市内のキャバレー「ソシュウ」「クラウン」などでプロの代役を務める「トラ(エキストラの略)」として腕を磨いた。
佐藤:仙台育英でブラスバンドに入ったのが音楽を始めたきっかけでした。トランペット希望したが、ホルンの担当になり、東京オリンピックのとき、オリンピックマーチを演奏しながら街中を行進しました。おやじに頼んで7万円でテナーサックスを買ってもらい、早速ヤマハの教室に通い始めた。当時、サム・テイラーのテナーサックスが人気でした。音大に行きたかったけれど、願書をとってみたらピアノが弾けないと受験できないことが分かり、断念しました。
-スウィンギング・ハード・オーケストラとの関係は?
佐藤:昭和43年の12月8日にスウィンギング・ハード・オーケストラが結成されました。もともとアンサンブルが好きなので大編成のビッグバンドは魅力的でした。
-ヤマハではどんなレッスンを受けましたか?
佐藤:講師の専門がベースだったせいか、スケール(音階)中心に練習させられました。コード(和音)を勉強したかったが、あまり教えてもらえなかった。だからいまだにコードはお得意でない(笑)。ジャズをやり始めたのもスウィンギング・ハード・オーケストラに入ってからでしたが、他のメンバーの水準が高く、追いつけませんでした。
何しろ東北学院大のモッシージャズオーケストラでがんがんやってきた人たちが参加していました。楽譜を初見でビンビン吹くのよ。自分は3番アルト(サックス)で入りましたが、隣で吹いていた伊東利之さんが独学なのに楽譜に強かった。クラリネットからアルトサックスに変わった人で、47年間、スウィンギング・ハード・オーケストラでリードアルトを吹いていました。伊東さんはうちをやめた後、東北学院大出身者で作っているモッシージャズオーケストラでレギュラーを務めている。自分より5歳年長で音色の点でかなう人はいなかったね。
-ジャズの場合、譜面を読めること、アドリブができることの2つを求められます。それだけにハードルが高い?
佐藤:うちのバンドに入ったとき自分は譜面が読めないのでいわば「7番サックス」でした。(笑)やることと言えば楽器の運搬やメンバーの弁当の準備など。昭和44、5年ごろ、ヤマハのライトミュージックコンテスト予選会があったが、そのときも腕が追い付かず出演できなかった。出たかったけどねえ。そのようなわけでバンド内の最初の役職は「マネージャー」でした。その後、24歳で2代目のバンマスになり、現在に至っています。
-アマチュアの場合、運営スタイルがさまざまで、慢性的にメンバーが足りません。やむを得ず本番が近づくたびにトラを頼むことがあります。謝礼はどうしますか?アマチュアだし、勉強する機会になるので謝礼は不要という考え方もあるようです。互いにお金の心配なしに交流できるのはむしろアマチュアらしいとも思いますが・・。
佐藤:うちでは謝礼を払うよ。この人にぜひトラをお願いしたいと考えるならそれなりに謝礼を考えるのが普通じゃないかなあ。本番前の練習はノーギャラでもいいだろうが。もちろん、互いに納得できるならいろいろな考え方があっていいと思います。
【この連載が本になりました!】定禅寺ストリートジャズフェスティバルなど、独特のジャズ文化が花開いてきた杜の都・仙台。東京でもニューヨークでもない、「仙台のジャズ」って何?仙台の街の歴史や数多くのミュージシャンの証言を手がかりに、地域に根付く音楽文化を紐解く意欲作です!下記画像リンクから詳細をご覧下さい。
【連載】仙台ジャズノート
1.プロローグ
(1)身近なところで
(2)「なぜジャズ?」「なぜ今?」「なぜ仙台?」
(3)ジャズは難しい?
2.「現場を見る」
(1) 子どもたちがスイングする ブライト・キッズ
(2) 超難曲「SPAIN」に挑戦!仙台市立八木山小学校バンドサークル “夢色音楽隊”
(3)リジェンドフレーズに迫る 公開練習会から
(4)若い衆とビバップ 公開練習会より
(5)「古き良き時代」を追うビバップス
(6)「ジャズを身近に」
(7)小さなまちでベイシースタイル ニューポップス
(8)持続する志 あるドラマーの場合
(9)世界を旅するジャズ サックス奏者林宏樹さん
(10)クラシックからの転身 サックス奏者名雪祥代さんの場合
(11)「911」を経て仙台へ トランペット奏者沢野源裕さんに聞く①
(12)英語のリズムで トランペット奏者沢野源裕さんに聞く②
(13)コピーが大事。書き留めるな/トランペット奏者沢野源裕さんに聞く③
3.回想の中の「キャバレー」
(1)仕事場であり、修業の場でもあった
(2)南国ムードの「クラウン」小野寺純一さんの世界
(3)非礼を詫びるつもりが・・ なんちゃってバンドマン①
(4)プロはすごかった なんちゃってバンドマン②
(5)ギャラは月額4万円 なんちゃってバンドマン③
(6)しごかれたかな?なんちゃってバンドマン④
4.コロナとジャズ
(1)仙台ジャズギルドの夢・仙台出身の作編曲家秩父英里さんとコラボ
(2)ロックダウン乗り越え「未来のオト」へ/作編曲家でピアニスト秩父英里さんに聞く
(3)動画配信で活路を開く/ベース奏者三ケ田伸也さんの場合
(4)「WITH コロナ時代」のプラットフォーム
(5)一歩でも前へ/サックス奏者安田智彦さんの場合
(6)コミュティFMと連携 とっておきの音楽祭の挑戦
5.次世代への視点
(1)地域発のジャズを楽しむ
(2)プロとして60年:ビッグバンドリーダー白石暎樹さん(77)
(3)アマチュアのみなさんへ:ビッグバンドリーダー白石暎樹さん(77)
(4)合奏に魅せられほぼ半世紀:佐藤博泰さん(71)①
(5)再考「キャバレーの時代」:佐藤博泰さん(71)②